神秘主義 精神世界の最終的な自己欺瞞の壁 「ミイラ取りがミイラになる心理」 

 

今日は禅と瞑想の心理学のテーマで、ユングの元型という概念から、このテーマのもう少し突っ込んだ分析をしてみましょう。

シュタイナースェーデンボルグのような精神世界の神秘主義者達は確かに霊的な感性が突出しており、様々なものを彼ら自身が見たのでしょう。

出口王仁三郎なども古神道的な元型体験の宝庫のような人であり、王仁三郎の用心棒をしていた植芝盛平も元型体験をしていますね。

古来は変性意識による元型体験を直接知覚した人々が神と合一したと言われることは日常茶飯事だったと心理学的に推測できます。

そして日本の古事記日本書紀の神話やシンボルは、日本民族の型的な物語のひとつであり、だから神社は日本の魂の拠り所のように感じられるんですね。

誰も天照大神なんて見たことがなくても、なんか落ち着くわけです。それは私たちが一見は別々でも、無意識のどこかではつながっている=「日本民族の集合意識の元型を共有している」からです。

よく「形」や「形式」には何の意味もないという人、伝統や型を破ることが創造性で真実に辿り着くのだと言わんばかりにそれに固執する人がいますが、

本当にそうでしょうか? 「グローバル、グローバル!」って感じに、どんどんその国、民族の伝統の型を壊していくことが発展であり進化だといいますが本当でしょうか?

古来の伝統という型の全てが良いと決めつけるわけではありませんが、そういうものには私たちが安易に理解できない深い意義があることが実際にあるのです。

私自身にも変性意識体験があるので、古来の感性豊かな人が人を騙す目的でウソを言っている人ばかりではないことはわかるんですね。変性意識状態では通常では考えられないことが実際に感じられたり起ったりするんです。

ただし、それが「宇宙の真実」「宇宙の構造」などと断定してしまうのは、ミイラ取りがミイラになってしまった状態であり、思い込みの心理作用なんですね。

それだけ強烈な体験だから、それを経験したらそういう風にしか思えない、それはある意味仕方のないことだとも思います。ですがそこを心理学的に分析する、それが今回のテーマです。

 

元型体験は神人合一体験ともなれば、悪魔的人格や精神分裂病にもなりうる

元型的な物語のひとつとしてとてもわかりやすい童話に宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」があります。とても不思議で神秘的な童話で、私はとても好きなんでが、あの童話には様々な元型的なるものが登場します。

個人としての無意識ではなく、集合的な無意識、これを古来の人々は「霊」と呼んだんですね。 そして内的に共有された意識のシンボルが元型です。

その元型が民族の集合意識の根底に存在し、私たちの内の霊的感性が鋭い人がそれを直接見たりすると、神人合一体験などと呼ばれるわけです。

シャーマンや古来の宗教開祖は民族の集合意識の元型を直接見たものであり、それを守る者であり、民族の神というのは、その民族の元型シンボルなんですね。

「元型シンボル?そんなものたいしたことない」と現代人は思うかもしれませんが、実はこれには凄い力があるわけです。民族の無意識のシンボルであり、集団の無意識を動かす力があるシンボルだからです。

それを悪用したのがヒトラーです。だからあれほどの熱狂的な民族パワーがあの時動いたんですね。 シュタイナーはヒトラーのしていることに誰よりも早く気づいていました。

何故なら彼も元型体験の宝庫のような人であり、その魔術的な力をよく知っていた霊的な人だからです。こういうことは通常の顕在・潜在意識のレベルの心理学では決して理解できません。

というかこんな話はアカデミックな心理学では出てきません(笑)「非科学的で理解不能だからそういうのは心理学とは言わない」、それで終わりでしょう。

ですがその「理解不能な領域」には不可解であっても非科学的であっても確かに「力」があるわけだから、これを無視することは出来ないんですね。

そしてこの領域は潜在意識よりも深いところで動いている意識の作用を見なければ見えてこないものであり、変性意識を理解できない人の場合は理解が不可能です。だからやっかいなんです。

ですが東洋の瞑想体験においてはこういう変性意識・神秘体験などは差ほど珍しいものでもないんです。

スェーデンボルグはキリスト教的な元型体験を瞑想で直接知覚したのであり、シュタイナーは神智学的な「世界の秘教の元型の複合」を直接知覚している人です。そしてクリシュナムルティ-はそれに気づいて全否定した人です。

クリシュナムルティ-の「見つめ方」を「禅」に例えたり、シュタイナーの神秘過程を禅での霊的進歩の過程と同様に例えて、霊的な優劣で人を識別するような人がたまにいますが、正直そういう人たちこそ「病的な人達」だと私は感じます。

クリシュナムルティ-は神智学的な「霊的な世界・観念への病的束縛」から(ある程度は)解放された人です。その意味では彼なりに健全な方向へは向かおうと努力した人なんですね。ですが彼も抜け出せてなかったんです。

だから彼が宗教的な形式や儀式を否定する姿勢に偏っていたのは、「生命」や「現実」「人間」「宗教」への彼の理解が非常に偏っていたからです。「生の全体性」を本当に学んでなかったのは彼自身です。

ですがその「偏り」が現代社会への疑問がある人にとっての彼のカリスマ性を高める要素でもあったんでしょう。

以前左翼だった人が左翼に幻滅して、次は右翼になりやすいのと同様に、彼は「既成の宗教・物質社会に幻滅した人々」の「反対の受け皿」になっていたんですね。

彼の言い回しは若い頃に宗教指導者になるための訓練を受けていただけあって非常に上手く出来ていますので、「宗教に幻滅した宗教的な人々」はハマる人も意外に多いと心理学的に予想できますが、

クリシュナムルティ的なアプローチにハマった場合、それはむしろさらに深い自己欺瞞のパラドックスに陥るだけが関の山でしょう。

クリシュナムルティと二重人格 http://koledewa.blog57.fc2.com/blog-entry-91.html

そして「世界の秘境のエッセンス」をかき集めて体系化した神智学や人智学のシュタイナーに見られる「神秘体験と霊的世界と霊的進化の幻想」が作り出す病的な霊的プロセスにどっぷり囚われている人は未だに沢山います。

またシュタイナーとは異なるタイプのグルジェフ系の「神秘的超人思想」類にまんまとハマっている人 も未だに沢山います。ですが彼もまた精神世界によくみられる一人教祖タイプで、霊的な自己肥大者の典型の姿だったわけです。 カリスマ詐欺師 ⇒ G. I. Gurdjieff (1872?-1949)

 

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