男女は体も心も異なります。生理的に見ても男女では大きな違いがあります。
・『男性は仕事でも趣味でも何かにハマるとその一つのことを他のバランスを崩してでも突き詰める凝り性的な性質が女性よりも強い傾向があります。』
・『反対に「何かと一体化する」ような性質は男性より女性の方が強い傾向があります。』
・「女性のいるところには派閥と格付けがあります」
と、こんな感じに「属性ひとくくり」にする時代ではなくなってきていますが、これは男性側だけがやっていることではなく、女性も同じく「男性ってこうだよね」という属性ひとくくり的なもの、というのは結構あるものなので、
今回は「属性に関係なく個々にある差異」よりも、そういう「大まかな男女観」(文化的なものも含む)をメインに考察しています。
『ペンシル大学の研究チームが、約1,000人の大人の男女、少年少女の脳をスキャンして調査いた結果、男女の脳には驚くほど構造に違いがあることが判明し、このことにより男女の物の考え方や行動の差異の原因の一部を説明することができるだろう。』(※2013年12月10日に記事追加更新。)
2017/1 、2018/8 追加更新記事
↑上記の研究結果は否定されたようです。脳科学者の池谷裕二 氏の情報を以下に紹介しています。
う~ん脳の世界はやっぱり複雑だなぁ、というよりもそもそも「脳」だけを見ても人間というものはわからないでしょうし、「心・精神・意識」という抽象的で複合的な領域を科学的に明確に実証化するなどということは、一筋縄ではいかないものであるということを改めて痛感しますね。
◇ 池谷裕二 氏の情報 - 以下引用 –
「脳MRI像を再精査したら実は脳に男女差はなかったそうです。典型的な男性・女性の行動パターンを示す人もわずかだとか
MRI所見なのであくまでも脳のマクロ構造に性差がないという意味です。例えば「女性は脳梁が太いから〇〇なのだ」という俗説が再否定されたわけです。
もちろんミクロ構造には差があると思います。ただ「男らしい行動」「女らしい行動」は人々が思うほど明確な差はなく、誰にも両方が見られます」 引用元 ⇒ https://twitter.com/yuji_ikegaya
以下の関連記事・PDFも参考にどうぞ。
〇 第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか
〇「男性脳」「女性脳」は存在しない?:英国の研究結果
〇男脳 vs 女脳?─ 感情処理における行動と脳の性差
↑上記の関連記事で、『「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか』を紹介していますが、「脳科学の達人」でおなじみの神谷 之康 氏のTwitterから以下引用です。
「集団間にある分布の違いを明らかにすることと、構成員の個々の特性を明らかにすることは全く違うことなのに、しばしば混同される」というのそうですが、集団と個人の違いを曖昧にして、世の中にインパクトをもってきたのが心理学(認知神経科学を含む)だと思います。 https://t.co/Nmb4AVvWFc
— ‘Yuki’ Kamitani (@ykamit) 2018年8月4日
「集団間にある分布の違いを明らかにすることと、構成員の個々の特性を明らかにすることは全く違う」という指摘、まさにこれですね。
- 追加更新記事ここまで-
フェミニズム的視点とは異なる進化心理学的視点から考察したホモサピエンス、この本も面白いので紹介しておきますね。人間は地上の動物の一種に過ぎず「進化の結果」です。
進化心理学から考えるホモサピエンス 一万年変化 しない価値観
今回の記事は「構成員の個々の特性を明らかにすること」とは違い、非常に大まかなざっくりした男女観で、そして「文化的・社会的に形成された結果の男女観」を含んでいますので悪しからず。
女性の偉大な科学者も確かに少数は存在しますが、理系分野の偉大な人物、あるいは天才科学者は男に多く、また「主観の領域」である芸術・文化の分野などの感性的な方向に突き詰めていく時も突出しているのは男の方ですが、これは「社会的な条件付け・制約」による作用も大きいでしょう。
「寝食も忘れて主観の世界に没頭し追及する」ような男性的な姿勢は、主観と客観がバランスしている「女性」にはあまり見かけませんが、
男性のブレは良い面ばかりでもなくて犯罪者も量産します。攻撃的な犯罪性に関してはテストステロンも関連すると考えられていますが、
「攻撃的ではない変態・奇人」も男性の方が多く、男性の天才(特に昔は)は何らかの心の病、精神の病を患っていることも少なくありませんでした。
例えば発達障害は男性の方が二倍以上多く(最近はもう少し差が少ないともいわれていますが)、私はそれも「奇人で天才」が男性に多いことに関連していると考えています。
例えばその種の人々が持つ「過集中」「病的なまでの拘り」「認知的脱抑制」などの要素が才能の昇華に偶然結びついた場合に天才と呼ばれる、という風に考えるのであれば、先天的な男女差は多少ある、ともいえます。
そして一般的な男女の差異は、脳の構造性の大きな差異というよりは、「社会的条件付け」の作用(後天的なもの)に加え、ホルモンなどの生理的な差異、原始時代からの生物学的な役割の違い(先天的な差異)などが複雑に関係していると考察されます。
その結果、男性は様々な可能性はあるが「バランスの良い安定性」には欠けている傾向性があり、そして男性に比べると女性の方がお喋りでありコミュニケーション能力は高いのは、
男性が「力」が優位な闘争社会の中で「勝つか負けるか」で個人の能力や才能を高め、競争的・戦闘的に「実力社会」に適応してきた傾向に対して、
女性は、フィジカルが弱いからこそ力に頼らない生存戦略であるコミュニケーション能力の方を発達させることができた、ともいえます。集団との協調には、闘争性よりも共感性やバランス能力が必要だからです。
男性原理の社会は人類の歴史の中で、夥しい数の「血で血を洗う殺し合い」をしてきました。男性原理が対立したときの極限は、殺し合い・決闘に向かうのです。
ゆえに男性のコミュニケーション能力は、「非戦闘状態」で使う友好的なもので、「殺し合い」を回避するソフトで肯定的なもの、という印象がある一方、
女性のコミュニケーション能力は、単に友好的なものだけでなく、それ自体を武器にもしている実践的な仕様であり、高い戦闘能力を有しています。その点で否定的な印象も与えるわけですね。
そして「言語的コミュニケーション」「非言語的コミュニケーション」という分類で見るのであれば、女性の方が「非言語的コミュニケーション能力」が高く、男性に比べて女性は言語以外のものを細かくチェック しますよね(笑)。
「女の直感」というのは、非言語的コミュニケーションから読み取られた瞬時の情報から判断する「ディコーディング(解読化)能力」であり、この能力が女性は男性よりも精度が高い傾向があり、
もうひとつ、心理学では「非言語的に表情などで感情を表す」ことをエンコーディング(符号化)といいますが、女性はエンコーディング能力も男性より高い傾向があるんですね。
また共感には「情動的共感」と「認知的共感」があり、女性の方が「情動的共感」が優位、男性は「認知的共感」の方に偏っている、という大まかな傾向性があります。
「情動的共感」が優位であれば、より感情的なゆらぎが生じやすいわけですね。そして情動を相手に対して表出するエンコーディング能力も高いわけです。
しかし、「共感メインでまとまる集団」というものは内集団・外集団バイアスを高める作用があり、「外集団とされた対象」へは排除が強まります。つまり「不快な情動を生起させる対象」には厳しくなる、ということです。
「情動的共感力+エンコーディング能力の高さ」これが負の方向に振れた時には相手を徹底的に毛嫌いし疎外する方向性に向かうことがあるわけです。
よって女性は女性集団で疎外されるターゲットにならないよう適応するためにも、これらの能力が必要で発達しやすいのでしょう。
エストロゲン(女性ホルモン)はオキシトシンの分泌促進作用をもたらし、これは「母子のきずな」、あるいは(女性的な)きずなに関連するといわれ、「オスのきずな」に関連するといわれるバソプレッシンとは質が異なります。
そしてオキシトシンは「共感」と関連すると考えられていますが、「共感」には「正共感」だけなく「負共感」があり、この二つは単純でわかりやすいですが、「共感」には大きく4つのパターンがあり、
例えば「嫉妬」も共感の一種でこれは「逆共感」に該当し、「他人の不幸は蜜の味」も共感の一種で、これは「シャーデンフロイデ」と呼ばれます。
つまり「共感的コミュニケーション能力」とは非暴力コミュニケーションともいわれますが、共感力というものは「正共感」だけなく「負共感」や「逆共感」「シャーデンフロイデ」も高めるわけで、
同化力を強めることで防衛したり、協調したり、仲間意識を高めたり、同調性・均一さによるまとまりを生み出すその一方で、
「シャーデンフロイデ」が強化されれば外集団・内集団バイアスを高め、異質なものへの排除を強め、気に入らない者を蹴落とす、などの不寛容さとなり、
また「逆共感」がルサンチマン化した場合、「強者に対する仕返し」を強める、という「目に見えない形での暴力」にもなりえるのです。ゆえに「戦略」あるいは「戦闘能力」と私は表現しているわけですね(笑)。
まぁ一般的に目に見えやすい形においては、バランス感覚が悪い男性は一つのことに集中するのが向いていて、女性はバランス能力が必要とされる物事に向いているという大まかな傾向性が生じた、ということですね。育児なんてまさにバランス能力でしょう。
◆ 男らしさと女らしさ
「男らしさ・女らしさ」の定義は、基層文化的な要素や社会的条件付けが強く働いているので、本質的に何をもって「男らしさ・女らしさ」とするかを厳密に定義することは出来ないものだとは思いますが、
理論・理屈ではなく、感性的に男女が互いに引き合う力をそのまま感じている時、そこには「異性」を強く感じているわけで、男女が何もかも全く同じならばそうはならない、といえるでしょう。(「異性愛者」においてはの話ですが)
男が女に惹かれ、女が男に惹かれる「差異・自然な引力」があるわけです。この「差異・自然な引力」が文化・社会的な条件付けで人為的に強化・付加されたものだとしても、それをもって全てが不要・無意味、と短絡的には言えません。
「男らしさ・女らしさは後天的な作用で形成された虚構のもの」という社会構築主義的な目線で「男らしさ 女らしさ」を見るのであれば、
「男のように育てれば女も男のようになる」という心理学的研究も、同じく「後天的な作用で形成された虚構のもの」という点で前者と同次元であり、
「そう育てればそうなる」というのであれば、「人格」やら「人間の心・精神」なんて「一面は」殆どそういうものです。そのやり方でただ相対化するだけであれば「無制限の価値相対主義」になってしまい、全てが等価になってしまいます。
ここで追加更新ですが、「ステレオタイプ脅威」とかもうそうですね、男女の「能力」の差が社会・文化の作用で構築化されたものとされていますが、
最近この「ステレオタイプ脅威」には再現性がない、ということが言われています。これは「リベラルバイアス」による事実への投影が考えれますね。
「政治的なもの」を含む「価値判断」が事実判断に混入する、こういうことは科学においてもあることです。
世の中には「女性は数学に弱い」というような負のステレオタイプがある。自分のアイデンティティがそれに該当していると意識してしまうと、実際にパフォーマンスが落ちるというものだ。これは様々な実験の結果によって示されている。というのが記事で紹介されていた話だった。
ところが現在、その「実験結果」は再現性が無いと言われている。ステレオタイプ脅威の根拠は実験結果にあるというのに、その土台は不確かなものであるのだ。 引用元 ⇒ 9割の人が知らない再現性の危機
– 追加更新 ここまで –
昔から世界中で「男に男らしさが求められる」傾向性があるのは、元々オスが有している生物学的な「逞しさ・強さ・パワー・闘争性・能動性」に関連付けられるものが多いと考察出来るため、これは「根無しの構築」ではありません。
なので社会構築主義的な目線で見るなら、「ジェンダーフリー」の方が純粋に根無しの構築だと言えます。同じ社会構築的なものであっても、それが自然にルーツを持つか持たないかで大きな質的差異があります。
〇 なぜ、男の子は乗り物、女の子はぬいぐるみを好むの?遊びの性差【前編】
また「男らしさ」の負の一面だけを「有害」と否定しても、男性原理の暴走を止めるのも止めることが出来るのもやはり「男らしさ」であり男性原理であり、
往々にして「長所と短所」というのは「二つの性質が別々に存在している」というよりは、コインの裏表のように「一つの性質」の現れ方の差であり、正負のどちらにもなり得る「揺らぎ」なので、
都合よく短所だけ取り去ることは出来ません。長所もなくなってしまうことがあります。確かに負の方向性に慢性化した人も一定数いますが、多くの場合、人は条件次第では正負の両方に振れる可能性を持っているわけです。
「男らしさ的なるもの」の多元性は、「パワー(活力)の現れ方の違い」を「その社会・時代の価値・評価基準」で定義した「相対的な価値判断」であり絶対性はない、という意味ではジェンダーロールの肯定も否定も同質です。
またどんなものであれ使い方を誤れば破壊的になる、それは「生物学的な力」だけでなく「知能」や「知識」や「科学」や「正義」や「専門性」なども同様で、両刃之剣でもあり
むしろ人類の大量殺戮の歴史は、単純な個人の男の暴力性よりも、「知能」「知識」「科学」「正義」「専門性」が結びついた暴力の方が圧倒的に破壊力・残虐性が高いわけです。
よって、単純にひとつの属性に依らずどんなものであれ、「正になれば負にもなる」「効果もあれば副作用もある」「薬になれば毒にもなる」「生かしもすれば殺しもする」という多面性を持つため、
リスクを意識し過ぎたゆえにそれそのものを否定することは不毛で、そこから完璧主義的な理想に向かうのであれば、長所も短所も殺してしまう病的な潔癖症でしかなく、それもまた「過剰な暴力」の一形態でしかないでしょう。
「元々自然の産物である人間」、その何百万年もの生物学的過程・文化・歴史を非合理的だと断定し、現代・先進国社会への適応性・合理性だけを重視したところから生まれた根無しの構築性は、非常に性急な要請であり脆弱です。
変化していくにしても、そして刷り込まれた根深い思い込みやバイアスも、個人の単一の意識の問題に還元できるような次元ではなく、あらゆる文化的なものからの作用の中で日々の相互作用で育まれ蓄積された結果でもあるので、
理解の個人差があるからといってそれをいきなり正論で頭ごなしに責めたりせず、正論や理詰めの白黒思考で強引に実行するのではなく、ある程度は許容しながら、時間的なゆるやかさ、そして認知的なおおらかさを伴った変化の過程が必要だと感じます。
そうでなく強い圧力を一方的にかけつづけるようなやり方をすれば、逆に大きな反動を生じさせ、それは場合によっては強力な否定的アイデンティティを量産する作用ともなり、かえって大きな悲劇が生み出されるでしょう。
(というよりもすでに否定的な現象は起きていますが)一部の人達による今のようなやり方では、仮に「部分的には」どれだけそれが正論でもかえって理解は遠のくでしょう。それだけ全人類にとっての因縁の深いテーマですからね。
関連記事
〇 男もつらいが女もつらい!? 「役割期待」とマウンティング
〇 若者 セックスレスの心理 日本と世界 データ検証
世の中には私は男だが男が好きだ、私は女だが女が好きだ、という人もいるでしょうし、どちらも好き、どちらも嫌い、いや私は男でも女でもない、という人もいるでしょう。
今回はそれらのテーマはメインテーマとして扱っていませんが、トランスジェンダーやXジェンダーと言われる人々も世界に一定数います。関連記事を幾つか紹介しておきますね。
〇 9歳のトランスジェンダー、ナショナル・ジオグラフィックで初の表紙
「もう男の子のふりをしなくていい」
〇 性はXとYだけでは決まらない
〇 広辞苑「LGBT」説明誤る 指摘受け修正検討
〇 歴史的な偉人の多くはLGBTだった。あなたに知ってほしい。
以下、池谷裕二 氏による情報
一卵性双生児でも、片方が同性愛者、もう一方が異性愛者であることは珍しくありません。つまり遺伝子だけは差異を説明できません。その人の性的指向は、むしろ、DNAのメチル化サイトから高確率で予測できるそうです。先週の『サイエンス』総説より→http://goo.gl/LtznHY
ですが様々な文化的差異や歴史的な差異があるにもかかわらず、世界中の多くの男が美しい女性・可愛らしい女性に惹かれる性質を有しているわけです、ずっと昔から。(特に「可愛い」という感覚はより本能的なもの。)
それを「絶対的なもの」(= 誰にでも常に絶対に当てはまる法則)とはしませんが、男達のこの傾向性は「ある程度の普遍性」はあると考えてよいと思いますね。
※ LGBTは世界で約3~4%程度、日本では約8%程度といわれており、つまり非LGBTは90%以上でほぼ大半を占めています。まぁ地球上に男は「35億あと5000万」もいるので、いろんなタイプがいるのはもちろんでしょうが、
今回は個々の例や差異を細かく見ていくのではなく「大方の傾向性」をテーマにザックリと分けて書いているので、それを踏まえて読んでいただければと思います。
もうひとつ「美しさ」に関して、進化心理学と認知神経科学による考察アプローチで考察したTEDの動画を紹介します。
脳はどのように美しさを判定するか?
アンジャン・チャタジーは自然の持つ最も魅力的な概念である「美しさ」について研究において進化心理学と認知神経科学というツールを利用しています。ロシアの美女アシヤと南米美女のアサリアさんが、「世界でどんな女性が美人と思われるか」について話している動画です。この二人は日本人からみれば 間違いなく美人ですが、自国ではどうなのか?についても語っています。
もうひとつ追加更新で関連ツィートを紹介です。より細かい部分の美意識の文化的差異がわかりますね。
国によって変わる美人の定義。
あるジャーナリストの女性が17国のフリーランサーに自分の写真を送り、加工で美しく変身させてと依頼。素顔でも十分綺麗な彼女だけど、捉え方は人それぞれ。眉の形やメイクの色味に各国の個性が出る。アメリカの面長を強調するツリ目加工や骨格を主張するチークが印象的 pic.twitter.com/aeFxJnwRbZ— reOPE (@complex_face) June 20, 2019
ここから先もかなりおおまかな話ですが、一般的に女らしい女性ほど「一体化タイプ」が多く、女らしい人ほどあまり理知的ではなく、客観的な思考分析はあまりしませんね。
それは男性が「言語的コミュニケーション」に偏りがちだとすれば、女らしい人の場合は「非言語的コミュニケーション」を多用しているため、話をしていても「見ているもの」「感じているもの」が異なる、ということです。
そして論理的思考をあまり得意としないからといって決して頭が悪いのではなく、女性は感情性IQは男性よりも高い傾向があるという意味でもあります。
女らしい人ほど直感的・感性的で、理屈や理論などを好まず、思想的・哲学的な主義主張などはまず好んでしませんし、聞きたがりません(笑)
だから「女は女らしくあれ、男は男らしくあれ」とか、「人間の正しい在り方」の是非なんていうのを論理的に訴えているような、理知的で道徳的に異常に堅苦しい女性とかは、むしろ全然女らしくなく男性的な女性です。
特に「闘争的で虚栄心が強くプライドの高い女性」はその傾向がより強いわけです。現代の先進国社会は男女平等が進み、女性も社会にバリバリ進出し、闘争的に生きているために、女性も男性化しやすいんですね。
何故そうなるかといえば、社会・世界は「男性原理」が優位で成り立っている競争社会であり、そういう場に適応しつつ競い合っていくということは、当然、「似た質」=「男性原理が優位の思考パターン」になっていくからです。
だからそういう女性に男は生き物として全く安らげないんです。むしろこういう堅苦しい女性が侮蔑しているような軽い感じの女性の方が、遥かに自然に女らしい人ということはよくあります。
女らしい女性とは、相反するものを中和させ包むような柔らかさ・バランスが備わっていますね。こういう女性は男らしい男性ほど生き物として自然に安らげるんです。
何故かって、男らしい男ほどそういうものが足りないからなんです。自身が足りない何かを持っているから安らぐわけです。これは女らしい女性だってそうなんですね。お互いに直感でそう感じるものです。
「思考分析的」に白黒をハッキリさせたがり、「特定の観念・理念」にこだわって一方を肯定、一方を徹底的に断罪するような思考に偏るのは完全に男の脳タイプです。
女性の場合は、「情動的共感」と「非言語的コミュニケーション」によって個人的な「好き・嫌い」「快・不快」を区別し、「生理的にムリ」という嫌悪感から「感情的」に白黒をハッキリさせたがる傾向性があります。
広告苦情の類型化と広告表現の許容範囲に関する実証的研究
本研究では、消費者が不快と感じる広告表現や広告苦情の実態を把握し、類型化するために、テキストマイニングによる苦情の内容分析、性的表現 CM に対する印象評定調査、そして苦情対応者への面接調査といった多面的 な視点から検討を行った。
その結果、主に内容分析と面接調査より、まず男女で広告苦情を申し立てる際の基準が異なることが見出された。
具体的には、男性は“善悪”(許されるかどうか)を判断基準とする「認知的苦情」を、女性“好嫌”を判断基準とする 「感情的苦情」を申し立てる傾向にあった。 – 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
なので「女性の独裁者」が怖いのは、男の権力者よりも「感情的な個人的な理由」だけで全否定し徹底制裁をすることがあるからです。
そして男は「感情的」には「グレーな曖昧なもの」を許容しても「観念的にこだわっているもの」に対してはあまり許容力がありません。
これは男性が「絶対思想」的な傾向性があり、女性は「相対思想」的な傾向があるからです。これに関しては、以下のPDFも参考にどうぞ。⇒ 私の独り言「男脳と女脳」 大阪大学名誉教授長谷川 晃
そして「絶対思想」的な傾向性が、「強い意志」「責任感」「仕事」「理念」などと結びついている場合はさらに強力で、徹底的で容赦しないこともあります。
ですが女性の場合は、「観念的・抽象的なもの」に対しては「グレーな曖昧なもの」を許容することが出来ます。とはいってもそれは「内集団」に対してであり「外集団」に対しては厳しいですが。
◆ 結婚・育児
また「育児の経験の有る無し」も関係するでしょう。子供を産んで育ててから性格が変わった、という女性は結構いますが、もちろんホルモンなどの生理的な変化(例:オキシトシン)以外にも、
子供を育てるということは多くの配慮とバランス能力が必要とされ、子供は生きて存在し変化し続けており、しかも何をするか、何が起こるか、様々な「予測不能さ」の中で、母親は「抽象度が高く変化の多い現実」と向き合っていかなければならないわけです。
モノや概念、あるいはライバルが相手なのではなく、「心」を持った生命の成長を見守りながら深く接しつつ育てる、だから女性は感情性IQが高いのでしょう。
そして感情性IQは「非言語的コミュニケーション能力」に支えられています。女性の非言語的コミュニケーション能力の高さが、子供という非言語的な対象との関わりによってさらに高められ感情性IQを底上げする、ということです。
女性の感情性IQは育児によってさらに高められたということですね。
人類が「先進国化した社会」での適応的人格を形成したのはまだ最近のことであり、本来の自然な「女性的な女性」には「相反するものを中和させ包むような柔らかさ・バランスが備わっている」のは、子供を生み育てるために必要とされる「感性の質・能力」が関連しているのでは?と思いますね。
見方を変えれば、男性が積極的に育児に関わっていけば、昔は女性原理とされた「感性の質・能力」を男性も高めることが出来る、ともいえるでしょう。
◇ 男性的な脳・女性的な脳
※ これは男性的な脳、女性的な脳という生物学的な構造的実体がある、という意味ではありません。志向性の差異、例えば「目的志向」とか「共感性」「プロセス志向」などの男女の傾向性の差異を比喩したものです。
「男性的な脳の男性」は「女性的な脳の女性」に惹かれ、「男性的な脳の女性」よりも「女性的な脳の女性」に安らぎを自然に感じます。
ですが闘争社会にどんどん進出してきた女性たちは、男性的な闘争社会に感化されていくうちに「オヤジ化」あるいは「男性化」し、「男性的な脳の女性」に変化していく人も増え、
逆に力を奪われ男たちはどんどん「オスの野生力」を封じ込められ失って、結婚しても元気をなくしている男も最近は増えているんですね。
そうなってくると今度は「女性的な脳の男性」に「男性的な脳の女性」が癒されるという逆転現象が起きてきたりします。
ですがこれは本来の男性・女性の自然状態ではないために生理的に必ず無理が生じてくるんですね。
そして自然の摂理によって妊娠・出産期に女性ホルモンの大きな変化が起きるわけですが、それでもあまりに女性が男性脳に偏っていると上手くいかない場合も出てくるのです。
男は育児に必要なバランス能力を先天的に与えられてはいなくても、脳科学的に見た場合、男性もやっているうちに「育児脳」となり適応していくことは可能ですが、
とはいえ、男は自然に生理的に切り替わるのではなく、意識して取り組まないとそうはならないわけだから、本来は女性より向いていないわけです。
そして奥さんがあまりにも男性脳タイプだと、旦那は安らぎを求めて女性的な脳の女性に浮気したりするんですね。まぁ浮気の原因は男のタイプによっても違うでしょうけど、基本的にそういう事をしないはずの人がそうしてしまう時と言うのは、この辺りにも原因があることが多いんじゃないかと感じますね。
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