心理学的に、理想的な男女のカップルというのは、共依存の関係ではなく、『 相互依存関係で相互補完関係 』にあるカップルでしょう。
相互依存の関係のみではお互いに、相手がいなければ物事が成り立たないような関係であるために良い面と悪い面が出てきます。
悪い場合では、男女のカップル・夫婦のどちらか一方が酷いマイナス状態になった場合、その酷いマイナス部分を一方が埋めるように働くために、引きずられてしまいます。
これよりもっと悪い場合のケースでよくあるのが、男女どちらか一方が共依存症的あるいは依存症的である場合です。共依存症的な人は自身の自己満足のために相手を支配・束縛しようとするため、片方は心を心理操作され続けます。
そして一方が依存症的である場合は、シッカリした方が駄目な方の尻ぬぐいばかりになり、自立的で発展的な人生を創っていくことが出来ません。
そして相互依存関係の最悪なケースでは「共依存症者と依存症者が一緒にいる場合」です。 これは男女に限らずいわゆる「泥沼の人間関係」を作り出します。しかもこの場合依存症がエスカレートしやすくなかなか抜け出せないのです。
こういう関係では「私がいなければ相手は駄目になる」と思いがちですが、実際は、相手を支えているつもりの共依存症者が側にいなくても、一方の依存症者は元々依存的な性格なのです。
だからむしろ共依存症者が側にいない方が、一方の依存症者は依存的な性格がエスカレートすることなく自立に向かいやすくなります。
共依存症も性格からきています。このタイプの人も依存症者と組み合わされない方が、共依存症のエスカレートは防げるのです。
共依存症は一見は「相手のため」の行為に見えますが、実際は全て「自分の満足のため」であり、その過剰な支配・コントロールは様々な心のヒズミを作り出します。
これは男女・親子関係においてよくみられる関係のヒズミであり、実際に「境界性パーソナリティ障害」と「共依存」には深い関係性があります。⇒ 境界性パーソナリティ障害
相互依存と相互補完の関係
相互依存の関係ではお互いの性格や能力のバランス関係が大事なのです。相互依存の関係が良い場合は、二人が共に心身のバランスがよく自立が出来ている状態の時です。この場合、互いの関係が協調的なものとなります。
心理学的に、良い男女のカップルとは、「共依存症や依存症ではない自立した男女の相互依存関係」です。
ここにさらに「相互補完関係」が加わると、とてもバランスの良い理想的な男女のカップルになります。相互補完関係とは、それぞれが相手の不足を補い合っているような関係であり、依存ではなくお互いに補完する関係です。
日本文化の男女関係では「相互依存関係」、「共依存」が多いですね。それは何故でしょうか?
それは時代は変化してきたとはいえ、日本女性の美徳は「我慢・謙虚・献身」がまだまだ根強いのです。それが日本女性の「アイデンティティ」とさえなっているために、「相互補完関係」になりづらいのです。
「相互補完関係」はむしろ外国のパートナーに見られる理想的姿ですね。文化的な差異があるため無理に行えばそれもまたストレスを生む関係性になりますが、「長い期間とても上手くいっている男女のカップル」というのは、やはり日本の場合でも相互補完的な関係なんですね。
「相互依存関係・共依存」の悪循環のスパイラルのみではなく、自立した大人の男女としての「相互補完関係」をもう少し加わえるならば、 「日本的でありながら良好な男女関係」が形作れるでしょう。
コメント
あぁ~最悪パターンでした。
配偶者が共依存で、僕が依存症。
過ぎてしまえば、ある時に、フッと、あぁ~そうなんだ。
と、気が付けるのに、最中にいる間は難しく、
中々、、、気が付けないものですね。
今は、一日も早く回復して、
自身が依存せずとも良い関係を築ける為の、
経済的のみならず、様々なことを踏まえた 自 立 を、
目指したいです。
補足になりますが、僕は?初めから依存的な性格だったのだろうか?
ある時、何時からか?そうさせられた?そんな、気がする。
しかし其れは、相手は、初めから、共依存的な性格だったのだろうか?
ひょっとしたら、、、イツからか?自分の在り方により、共依存的な性格に成っていったのかも知れない。
最終的にこの悪循環が負の連鎖を引き起こし、た、訳だけど、、、
その悪循環を、断ち切る為に、互いに向き合う事、を、出来なかったのは、拒否しあい?主導権争いに、走り、、、益々の悪循環を繰り返したのは、何故だろう?
少なくとも、自分は、その悪循環に、割に早くに気が付いていたし、、、また、其れを、伝えていたし、恐らくは、伝わっていた筈だが???
色々、諦め、納得も、出来る様になってきたけれども、、、
その答えは出ないね。