何故、精神科医や教育者は嫌われるのか?  治す側・教える側という公的な仮面 

 

私は精神科医でも心理学者でもなく、様々な角度から人間を見ていこうとしているだけですが、今日のテーマは 何故、精神科医・教育者などの「一部の人」は世間で嫌われているのか?です。

先々週からの「無意識の転写」と「無意識と意識の関係」は引き続き今週のテーマですが、今朝の記事はこれがテーマです。※このテーマを急遽選んだ理由は、次に書く記事で詳しく説明ます。

 

2021/7  – 追加更新 –  ここから

「障害者施設」という場は、訓練を受けた専門家も多く働いている場ですが、専門家がいる場だから適正で安全でまともとはかぎらない。「閉じた場」の中で一体何が行われているか?

ここで追加更新で、相模原障害者施設殺傷事件が起きた「やまゆり園」の支援に関する記事の紹介です。⇒ 内部資料が明かす植松聖死刑囚と津久井やまゆり園の支援の実態
– 追加更新 – ここまで

 

まず実際に起きていること、精神医療の現実・事実を知りましょう。もちろん、精神医療の全て何もかもが否定的で負の現象ばかりということではないのですが、

「精神医療・向精神薬には何も問題がない」かのような、さも科学的であるという先入観と過信がまだまだ目立ちます。まずは以下に複数の外部イト・記事を紹介します。リンク先から詳細をご覧ください。

⇒ 緊急取材中―精神科病院・20万人以上が1年以上の長期入院という現実―

福祉や精神医療の現場がいかに問題を多く含み、また精神医学は内科や外科とは違って、まだまだ曖昧な部分が多い試行錯誤の段階で治療に踏み切っている状態であることがよくわかるでしょう。これはもちろん内科や外科が完全であるという意味ではなく、精神医学がダメとかいう極論ではありません。

客観的に明瞭化しやすい形而下の領域をメインに扱う身体医学に比べて、精神医学は主観的で抽象的な形而上の領域を多く含んでいる性質上、元々が複雑なわかりにくい分野であるわけです。

 

18年の服用から、減薬、そして離脱症状
現代の日本の精神医療のいいかげんな理由
向精神薬使用に指針 認知症の周辺症状治療
製薬会社が次々に神経科学研究施設を閉鎖、精神薬産業が直面する危機
疾患喧伝と精神医学  相関関係・因果関係と疑似科学
2016/10 追加更新
〇 特別寄稿『ブラック精神科医に気をつけろ!』
第2回「精神科の多剤大量処方で疲弊する救急現場」

精神科病院准看護師が患者の頭を踏みつけ、首の骨を折る異常虐待の闇が明るみに!【前篇】
【後編】以下は精神障害関連の病院や障害者施設での事件や医療・介護に携わる者達・役人などの事件や問題の一部です。

  2017 追加更新

「患者って立場忘れんときや」 看護師3人、障害者に暴言繰り返す 京都市が宇多野病院を処分
昏睡少女に集団で性的暴行の疑い、医師ら3人逮捕 埼玉
障害児に淫行、指導員逮捕 容疑で神奈川県警
障害者暴行事件 県警OB職員ら証拠隠滅容疑で逮捕
老人ホームの男性殺害 容疑で元職員の男逮捕 警視庁複数回衣服汚し激高 東京・中野

2018年もまた↓こんな事件が発生です。

96歳女性に男性介護士が熱湯、施設理事長が謝罪 和歌山・橋本の老人保健施設
患者に暴力、わいせつ行為 精神科病院の看護スタッフ

そして次も酷いニュースです。合理的根拠がないのに産業医が二人の男女に対して「統合失調症」「自閉症」と判断し復職不可にするなんて、一体、人の人生を何だと思っているのでしょうか?

産業医判断に根拠なし、退職無効 横浜地裁判決

そして「障害者施策のお膝元である厚労省の組織」で起きた以下のニュースも追加しておきます。指導側のお役人がこんなレベルで本当にこの先大丈夫なんでしょうか..。

兵庫労働局、発達障害の非常勤女性に「いじめ」「虐待」〜前局長ら5人処分 障害者雇用推進の役所がなぜ?

 – 追加更新ここまで –

 

「目に見えない人の心・精神の病」というものをお金をとって医療の名のもとに治療する立場ともなれば、その行為には当然、「権限」だけでなく「責任」があります。

ですが先に紹介した外部サイト記事だけでなく、以下に紹介する「一部の精神科医・精神病院が起こした事件と犯罪」を見ると、「本当にこんな人たちに任せて大丈夫か?」と、残念な気持ちになってくるのは私だけではないでしょう。

(東京都板橋区)
平成19年2月28日、当時28歳の交際女性を14年12月に絞殺し、懲役9年の判決が下されていた精神科医の小笠原晋也に対して、医師免許剥奪の行政処分が下された。彼は、同クリニック院長を務め、精神分析の分野では有名な精神科医であった。 

(東京都新宿区)
平成19年9月27日、診察結果の説明を求めた女性患者の髪の毛を掴んで壁に頭を叩きつけ、付き添いの夫にもケガを負わせ、 有罪(懲役2年執行猶予3年)が確定していた同クリニック前院長の精神科医・伊澤純に対し、医道審議会は医師免許停止2年の 行政処分を決定した。伊澤医師は3月に東京地裁で有罪判決を言い渡された後も医療行為を続けていた。 

(東京都調布市)
平成20年1月11日、警視庁調布署は、殺人未遂の疑いで山田病院の副院長で、精神科医の進藤啓介容疑者を逮捕した。 進藤容疑者は昨年11月、病院の借り上げマンションの室内で、交際相手女性の首を絞めて殺害しようとした疑い。 進藤容疑者には妻がいたが、被害女性を含めた複数女性とかけもち不倫をしていたことが被害女性に発覚し、口論となったとされる。 

(愛知県豊田市)
平成19年2月28日、診察行為と偽って複数の女性患者の胸や下半身を触るなどして強制わいせつなどの罪に問われ有罪 (懲役1年8月・執行猶予4年)が確定していた、同クリニック元院長の精神科医安田好博被告に対して、医師免許剥奪の行政処分が下された。 

(岩手県盛岡市)
平成19年9月27日、薬を用いて女性患者らを暴行し、準強制わいせつ、準強姦の罪で有罪(懲役3年執行猶予5年)が確定してい精神科医、濱崎高行に対し、免許取消しの行政処分が下された。彼は、当時18歳の患者少女に睡眠薬を飲ませ、 15時間昏睡状態させて暴行し、別の18歳の少女にも同様の手口でわいせつ行していた。 

(東京都世田谷区 )
警視庁新宿署は29日までに、覚せい剤取締法違反(所持、使用)疑いで、精神科医馬場正和容疑者(36)を逮捕した。新宿署によると、馬場容疑者は「夜勤を乗り切るために使った」と容疑を認めている。

⇧ これは極一部のピックアップです。実際もっとあります。

 

心・精神の病を治す者という公的な仮面

 

エガス・モニスは、ロボトミーという名前で良く知られる精神外科手術、前頭葉切断手術を精神疾患を根本的に治療する目的考案した。これが功績として認められ、

1949年にスイスの神経生理学者ヴァルター・ルドルフ・ヘスともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。受賞の理由は「ある種の精神病に対する前頭葉白質切截術の治療的価値に関する発見」である。

 

脳や心・精神に対する全く酷い理解レベルでの外科手術ですが、こんな「動物実験のような非人道的な治療」が、過去に実際に非常に広範囲に行われ、おまけにノーベル賞まで受賞しているのです。

このように明らかに間違った悪魔のような手術にノーベル賞まで与えて、しかも何の責任を取っていないのですね。心・精神の病の人には何をしてもかまわないということでしょうか?

このロボトミー手術を受け、そして脳を損傷させられるた少年による、衝撃的な手記を紹介している記事をここで紹介します。以下のリンクよりご覧ください。

ハワード・ダリー「ぼくの脳を返してロボトミー手術に翻弄されたある少年の物語」

そして次に紹介する記事は日本で過去に実際に起きた有名な事件ですが、この事件でも精神医療というものの傲慢さと残酷さに対して全く納得が出来ない気持ちになる、そんな悲しい事件ですね。

ロボトミー殺人事件

 

精神科医・精神医療への理解と疑問

私の家系は医療関係者が多いので、様々な専門医をはじめ、身近な存在としてメンタルヘルスという仕事やそれに関連する人などもよく知っていますが、医者にしろ弁護士にしろ世の中ピンキリです。

テレビやネットで一部の精神科医がたまに激しく嫌われていることがありますよね。また精神医療全体に対する完全否定などの記事なども見受けられます。

ですが私の知っているかぎりそういう人ばかりではありませんし、精神医療全体が悪いということはありません。診察して薬を出してハイ終わりというタイプの医師しかいないような印象ですが、

実際には薬中心の治療以外にも様々な取り組みをされているわけで、心・精神の問題を多角的に見ていこうと取り組んでいる医師も沢山いるわけです。そして人間性の素晴らしい方もいます。

実際にそういう先生方のおかげもあって、母の酷い鬱の時にもそれが効を奏し(部分的ではありますが)役立っていたわけです。

ですので、精神科医や精神医療が何もかも悪いというような見方は私はしていませんが、否定的な部分も確かにあることは知っていますし、そういう残念な人が一部存在することもまた事実です。

また心・精神という領域は無意識を含んだ広くて深くて未知を含んだ領域なので、身体の病気のような明確な治療は確立していないし、疾患単位としての定義付けさえ殆ど出来ていない状態です。

つまり内科外科などの明確な技術と定義の中で病気を扱う分野と比べた時、精神医学というものは、未だ同じ科学水準には立っていないのです。心理学も同様に。

 嘘の多元性  科学者は嘘をつく・権威主義的な学者・専門家を疑え

ゆえに技術においても定義においても、科学的に見るならば、未だ「あてにならない曖昧な部分も含まれている」ともいえます

精神科医は国家資格を与えられており、他の民間治療よりは科学的とはいえ、「心・精神・人間」というものは複合的・相対的なものを含む曖昧で不明瞭で複雑なものであり、そのため誤診不適切な対応や治療薬の使い方や副作用などでおかしくなる人も実際に存在する。

そこに過剰な薬の宣伝や、「それさえあれば良い」と過信させるような製薬会社の商業的なアピールや戦略が絡むことで、不信感が強まったりするわけですね。

現時点ではまだ本当の意味で科学的ではないのにも関わらず、医師という特別な資格・権限が与えられ、そして科学的に定かではないものに対して科学的に定かではない治療が施される、という部分も少なからずあるわけです。

医療におけるパターナリズムは、時に問題や矛盾を生み出しますが、形而上の概念を含む精神医療においてパターナリズムの負の作用は大きな「依存と支配」の関係性を生み出すといえます。

パターナリズムの問題

 

「教える側」という公的な仮面

 

では次は、教師という人々の公的な仮面(ペルソナ)の裏に形されるシャドー(影)を見てみましょう。もちろん素晴らしい教師も沢山いることを知った上で、この負の部分をテーマに扱っています。

ではまずはちょっと古い記事ですが「神戸新聞」の記事を引用紹です。
  

「神戸新聞」より引用抜粋

教師によるわいせつ行為などの性犯罪は、本当に多いと言えるのか。いくつか試算してみた。 例えば、兵庫県警が今年一―九月に強制わいせつ(未遂含む)容疑で摘発、逮捕したのは七十九 人。 

県内の十五歳以上六十五歳未満人口を基礎にすると、四万八千人一人という計算になる。

一方、県内の中学校教師は臨時教員を含めて約九千五百人。同容で同じ期間に逮捕された教師は三人、三千二百人に一人だ。 

男女構成比の違いを無視した計算にはしても、発生率は、先の均値の実に十五倍に上る。

こんな数字もある。県迷惑防止条例違反を含むわいせつ事案で捕された中学教師は五人。 県内の中学校は三百九十五校。七十九校に一校が今年、逮捕者を出したことになる。中学教師の性犯罪は確かに多い。 

「個人の資質」では済ましようのない数字が並ぶ。

– 引用ここまで-

(掲載日:2002/12/14)  神戸新聞
引用元⇒ http://www.kobe-np.co.jp/edu/s-9/01.html

 

この記事は掲載が2002年ですから、もう十年以上前記事ですが、現在はどうなんでしょうか? たまたま2002年頃が酷いだけで「さすがに現在は良くなっているだろう」と思いますか?

実はこの2002年よりもさらに酷くなっているのです。右肩上がりで伸び続けている残念な状態ですね。以下の紹介リンクから2002年以後の流れもグラフで見れますので参考にどうぞ。  

⇒   教員の犯罪

 

2015/08/01 追加更新

「教員の犯罪」でのデータは2009年度までですが、2013年度においても「体罰」「わいせつ」共に過去最多の処分になってます。まぁ「体罰」での処分の増大に関しては「教育」に対する時代の意識変化によるものが大きな理由でしょうが、

わいせつ」に関しては、昔はもっと男社会で女性が我慢して黙っていただけで、実際は今も昔も多い。

「体罰で教員4000人処分/13年度、最多を更新」より引用抜粋

2013年度に体罰を理由に懲戒や訓告などの処分を受けた公立学校の教員は、前年度より1700人増の3953人で、過去最多を更新したことが30日、文部科学省の調査で分かった。

(中略)

体罰以外も含む行為で処分を受けた公立校の教員の総数は9494人。うち、わいせつ行為による処分は過去最多の205人で、

初めて200人を超えた。わいせつによる懲戒免職は117人。うつ病など精神疾患による休職は5078人で、12年度より118人増。- 引用ここまで-

引用元⇒ http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/social/20150131000232

そして「うつ病など精神疾患による休職は5078人で、12年度より118人増」という部分も見過ごせません。精神疾患の割合は「中学」が特に高い傾向を示していますが、

教師の「犯罪・逸脱行為」だけを見るのではなくて、「教師と学校の場のシステム」、あるいは「生徒・親たちとの関係性」は、もっと広い意味で機能不全化し、それが様々なネガティブな現象として現れているとも考えられます。

うつ病など休職教員5045人 続く高止まり

(追加更新 ここまで)

またこれは教師に限らず、医師や精神科医のうつや自殺率は一般人より高い。特に精神科医は非常に高いです。(アメリカだと5倍以上高い。

これは原因はひとつではありませんが、例えば「医師の人数に対して仕事量が多すぎる」という労働環境によって、過労死や過労によるうつ病になりやすい状態が慢性化しているのもひとつの原因ですね。

これに関しては以下の記事を参考に紹介します。

医者は本当に忙しい? 「勤務医自殺が労災認定」報道に思う医師の視点

ただ精神科医の場合は、複数の患者の負の意識との感応による意識の同調性(感情転移を含む)も強く作用しているのだろうと私は考えます。

そうなりやすのは精神科の医師自体がメンタルのバランスが悪い人が多いからなのか(そのようにいう専門家もいる)、環境でそうなるのはわかりませんが、

まぁ毎日毎日メンタルのバランスがおかしくなっている人と接するのが仕事なわけだから、一般の方よりもメンタルバランスをとることが難しくなりやすい、ということはあるかもしれませんね。

何故、精神科医や教育者は嫌われるのか?

 

一部の嫌われている精神科医や教育者をよく見ると、それは今までブログで書いてきた「機能不全家族の親子の心理」や「道徳教育の自己欺瞞」によく似たような心理構造があります。

この手の否定的な印象が多くの人に自然に起こる時というのは、政治家や新興宗教関係者に感じるあの胡散臭さにも通じる何かがあります。

本人自身が自己欺瞞的な存在であるだけでなく、本当の意味で相手・対象の全体性を見てもいないのに、理屈や浅い理解だけで役割・立場の優位性から上から目線で語るだけ、というスタンスなんですね。

心・精神の病は結果としての生物学的な状態・症状以外にも、それに影響・作用した様々な元的な力学を含みますで、個々に多様なアプローチで観なければ根本的には治療・解決は出来ない場合もあるでしょう。

そして嫌われる一部の精神科医・教師という人達は、そのような自己欺瞞状態であるにもかかわらず、自己を見つめることもせずに、性急に無意識的に決定・断定してしまっているところから判断して語るのです。そのくせ自分が批判・攻撃されると物凄く必死に防御します。

「気にいらない人・対象」に対しては、専門家の資格を盾に、杜撰なほどひとくくりにレッテル張りして、本やら雑誌やらメディアを使って配慮のかけらもなく断定し陰湿に攻撃する割に、

当然の自然反応であるブーメランによって、「同じように自分自身が理解なく杜撰に扱われレッテルを貼られる」と、今度はブチ切れたりするわけです。自身のダブルバインドには甘い。

こういう「私はOKである。他人はOKでない」が、無自覚でかつ肥大化している状態、これは自己愛性パーソナリティの特徴のひとつでもありますが、ある種の「俺様状態」「勘違いした人」なんですが、こういう勘違いを、「教授・教師・精神科医・医師」という公的な資格は与えやすいのでしょう。

自我肥大しやすいペルソナ(役割の仮面)ということです。

熟年層の中に一定数存在する「老害」と言われる人々の中にもこの手の自我膨張したタイプが混じっていますが、ペルソナが生む自我肥大は、弁護士・政治家・警察官宗教家・教授・医師など、人を指導したり教えたりする立場の人や、お偉いさんに生じやすい勘違い状態です。

もちろんみんながみんなそうではないです。実るほど頭垂れる稲穂かなのことわざにあるような、年をとるほど豊かに成熟していく人もいれば、人徳のあるお偉いさんや熟年者だっています。

あるいはそこまで立派とか秀逸ではなくても、普通に穏やかに円熟していく人も沢山います。

どうせ警察・医者・教授・弁護士なんてみんなこういう人種だろ!?」的な否定的なレッテル張りにもめげずに、黙々とプロ意識をもって謙虚に学びながら頑張っている方も沢山いる。

ですが、そうではない一部の自我肥大化した人々というのは、公的な肩書・地位・立場などによって得たペルソナ(役割としての人格)と自我が一体化することで、

「本来の自分自身以上のもの」自分自身そのものだと無意識にそう思い込んでしまっている状態です。これは本人には気付きにくく、「染みついている感じ」になります。

そして人は、「本当のその人の状態」つまり「自我肥大」の奥にある自己欺瞞や「ペルソナの下に隠された本人の無意識」に直観的に気付くから、(これを人に気付かせないタテマエ上手の演技派もいるが)

「あなた自身はどうなの?」「勘違いした傲慢な人だな」と感じ、それで多くの人に自然に生理的に反感を食らい嫌われるのです。

 

逆に「自我肥大した人に依存・寄生する自我」もあります。それが「彼等・彼女等信者・ファン弟子になる人々」です。新興宗教などもこれと同じパターンが多いですね。

みながみな自我肥大するわけでもなく、また自我肥大に強弱あり、その他の無意識の要素との絡みもあるので、自我肥大全て病的な人格になるわけでもなく全てが悪いというわけでもりません。

 

 自我肥大すると、無意識的に自分が「優・正」相手が「劣・負」となる。そして、そういう人の無意識的な状態実際どうかといえば、 相手と何も変わらないレベル、いや相手よりも「残念なレベルだったりすることがあります。

多くの場合、人はそういうときに自然に嫌悪感が出てくるんですね。

精神科医・教育者という肩書・ペルソナは公的な立場に与えらた記号・名称でしかないのです。そこを自覚せず、「ただ流されて仕事をこなしてきた人」と、切磋琢磨して試行錯誤しながらスキル・経験・分析能力・感性総合的に高めている人」とでは、実力に雲泥の差があるでしょう 

だから精神科医も教師もピンキリなんですね。ただ流されて仕事こなしているだけの人になんて、あなたの心・精神を簡単に預けてはいけませんよ。 

もしもっと楽に選べるものなら、出来るだけシッカリと選んで決めた方がよいですね。

 

 

例えば「自分の自己主張的・感情的な執筆活動イデオロギー動ばかりに躍起になってる人」とか、

アレコレいろんな会・講演やらに明け暮れる割には内容も説得力もなく、「弱者やクライアントではなく自分が目立ちたいだけの中心」になっちゃってる人とか、

「〇〇に所属してます」などの肩書ばっかり増え、そして聞かれてもないのに「私は..私は..」と自己宣伝する「自称・活躍している専門家」は、実際には「現実の内容・世間の評価」は自己宣伝に反比例するかのように低いです。

そんな「肥大した専門家」そんな者たちにあなたの子供の将来・心・精神の問題を簡単に託し、全的に信頼などしてはいせんということが言いたいんすね。

ですが「良い代弁者」「心強い代弁者」「深く共感できる代弁者」というものはいます。

そういう「代弁者」は本当に実力・能力やセンスがあり、理解力の足りない相手と同じ次元でイチイチ脊髄反射で不毛な感情反応やら、議論にすらなっていないくだらない言い合いはしません。

また思慮深く智慧があり心が成熟している人なら、「人が安心できる落ち着いた対応」で物事に丁寧に取り組むでしょう。インパクトはなくても、たとえ時間はかかっても、その方が結果的に社会にそして多くの人々にしっかりと伝わっていくでしょう。

また当事者は時間的・経済的・体力的・精神的に「自分のことで精一杯」な人が多いのですから、そのような思慮深く能力・パワー・知力のある「代弁者」は迷惑どころか、我々にとっての頼もしい味方になってくれるでしょう。

心・精神の問題に真摯に取り組んでいる専門家・プロであるのであれば、過度に威圧したりイチイチ攻撃的な表現を多用したりなどしないでしょう。(まぁ人間なのでたまには怒ることはあっても)

そういう姿勢であれば、(それでも100%は無理でしょうけど)「当事者や多くの一般の方々」にももっと自然に支持されるでしょうね。

当事者自身の活動」であれば、多少行き過ぎた面があって批判は生じても、当事者の置かれている現実への同情すべき点も見い出せるので支持もされますが、「正義面して暴走した代弁者」ほど迷惑なものはありません。

メンタルヘルス系・ソーシャルワーク系の専門家はあくまでも事者を支える目立たない黒子であり支え役、それが基本でしょうし、それがプロの仕事というものでしょう。

そういう真摯で思慮深い姿勢のプロ・専門家の方々であれば私は誰であれみな尊敬しますし応援をします。

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