「何もしない」「何もない」中に詩は生きている

 

 

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上の写真は富士山8合目から見た御来光の写真です。

 

私はよく高原、自然に行きます。そこで空や海をただ長い時間ボーっと見ています。その時、私は「全く何もしない」「何もない」状態のままにあるのです。意識が空っぽなんですね。

綺麗な花や景色を見ても、野生の生き物たちや迫力ある景観を見ても私は何も言葉に表現しません。ただ「全く何もしない」「何もない」、空っぽな意識で、ただそれを見つめているのです。

そしてその時、生きた詩が私に伝わってくるのです。その空っぽの空間の中で詩は生きているのです。

忙しく動いている思考やせわしない言葉、様々なアクションの雑音によって、生きた詩は簡単にかき消されます。

自然の中にある時だけでなく、私たちが「日常」の中に在る時も「せわしない思考の活動」が「そこに宿っている何か新鮮な輝き」を感じなくさせていることはとても多い。

思考は必要で役割として大事なものです。

ですが脳がせわしなく動き続ける状態が当たり前になった心は、せわしない思考に乱されないで対象を「ただ見つめる」ことが出来なくなっています。

私たち現代人の多くはそういう空っぽの意識を徐々に失っていくだけでなく、「静寂」の存在があること、そのやすらぎの感覚自体も徐々に失っていくように感じます。

そして新鮮な発見、そして生きた詩は「ただ見つめる」ことの中に宿っています。それではここで、「ただ見つめる」だけの瞑想を紹介しているTEDの動画、を紹介しましょう。

アンディー・プディコム 『必要なのは10分間の瞑想だけ』

彼の勧める10分間の瞑想はシンプルで日常に役立つものだと思います。全く何もせず10分間を最後に過ごしたのはいつですか?メールも会話も思考もしないでね。

心配りの専門家アンディー・プディコムはあるテクニックの革新的な パワーについて言及します。

そのテクニックは1日10分間、単に今この瞬間を意識 して経験することです。(お香も要りませんし、変な座り方も必要ありません)

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