不安・嫌悪とイジメの原理  新しい科学ニュース  

 

前日(2014年 2月12日) TBSで「人間とは何か」の特集番組があり、「うつ」や心・精神の不調の脳内メカニズムの脳科学的な最新研究が紹介されていました。そこでの内容を見て、少し補足しておきます。

記事前半で「不安」に関する新しい科学ニュースを紹介し、記事後半では「嫌悪とイジメの原理」をテーマに、これまでの深層心理的分析とは少し異なる心理学的な考察を行っています。

「心・精神」というものは、昔は宗教や精神世界が扱う領域だったわけですが、例えば自然科学的研究の対象となりにくかった「情動」に関しても、そのメカニズムは徐々に明らかにされているわけです。

情動と強く関連する記憶」は、扁桃体が深く関係しているといわれています。

(例)両側の扁桃体に限局した変性が認められる稀な遺伝性疾患の患者さんでは、短期記憶や認知機能には障害が認められないのにもかかわらず、情動的な事象に関した記憶が選択的に障害されている事実が報告されている。

扁桃体は恐怖・嫌悪という生物の本能的な感情と深い関係があり、扁桃体神経回路のメカニズムを研究する科学的アプローチは、「情動」という心の領域を生物学的観点から解明するキッカケになりました。

脳科学研究の中で最近非常に注目を集めているニューロン新生のしくみと、精神機能に対する影響について明らかにするための研究プロジェクトの研究結果が、「ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明」というサイトで報告されています。

遺伝子、細胞、組織、個体、環境という、複数の階層にわたる研究で、科学技術振興機構(JST)の支援により平成21年度まで行われました。2010年度までの研究結果の一部がわかります。参考にどうぞ。⇒ 国立精神・神経センター神経研究所微細構造研究部 湯浅 茂樹

 

ですが、アメリカ国立精神衛生研究所の最新の研究結果では、ネガティブな感情・情動の原因を扁桃体神経回路のみに帰結するのは不十分という結果も出ているんですね。以下にその記事を紹介しています。

恐怖や嫌悪ほど強い感情ではないですが、「不安」という感情があります。これは今までは扁桃体に何らかの原因があると思われていたわけですが、どうやらそうではないような実験結果が報告されているのです。

TBS「人間とは何か」でも、ネガティブな感情を扁桃体のみに帰結する従来通りの内容でしたが、例えば「不安症」に対する決定的な効果のある薬は未だに開発されてはいないわけです。

つまり「心・精神」への脳科学アプローチでは、まだその構造を完全に明確にはできていないわけなので、科学という名のもとに「絶対こうである」という決めつけはできないんですが、徐々にその全体像へと迫ってきているのは確かなことでしょう。

「2014年1月30日 サイエンスデイリーより  カリフォルニア工科大学発表」 より引用抜粋

アメリカ国立精神衛生研究所によると、アメリカ国民の成人の18%が不安症に悩むという。不安症患者は日常、不安に襲われ生活に困難を来たしている。

今まで専門家は、不安の中枢である扁桃体に注目していた。しかしカリフォルニア工科大学では、外側中隔と言う脳部分が不安に関係しているのではないかと狙いをつけた。
(中略)
「今まで不安症を治す薬がなかったのは、未だ脳の不安のメカニズムが分かってなかったからです。今回、不安を加速させる神経回路が分り、不安を和らげる薬に結びつくのではと期待している」
(中略)
実際、外側中隔を人工的に刺激すると、動物のストレスホルモンの分が高まるのを実験で確認した。また、外側中隔の刺激を減らすと、動物のコルチゾール分泌が下がった。

「外側中隔からの信号は不安を抑えると考えられていたのに実際は逆あったのです。このメカニズムが分かったので、薬は外側中隔の動抑制するものでないとならない」とアンダーソンは言う。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ サイエンスデイリーより  カリフォルニア工科大学発表

 

2017年 2月24日 サイエンスデイリーより 【追加更新】

不安症」を引きおこす三つの力学「ストレス・経験・遺伝要素」の中で、遺伝要素としてはGLRB遺伝子変異体が関連しているという研究報告があります。⇒  新しく発見された不安遺伝子

 

イギリスの心理学者ニコラス・ハンフリーは、意識と超自然現象への信念に対するダーウィン主義的アプローチによる研究を行い、霊長類の研究によってマキャベリ的知性仮説の基盤を作った人ですが、

彼の書いた『喪失と獲得』という本の中に「科学と非科学の非対称の理由」を書いた箇所があるので以下に引用紹介します。

科学と非科学のあいだのこの非対称の理由は、科学が非科学よりもすぐれた-はるかに経済的で、エレガントで美しい-説明を提供するということ(それはあるのだが)だけではない。少なくとも唯一の理由ではない。

もっと強力な理由は、科学がまさにその本性において参加型の過程であるのに対し、非科学はそうではないことだと、私は言いたい。

科学を学ぶことで、私たちは、なぜ私たちがあれやこれやを信じるべきなのかを学ぶのである。科学は甘言でつることはせず、命じることもなく、何かがなぜそうであるかの事実的、論理的論拠を並べるのである。(引用ここまで)

確かにこの部分は同感ですね。私が科学が好きなのもこの部分でしょう。と同時に、それだけでは不十分という視点も大事だと思いますね。

 

嫌悪とイジメの原理

いじめは減っているのでしょうか?増えているのでしょうか?実際は急減も急増もしていないんですね。この辺りの具体的な統計データと考察に関しては以下のサイトを紹介します。

○ 参考サイト ⇒ いじめは「急増」も「急減」もしていない

上に紹介の参考サイトの中で、『日本では他国より、「傍観者」の割合が多く、「通報者」「仲裁者」が少ない』、と書かれているのですが、この日本の特徴が、いじめが隠された陰湿なものになりやすい構造性にもなっていますね。

世界でのイジメ調査も一応あるのですが、実際イジメは表に出にくい特質があり、また何を持ってイジメと認定するかも国の文化や精神的暴力への捉え方で変わるために、客観的に数字化するのは難しい一面があるでしょう。

例えば過去の世界でのイジメ調査ではアメリカは上位には入っていませんでしたが、AFPBB News(2017年01月31日更新記事)に以下のような報告があります。本当はアメリカも相当に多い国だったんですね。⇒ 米国の子ども4人に1人が「常態的ないじめ」経験、研究

 

今回はこのような社会的な構造性を見るのではなく、もっと生物学的な、世界共通の「いじめの特質」のひとつをみてみましょう。

通常、私たちは「自分に害をなした人物・生き物」あるいは「なすかもしれない人物・生き物」を嫌う、という心理が明らかなものだと思っています。

ところが、ニコラス・ハンフリーは、「私たちは、他の人々を、彼らが何かしたからではなく、私たちが彼らに何をしたかのゆえに嫌う傾向ある。」と語ります。

実はこれ、私は子供の頃から直感的に知っていました。

私は「通常、人が苦手とする気味の悪い生き物」が怖くありません。まぁ多少苦手なのもいますし、触れたりはしませんが、近くにいても怖くはなく、「おっ出たな」くらいです。

大体、世間で気味の悪いとされている生き物は、命に危険があるような生き物でないことが殆どで、攻撃をしてくるわけでもないので、私は慌てることもなく、勿論殺しません。

不思議なことに、こちらがそうやってのんびりしていると向こうも慌てません。ゆっくり誘導すると、窓から素直に出ていきます。大概は殆どバタつくことなく、そのまま出ていきます。

みなはその光景を見て「虫がおとなしい」ことを不思議がりますが、私は前からこんな感じです。私は子供の頃、最初は殆どの子供がそれほど虫や生き物を嫌っていなかった状態を知っています。

ところが「気味が悪い」と親が怖れて言い、そして殺している姿を見て子供たちが真似るうちに、子供は「虫は何もしていないのにどんどん虫を嫌いになっていくという心理の変化の過程を見てきました。

この観察はヒトに対する心理にも通じるものがある、と私は子供の頃から感じていました。ニコラスハンフリーは『喪失と獲得』でこう述べています。

言い換えると、敵意や嫌悪は自己充足的なのである。私たちは、自らの行動の結果として、敵対的な態度を発展させるのであり、おこなうことによって学ぶのである。

もし私がほかの誰かを傷つければ、その人に対してやさしくする気持ちになるだろうと、あなたは考えるかもしれない。しかし研究、とりわけ子供についての研究は、まるっきり逆のことを示している。

ほかの人間を傷つけた子どもは、たとえ事故であった場合でさえ、犠牲者の悪いところを考え、要するに、その子がそういう報いを受けるのは当然なのだという理由を考えだす。

そして大人は一般にもっと手の込んだ感情をもつが、同じことがいえる。それはまるで、人々が事件の後で、自分自身のおこないを合理化する必要があるかのようである。

そして、私たちがいかにしてほかの誰かに危害を及ぼしたかを説明する唯一の方法は、何らかの方法で、彼らはそうなって当然だったのだと自らを説得することである。(引用ここまで)

これは「子供のいじめ」の原因となる情動の構造でもあるでしょう。ですが子供だけではないですね。大人もそうです。自分が直接、傷つけられたから嫌っているというだけではないですよね。

社会的弱者や貧しい人々を毛嫌いしたり、心・精神の病の人を傷つけバカにしたり、下の立場や自分よりも力の弱いものを虐めたりしていること自体が、それへの嫌悪を強めている姿はよく見受けられます。

そして本当はそんなに悪くない人なのに、同調圧力や印象操作で過剰に悪いイメージを持って集団で攻撃したり排斥したり嫌がらせしている側の方こそ、「ますますそれへの嫌悪を強めている」という姿はよく見受けられます。 過剰なクレーム意識過剰な自己責任論などもそうですね。

その人は本当にそんなに危険で酷く破壊的なことをする人でしょうか?その生き物は本当にそんなに危険で酷く破壊的な生き物でしょうか?いえむしろ「破壊的な追い込み」をしているのは「そう決めつけて嫌悪し排斥している側」だったりするわけです。

コメント

  1. […] ◆嫌悪とイジメの原理 […]

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