「実存的個別性」 予測符号化とラカン、瞑想

 

まず動画の紹介ですが、文化人類学を研究する小西公大准教授の「自分病」という表現が面白いですね。他にも、インドにおける概念崩壊の話も面白かったです。

 

「リベラルバイアス」も欧米型の「自分病」の一種ともいえますね。

欧米型とはいっても、日本はクリーン化が進み過ぎてさらに異様な「自分病」ですが、身体性が脆弱化し、もはやその異様さに気づくことすらできない状態。ますます少子化は加速して、韓国に続いて日本も消えていくでしょう。

みんな異なるバイアスを持っていることを認められず、自分だけは「他者のバイアスや差別等をジャッジして教育する側」に固定し、自分のバイアスや差別を他者から指摘されても一切認めない。

そうやって特定属性の言動だけを「問題化」し、変えたがり、全体主義的に統一したがるのが最近の「自称:リベラル」のダメなところ。まぁそれではそもそもリベラルとはいえないんですけどね。

 

なんかこの動画の二人の「思考の柔らかさ」と、以下のポストが取り上げている学者の思考の硬直性って、水と岩みたいな質の差異だと感じますね。

 

 

では本題に入ります。前回の続きで「予測符号化」、構成主義的情動理論がテーマですが、今回はラカン、「実存的個別性」、瞑想などを中心に考察しました。

 

予測符号化はあくまでモデルで、生命はそれを文字通り計算しているわけではなく、神経回路の物理的性質が暗に「最適化」を実現している。だから、「生命=数式を解く存在」というよりは、「神経・化学の動的ネットワークが、結果的に数学的最適化の解にたどりつく」というイメージです。

バレットはこの予測符号化を内受容感覚に適用し、心拍やホルモン変化の信号もまた「予測‐誤差最小化の計算対象」であるとしました。

構成主義的情動理論と予測符号化モデルの統合的視点では、初期の生理的シグナル(プライマルな感覚入力や身体反応)がまず生じ、それに対して脳の経験的予測モデル(構成主義的なカテゴリー化や意味づけ)がキャッチアップし、より精緻で文脈依存的な情動体験へと昇華されるという動態が描かれます。

「人間」は動的に相互依存的に存在しているといえます。

 

ラカンの「欠如」と予測誤差のプロセス

ラカン「象徴的秩序」と予測符号化は、いずれも「欠如」や「ズレ」を中心に人間の知覚や主体の成立を論じる枠組みですが、その扱い方やプロセスには特徴的な違いと対応関係があります。

1. 象徴界=生成モデルの構築

脳は他者の言葉・規範・物語を取り込み、意味ネットワークとしての予測モデルを編成する。
ラカンの〈象徴界〉は「シニフィアンの連鎖」からなる構造体で、ここに主体の自己イメージや欲望の枠組みが記述される。

2. 欠如としての構造的予測誤差

生成モデルは「世界をこう解釈するはずだ」という期待を含む。身体感覚(内受容入力)や他者からの応答がその期待とズレるとき、予測誤差が生じる。

ラカンの「対象a」は同時に到達不能でありながらモデルに残留する「不在のリアル」として、この予測誤差の構造的核心を成す。

3. 欠如の再帰的強化と欲望の持続性

誤差を最小化しようとモデルを更新しても、誤差を完全には埋められず、新たな「欠如」を構築する。この再帰的プロセスこそ、「欲望は決して消えない」というラカンの命題の根拠となる。

4. 情動=欠如が生む感情体験の質感化

構成主義的情動理論によれば、予測誤差は身体感覚にラベリングされ、「不安」「渇望」といった情動体験を生成する起点となる。こうしてラカンの「欠如」と予測符号化的「誤差最小化」が両輪となり、情動的意味世界を編成し、言語的意味へと転換される。

情動的フィードバックは誤差信号として機能し、脳の内部モデル(=概念)を継続的に更新する。

 

承認欲求と自己愛の予測符号化による再解釈

1. 象徴界/社会的予測モデルの構築

承認欲求:〈大文字の他者〉(社会的規範や期待)の網目を脳に取り込み、「自分がそこにはまり込んでいるか」を予測するトップダウン・モデル。

自己愛(ナルシシズム):そのモデルが自己像を過剰に強化し、「自分は完全な自己像を体現している」と予測する内的パラメータの肥大。

2. 欠如としての社会的誤差シグナル

他者からの評価・リアクションが「期待通り」でないとき、社会的予測モデルに誤差が生じる。これがラカンの「欠如」と重なる。

誤差シグナル(例:「無視された」「けなされた」)は不快な情動として立ち現れ、「再承認を得たい」という行動モチベーションを駆り立てる。

3. 承認獲得=誤差最小化のパフォーマンス

承認欲求は文字どおり「誤差を減らして社会モデルをフィットさせる」プロセス。承認されると誤差が減り、プライドや安心感という快の情動ラベルが貼られる。

逆に承認が得られないと誤差が増大し、不安や羞恥といったネガティブ情動が生まれ、さらなる行動を促進する。

4. 自己愛=自己モデルへの過適合メカニズム

強い自己愛では「自己への肯定的評価」がトップダウン予測として優先され、たとえ誤差が生じても自己モデルを維持しようとする。結果として、他者からのネガティブ・フィードバックは無視・歪曲されやすく、自己モデルの補強(鏡映的ナルシシズム)が情動的報酬となる。

 

脳内での神経活動は遺伝的要因や個々の生物学的特徴に左右され、学習や経験を通じたシナプスの接続パターンなども個々人で異なります。したがって、どのような思考や感情が生じるかという基礎的なレベルですら、個別性が伴います。

 

コア・アフェクト vs 感情カテゴリー

神経科学が示す扁桃体・前頭前野の早期活性化は、いわゆる「コア・アフェクト」(単に身体状態への価値づけ=快・不快)を生み出すプロセスです。

構成主義的情動理論は、このコア・アフェクトを素材に「怒り」「恐怖」といった離散的感情カテゴリーを後から構築すると考えます。つまり、ゼロからカテゴリー化するのではなく、まず「わたしの身体はこう感じる」という基礎が先にある点は両者で共通します。

とはいえ神経科学が示す「先行する情動領域の反応」は、構成主義的には「感情をつくるための原料」であり、認知と情動の一方通行的階層ではなく、最初から「感覚↔概念」の動的ネットワークが立ち上がっていると捉えられるわけです。

よってこの「感じる身体」を基盤とした自己モデルは、精神疾患の理解やAIの自己感覚シミュレーションにも示唆を与えます。たとえばうつ病では内受容予測モデルが〈自己の否定〉を継続的に生成し、不安障害では誤差感覚が過度に拡大再生産されやすい。

さらに各個人は、独自の家族構成、親子関係、経済状況等を含む家庭環境、そして、学校環境、地域社会、自然環境を含んだ生育環境、さらにその国の文化的背景や歴史的経験の中で育ち、それぞれに固有の価値観や行動規範等が形成されます。

性格(パーソナリティ)も、構成主義的な見地からは「後からつくられる」側面が大きいといえます。

つまり、環境要因、 幼少期の親子関係、学校・職場での対人経験、文化的物語などが、「自分はこういう人間だ」「こういう状況ではこう感じるはずだ」という予測モデル(自己スキーマ)を組織化します。

私たちは無意識に「出来事→原因(=帰属)」の予測モデルを持っていて、実際の結果(実)と照合しながら、自分の感情ラベル(誇り・後悔など)をつける。

「○○のせい」にするか「○○のおかげ」にするか「そのどちらでもないとするか」は、この帰属モデルのパラメータが決めています。

子ども時代の成功体験/失敗体験、周囲の反応、文化的ナラティブが「原因は自分?外?」「それをどう評価する?」を育てる。

つまり帰属のしかた自体が、ひとつの「予測モデル」=自己スキーマとして後から作られていく。

 

「実存的個別性」 予測符号化と瞑想

一般に心理学では「自己奉仕バイアス」や「帰属スタイル」のように、外的帰属か内的帰属かを性格特性の一部として扱います。一方、構成主義的にはそれも「身体感覚×社会的概念ラベルのループ」のひとつのパターンにすぎず、固定不変の本質ではない、という立場です。

 

構成主義の捉え方は、 早期の扁桃体反応が「恐怖」「怒り」といった離散的感情を生むわけではなく、「情動→認知」の硬直シーケンスを否定し、むしろトップダウン予測(過去経験からの概念モデル)とボトムアップシグナル(身体信号や感覚入力)が同時に動き出すと考えます。

したがって「情動領域が先、あとで認知が追いつく」のではなく、初動から「感覚+概念」のループが回転し始めているのです。

発達心理学的な観点からは、乳幼児期においては言語や抽象的な概念が十分に成立する前に、情動体験が存在しており、これが後に他の認知機能の発達に影響を与えることが確認されています。

これを構成主義で捉えなおすと、母子相互作用や文化的ナラティブが、コア・アフェクトに「これは恐怖」「これは安心」とラベルを貼る「予測モデル(概念フレーム)」を構築し、言語獲得とともに予測モデルは複雑化し、情動カテゴリー(怒り・悲しみなど)を獲得していく、となります。

 

同時に人は日々、環境や他者との対話を通して意味を構築しつつ、相互作用の内容や頻度、またはその受け止め方は個人ごとに異なり、その微妙な違いが最終的な意味世界や世界観として具現化されるということです。

これによって、同じ社会に属していても、個々人の味わいや意味付けには大きな差異が生まれるのです。

構成主義的にいえば、各人の対話頻度、文化的背景、対人経験が予測モデルを独自にチューニングし、同じ社会環境でも「私はこう感じる/こう解釈する」という意味世界はエマージェントに多様化するということです。

意味世界がエマージェントに形成されるプロセスは、単なる物理的・社会的な多様性に留まらず、哲学的な実存の問題、すなわち「私」における実存的な個別性を内包すると考えられます。

「私」という主体は、コア・アフェクト(身体感覚)+予測モデル(文化的・経験的概念)の一意的なアセンブラージュとして動的に生成されるプロセスで、これが、固定的な本質を持たない「実存的個別性」を生み出すということですね。

「実存的個別性」は「空性」ともいえますが、生きるために機能するアセンブラージュとして動的に構築され続ける。

仏教の瞑想実践は、この「生成のループ」を生み出す無明や「自我の執着」を対象化し、智慧によってその根源=依存生起の構造を看破し、ひいては「予測モデルとしての自己」の起こり得る条件を止滅させることを目指す、ともいえます。

予測符号化モデルの観点では、瞑想は「自己モデルへの過剰適合」を弱め、誤差信号そのものを非付与するプロセスとみなせます。

ヴィパッサナー瞑想において、身体感覚(内受容感覚)を「ただ観る」ことで、そこにラベルを貼ろうとする予測モデルの「折り重ね」を解体、呼吸などの普遍的現象に集中し、雑念や自己像の生成を阻む。

これらはまさに、予測‐誤差ループのエラー精度の重みを意図的に下げ、自己再領域化を起こさせない介入といえますね。

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