まずはじめに、鬱のことをこうだと決めつけて色々言う前に、「鬱とは何か?」ってことを理解しましょう。 ⇒ 鬱には色々ある。鬱の様々なタイプのまとめ
PRESIDENT Online 連載 『あなたは「うつ病」を誤解している』より、2記事を紹介(下記リンク先にて)
世界で今「うつ」という病気の現実はどうなっているのか?
世界精神保健機構(WHO)によれば、単極性うつ病は2004年の疾病負荷第3位にあり、2030年には第1位の疾患になると予測されています。
もうひとつ、このテーマに関連するおすすめ外部サイト記事を以下に紹介しています。(2017 追加更新)
私個人の実体験的な感覚として、「体罰」「根性」「精神論」「パワハラ・セクハラ当たり前」の時代を生きてきた40代・50代の社畜意識に以下の記事内容のような偏見の傾向が高い、と感じますね。
「「鬱は甘え」と言うオッサンへの反撃フレーズが有効すぎると話題」より引用抜粋
(前略)
ちなみに、しらべぇ編集部が全国の男女1358名に行なった調査では「鬱は甘えだと思う」と回答した人は15.3%。50代の男性がもっとも高い割合を示し、唯一20%の大台を突破。ある意味、不名誉な傾向が見られることになった。この年代の人たちは、若い部下の上に立つことも多いだろうが、若手たちは大丈夫なのだろうか……?
(中略)
自分のことを社畜だと思ってる人は、その3割が「鬱は甘え」と考えていることも判明。労働環境的には自分自身がいつメンタルの病気になってもおかしくないはずだが、それでも他者には厳しくあり続けるようだ。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
下記の「うつ病に対する心ない8つの誤解」のひとつにも含まれていますが、
うつや自殺は「余裕があるから起きる、考える暇があるから起きる、その暇もないほど生きるのに必死なら起きにくい」というような結論の出し方は、物事の一面しかみない姿です。
馬車馬のように暇も心の余裕もなく働きすぎて心身共に追い込まれる過労自殺やうつは社会問題にもなっており、
また、自殺率の低い貧困国とか内乱の多い国や発展途上国の場合でも、身体が病むことで平均寿命が短かかったり、犯罪・暴力が多く他殺率が非常に高い、という別の面での心・精神の負の現象も生じているわけです。
機能不全化した社会では心・精神の丁寧なケア以前に衣食住もままならず治安・インフラさえままならない「生き残ることに必死な状態」です。
そういう状況下では、医療事情も当然悪く、精神医療なんてものは多くの人はまともに受けれないわけです。
なので実際は心身共にボロボロで廃人寸前であっても二の次にされ、お金のない人は「問題など存在しない」かのように放っておかれるままでしょう。
実際に先進国では考えられないような酷い暴力を受け、抑圧的な環境下にある人々がどのような心・精神の状態になっているかなど、先進国に生まれた恵まれた人々と同程度の配慮は全くされていないし関心ももたれていないんですね。
だから心身が酷い状態であったり壊れた者たちが数多く存在していても、先進国並みにはカウントされないし、データすらまともにとれないわけです。
つまり彼等・彼女たちはメンタルヘルス以前に身体の病気すらまともにケアさえれずに放置され死亡する、なんていう現実はザラにある過酷な状況に生きているということです。
そのような過酷な状況下では、「個の心の問題」は多くの場合泣き寝入りか運命・宿命として死ぬまで強制的に背負わされ「沈黙」の中に閉じ込められており、
つまり「現象がない」のでなく、現象にスポットすら当たらない、当たりにくい社会の状態に置かれているということですね。
またそのような国では状況への負の反応は「能動的な形」で噴出しているわけで、基本的な条件はクリアーしている先進国の場合は、最終的な決断の方法がより「受動的な形」になる傾向性になるのは自然ともいえます。
つまり「追い詰められたときの絶望感や攻撃性」が「社会や他者(外側・全体)の無思慮な破壊行為」よりも「自己(内側・個)の破壊で自制的・内省的に解決を望む傾向性」に向かうのは、
先進国の社会システムの成熟度と関連しており、「発達した社会の教育・理性による条件付けの作用によるもの」、ともいえます。
別の記事で「自殺と他殺の関係」を調べた記事があるので参考にどうぞ。
〇自殺は増えたのか? 統計・数字の錯覚と多角的検証 自殺の本当の原因
そして受験戦争の過激化してる韓国や中国では「若者の自殺」が深刻で以前から大きな社会問題なっており(日本の場合は「男子」に特徴的)、つまり「余裕とか暇がなければ自殺とか考えない・鬱にならない、なりにくい」というのは錯覚です。
それに関しては以下の記事後半部の「若者の自殺」を参考にどうぞ。
〇 自殺が減らないカラクリ 日本版の「デュルケム 自殺論」と若者の自殺
また、自殺の原因・動機として鬱病はトップにも拘わらず、未だに「自殺・自殺未遂についての思い込み・誤解」が幾つもあります。以下は代表的な五つの誤解です。
■ 自殺についての5つの誤解
1.「『死ぬ・死ぬ』という人は本当は自殺しない」
2.「自殺の危険度が高い人は死ぬ覚悟が確固としている」
3.「未遂に終わった人は死ぬつもりなどなかった」
4.「自殺について話をすることは危険だ」
5.「自殺は突然起き、予測は不可能である」
参考 ⇒ 自殺についての5つの誤解
うつ病を発症する人々がみな真面目で善人なんていうことはありえないでしょうし、時代の変化によってうつになる人々の傾向性、定義の仕方も変化しています。
「鬱になる人はみなこうだ」みたいな決めつけもよくないでしょうが、中には「人間性に難ありでダメダメな人」もいるでしょうけど、だからといって現に今そうなっている状態の人を追い込む可能性があるような言葉をわざわざ使うのは気を付けた方がよいでしょう。
しかも大抵そういう「事実の指摘(実際はこうだよ的な話)」が刺さるのは「人間性に難ありでダメダメな人」ではなく、真面目な人の方なんですね。
うつ病に対する心ない誤解1.
心が弱いから発症するんだよ、ストレスに弱く鍛えられていない精神だからそうなる、いわゆる社会的弱者って奴だね
弱い強いとかには関係なく起こる。うつの種類によっても異なりますが、忍耐強く我慢強い人に重い鬱を発症する人もいる。遠慮も無く否定的な自己表現を撒き散らせるような人の方が鬱にはなりにくい
誤解2.
依存的で甘ったれているから発症するんだろ!
それは固定観念です。責任感が強く、自身で問題を抱え込むタイプの人にも重い鬱を発症する人は多い
誤解3.
なんだかんだいって深層は怠けもののいい訳で、正当な理由が欲しいんだろう、何だか見苦しいな。
うつの種類によっても異なりますが、真面目でシッカリと毎日生きている人や、ストレスを上手に抜けない生真面目な人も鬱になる。いい加減で責任転嫁が上手い人の方が鬱にはなりにくい。
誤解4.
生きることのバイタリティに欠けているから発症する。人生気合いだよ、鬱は気合いが足りねぇんだよ!渇!
気合とかバイタリティに関係なく起きる。人一倍頑張り屋さんが重い鬱を発症する場合もある。
誤解5.
どんだけ周りに迷惑かけてると思ってんだよ、自分だけが苦しんでるつもりの悲劇の主人公って奴か?
人一倍気を使うタイプの人で、本来人に精神的負担なんてかけたくない人が重い鬱を発症することもある。人に頼るのが上手い人はむしろ鬱にはなりにくい。
誤解6.
ワガママで自分の思い通りにいかないと全てを放り投げる、元々性格に問題がある人間なんだろ!
性格の良し悪しには関係なく起きるし、社会的人格としては善性が強いタイプで重い鬱を発症する人もいる。
誤解7.
世の中にはもっと苦しんでいる生きていくためにギリギリの人が沢山いる。そんな人々は鬱になる余裕さえない。余裕がある人が鬱になる。 贅沢病だ。
世界統計を見るなら、発展途上国や貧困国にも鬱は多い。そしてストレスがかかる生活において、その結果の全てが鬱という症状になって現れると決まっているわけではない。生きていくためにギリギリの人が、鬱の症状ではなくても、そのストレスが心身の他の部分を破壊している可能性もあるでしょう。 余裕があり贅沢で気軽に生きれるタイプなら鬱にはなりにくい。
誤解8.
まぁ自然淘汰って奴だな、今の社会に適してないってこと。 それが自然の法則だよ、適者生存の運命だと思って諦めるしかないね、 残念ながらね。
むしろ逆。現代社会自体が自然の法則に反している要素が増大している、現代社会こそが自然に適していない状態にあり、その不自然さの影響から起きてくる現象のひとつ。
自然は鬱になるタイプの人を自然淘汰などしていない。自然の力はむしろ鬱を癒し回復させる。不自然な社会生活による内的な自然破壊が鬱。
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