宗教はアジール(聖域・避難所)としての性格を歴史的に持ってきたといえます。「アジール」とは、世俗的な権力が及ばず、そこに逃げ込んだ者は保護される聖なる地域や避難所を指します。
古代から中世にかけて、ユダヤ教の祭壇、ギリシア・ローマの神殿、日本の神社や寺院、キリスト教会などがこのアジールの典型例でした。これら宗教施設は、犯罪者や迫害された者が逃げ込むことで一時的に不可侵な存在となり、世俗権力による逮捕や処罰から守られる場所とされてきました。
ではまず一曲紹介です。前回に続き、現代讃美歌で「Goodness of God」です♪皆で歌うっていいですね。それぞれの声と身体がのびのびと揺らいでいるこの感じがいい。
古来、歌は個人のパフォーマンスではなく、共同体をつなぐ儀礼や労働、祝祭の一部でした。
しかし、人文系学者の語る「アジール」は、しばしばその言説の中で「安全地帯」や「避難所」としての条件や境界を定義することで、実際の「逃れ得る場所」の可能性を狭めてしまうという逆説をはらんでいますが、
この問題は、アジールという概念が本来持っていた「権力の及ばない場所」「無縁・無主の原理」などの開かれた性質が、言語化や制度化によって限定的かつ排他的なものに変質してしまうことに由来します。
また、ポリコレやフェミニズム等の思想が強く入り込むと、男性とか女性とか、マイノリティ等の「属性」によって「他者」がカテゴライズされ、「個人」ではなく「属性」による境界設定が強化されます。
アジールは「侵害できない聖域」を意味し、〈外部の侵入〉から保護される空間を指す。国家や制度のノルムが及ばない場所として、安全や憩いを保障するが、その一方で〈隔離〉や〈管理〉の場になりうる二面性をもつ。
つまりアジールは「ノルムに適合しない者の排除」でもあり、「ノルムを拒否する者の居場所」でもある。
近年の我が国の反差別は、差別概念をいたずらに拡張し、またその認定を主観に委ねることによって、人々の言動を過度に監視して「内面でも差別しない主体」を作り出そうとしている。それは、ミッシェル・フーコーの意味での「ノルムnorme化」権力と同質であり、自由であるべき主体を自分たちに従順な主…
— 石埼学 (@ishizakinyaon) July 14, 2025
アジールの喪失は、現代人の精神的な問題と深く関わっています。科学的合理性による管理と市場原理がほぼすべての領域を覆い、共同体的なアジールが解体され、個人が孤立した状態で世俗の圧力に直面しています。
グローバルな競争社会、終わりなき自己最適化への圧力、存在意義への根本的な不安、そしてデジタル技術により、かつて権力の目が届かなかった私的領域まで可視化・管理されるようになりました。
それに加えて、言語化による境界設定、属性主義的運用によって「安全地帯」が特定の属性に占有されると、他の属性はより強く排除されるという逆説が生じます。
「庇護の場」が排他的なアイデンティティの空間に変質してしまったことにより、アジールの本質(誰でも庇護される場)を損なうわけですね。そういった状態が「自力救済」という最終手段に人を向かわせます。
例外的な庇護の場であったアジールが、制度化によって「例外の常態化」や「例外の排除」を生み出すという逆説を孕む、これは「宗教」を語るさいにも生じてきます。人文インテリの語る宗教は、「言語」によってその本質をスポイルしてしまう。
仏法と呼ばれる巨大で複雑極まる現象は、教理的な“正しさ”だけでは成り立ってきたわけではなく、教理的には一見説明しがたい事象も抱え込むことでしか成立してこなかったし、私はそれが悪いことだとは全く思わなくなりました。
— DJ プラパンチャ (@prapanca_snares) June 20, 2025
己自身とも他者とも世界ともそれ自体とも向き合えないものが、難解なテキストだけ読めるようになって「対象をようやく理解した」と思うことのズレ。そしてこのズレは身体性の喪失とも関連しています。
大学院生の時に仏教とキリスト教の違いについて少し言及したら「キリスト教について論じるならヘブライ語とアラム語と古代ギリシャ語とラテン語ができないとダメだ。仏教ならサンスクリット語、パーリ語、チベット語と仏教漢文に精通していなきゃダメだ。これらを全部マスターしてからにしろ」と言う先…
— Sakamoto Shin-ichi (@SakamotoIchi) July 9, 2025
権威性の誇示によって、自身を「この人には敵わない人材」と位置づけて、自己の価値を特別化することで序列関係を意識させ、領土とプライドを守る。
このような、自身の専門性を絶対化しつつ後進や同分野の他者を一蹴することで、疑念や批判を遠ざけたり格付けする言動もそうですが、
「それに触れる」というのは語学力とか博士号とかそんなもの重要ではないんですね。
テキストの解読力を「理解力の証」と見なし、言語化による境界設定と領土化に熱心で、世界や現場との向き合いを後回しにするなら、それは他者不在であり、ただの権威主義的な自己満足に過ぎない。
である。非西洋の文化を本気でオントロジーとして理解しようと思ったら、ナーガールジュナくらいまで徹底的に抽象化して、そこから岩田慶治さんに戻り、文化的な諸相を実地に味わうくらいのことをしないと借りものの方法論になってしまう気が個人的にする。
— 清水高志 (@omnivalence) July 8, 2025
ブッダとイエス
大学も異端を養う余裕がない。異端というのは、2人称にとどまれる人間のことだ。こういう弾力のない文教政策をつづけていると、ますます学問は3人称だけをあつかうようになる。知的に振る舞えば振る舞うほど的をはずす。そしてタチの悪いことに、本人は気づかず、しかも周囲がバカと思い込むのだ。
— 田中希生 (@kio_tanaka) July 9, 2025
伝統的な仏教文献や歴史的背景を考えると、ブッダの教えはもともと「口承伝統」として伝えられたため、弟子たちが必ずしも「文字」を読めることを前提とせず、
また古代インドの社会では、「文字」の習得は限られた層にしか普及していなかったため、ブッダの弟子の多くは口伝えで教えを学び、記憶や口述によって伝統が維持されていきました。
たとえば、史跡や仏典においては、身分が低いとされた人物や職業上あまり教育を受けなかった人々が出家し、高い悟りに至った例が散見されます。中でも有名な例に、身分の低い理髪師だったウパーリの話があります。
ウパーリは、仏陀の直接の教えを受け、厳密な戒律の理解や実践によって悟りに到達したとされています。
言い方を変えれば、仏の教え知ることにおいて、大事なことは「文字言語(テキスト解釈)」ではないということ。ブッタにせよキリストにせよ、アカデミア人とは全くの異質な存在であるということ。
イスラム教では、伝統的に預言者ムハンマドが「アンムッ(ummi:非文飾、または未熟練者・非学識者)」であったとされています。
イスラム教の教えによれば、ムハンマドは文字を読む・書く能力を有していなかったとされ、これが神から直接授けられたクルアーンの奇跡の一部とされています。
つまり、彼自身の学問的背景や文献への依存ではなく、純粋に神の啓示に基づいて伝えられた教えを示す点が重要視されます。
キリスト教も初期信徒には学者はほとんどおらず、漁師や税吏、奴隷出身など多様な背景の〈非学的〉人々が中心を担い、洗礼や聖餐は、後年の神学的解釈や学究的権威が成立する以前から、共同体の〈生きた体験〉として継続された。
洗礼(バプテスマ)や聖餐(エウカリスティア)は、単なる教理理解を超えて、身体を通じてキリストの死と復活に参与する儀式であり、祈りの所作(起立、膝まずき、手を合わせるなど)や共同の賛美歌は、言葉を超えた一体感を生み出し信仰を深める役割を果たした。
カタコンベ(地下墓地)での集会や、殉教者を囲む身体的な連帯表現も、信仰共同体の根幹を支えた。
「イエスの祈り」は、初期キリスト教から東方キリスト教会に伝わった短い祈りの方法であり、学問的な理解や神学的体系化以前の信仰実践に根ざしています。
イエスの祈りは非常に短く、単純なフレーズを何度も繰り返すことで、知的理解や教理体系化以前の「生きた信仰体験」そのものを象徴しています。
私はキリスト教徒ではないですが、イエスの祈りはそれ自体が瞑想であり、テキスト以前のマナを宿しています。それは「私」- 文化的身体を超えて身体に響いてきます。
イエスの祈りの原型は、福音書に登場する社会的弱者(徴税人、盲人、カナンの女など)がイエスに向かって叫ぶ「主よ、憐れんでください」「ダビデの子よ、私を憐れんでください」などの短い祈りにあります。
これらの祈りが、4世紀以降のエジプトやパレスチナの砂漠修道士たち(砂漠の父たち)の間で、口伝や実践を通じて「イエスの名を呼ぶ祈り」として体系化・深化されていきました。
修道院共同体の中で、呼吸や身体のリズムと結びつけて反復する「ヘシュカズム(静寂の祈り)」の伝統が生まれ、これが後の東方正教会の霊性の中心となります。
初期キリスト教共同体では、賛美歌や祈りをリズミカルに繰り返す実践がありましたが、イエスの祈りは特に修道院的・個人的な黙想と結びつき、独自の伝統として発展しました。
初期の信徒たちが、知的な理解よりも「イエスの名を呼ぶこと」「身体を通した祈り」「共同体的な一体感」を重視した信仰のあり方と、イエスの祈りの実践は深く響き合っています。
呼吸や心拍、身体の動きと結びつけて祈ることで、信仰が「頭」だけでなく「身体全体」で体験される点も、初期キリスト教の霊性と共鳴しています。
次に紹介の動画「PSALM 90 / 91 (Gregorian chant)」は、詩編90(91)篇をグレゴリオ聖歌の「トラクトゥス(Tractus)」という形式で、この動画では、詩編91篇がラテン語で静かに、瞑想的に歌われています。とても美しく精妙なゆらぎですね♪
詩編91篇は「いと高き方のもとに住む者は…」という冒頭で知られ、「神の守りと慰め」を歌う詩編です。
グレゴリオ聖歌は西方教会(カトリック)の伝統的な単旋律聖歌で、中世の修道院で発展しました。トラクトゥスは、特に悔い改めの季節(四旬節など)や厳粛な典礼で、福音朗読の前に歌われる荘重な旋律です。
この詩編は、カトリック教会の晩課(コンプリネ、就寝前の祈り)で古くから歌われ、修道士たちが一日の終わりに唱えてきました。
グレゴリオ聖歌の単純で繰り返しのある旋律は、東方正教会の聖歌や「イエスの祈り(主イエス・キリスト、神の子よ、私を憐れんでください)」の反復的な実践と精神的に通じるものがあります。
東方正教会でも詩編91篇は重要視され、晩課や個人の祈りで頻繁に用いられます。神の守りに身を委ねるという主題は、東西教会共通の霊性なんですね。
それ自体は「身体を通じて伝わっていくもの」であり、「文字言語」のテキストや、「学問的な語り」で「解釈」するものではなく、「言語的に理解するもの」ではない。宗教の核力となっているものもテキスト解釈の結果ではない。
身体性の同期 – 瞑想は特定の変性意識によって自他境界という社会フレームを超えて他者を繋ぐ。そこに宿るマナを感じることもなく、テキストしか解釈しない学者にはそれがわからない。
マイスター・エックハルト
キリスト教においては、スコラ学の隆盛期においても理論的議論が重んじられましたが、一方で中世以降や宗教改革期、さらには神秘主義の伝統では、単なる学問的解釈に偏ることが霊的実践や個々人の内面の神との直接体験を欠如させると批判される傾向がありました。
言葉では到達しえない領域を示す否定神学と、仏教の「言説を超えた真理」観は響き合う。どちらも思考や概念を手放した沈黙的実践を通じて、直観的な悟りへと導く。
マイスター・エックハルト(1260頃–1328)は中世ドイツの神秘主義者で、その思想は当時のキリスト教正統派から異端視されましたが、「無になって神と一体化する」思想において、大乗仏教的な無我・空の思想と共通点が指摘されています。
エックハルトの反復説教や沈黙行と、仏教の座禅や念仏・真言の反復は、ともに身・口・意を働かせる身体知によって深い一体感を生み出す。
エックハルトは「神は源初において無である」とし、自己を虚心に放念(手放す)することで神と合一すると説きました。
これは仏教の瞑想における「無分別の境地」や「自己超越」の体験と類似し、自己の執着を手放し、究極的な真理と一体化する点で重なります。
彼は「すべての人間が神の子となる可能性を持つ」とし、キリスト教的「神化」の思想を哲学的に展開しました。
初期キリスト教のイエスの教えやギリシア教父の神学を踏まえつつ、神と人間の内的合一を強調し、教会の権威や形式主義を批判しました。
そのため、エックハルトの思想は初期キリスト教の精神を受け継ぎながらも、より内面的・神秘的な方向へ深化させたといえます。
初期仏教は主にブッダの直接の教えに基づき、苦しみの原因と解決法(四諦・八正道)を説き、戒律や瞑想実践を重視しました。口承伝統であり、文字や学問的解釈よりも「体験的な悟り」が中心でした。
派生仏教(大乗仏教など)は、初期仏教の教えを発展・拡大し、菩薩道や空(くう)・無我の哲学を深め、より包括的かつ哲学的な体系を形成しました。
エックハルトの思想に見られる「無」や「自己放棄による神との合一」は、この大乗仏教的な空の思想に近く、初期仏教の実践的な悟りから哲学的・神秘主義的な深化を遂げた点で類似していますね。