スピ的陰謀論、仮説的アイデアと科学的・物理学的事実 

 

過去に、新興宗教の教義や精神世界をいろいろと分析したことがありますが、大方、今のスピ界隈ででてくる概念や思考パターンの多くは、過去のものを使いまわしているだけか、少し変化を加えているだけで、あまり新しくないですね。

 

スピのインフルエンサーの認知フレームは、喩えるなら、「ニュートン(雑誌)+ムー(雑誌)」という感じの人たち。しかし、ひとつひとつの分野の知や理解は深くない。

中途半端に「科学的知識」で権威づけをせずに、もっと「野生の思考」で突っ走ればいいと私は思います。スピはスピを突っ走れば、科学とは異なるものに触れるでしょう。それはそれで科学にはない価値があるかもしれないのです。

これは哲学もそうでしょう。哲学は心理学とは異なるし、物理学とも異なる。哲学は哲学を突っ走ったほうがより哲学が深まり、現代においても科学とは異なる大きな価値を確立できるでしょう。

 

ではここで一曲紹介です。前回に引き続き、ハニア・ラニさんです。2020年リリースの2ndアルバム『Home』では、自身のヴォーカルを初披露しました。声もいいですね~♪

 

A=440 Hz標準化の由来と陰謀論の否定

【スピ的誤解例】 1906年の国際会議でロックフェラー財団がA=440 Hzを一方的に押し付け、人々を不安定にする世界征服計画の一環とされた。

歴史的事実:A=440 Hzは1930年代に米国規格協会で推奨され、その後1950年代に国際標準化機構(ISO)でも正式に採用されました。

これは楽器間の演奏調と録音・放送機器の整合を図るためで、特定の財団による陰謀ではありません。A=440 Hz自体が特定の感情を一貫して引き起こすという信頼できる科学的証拠も存在しません。

 

平均律の不協和で不安をあおる、という主張の誤り

【スピ的誤解例】 「12平均律に含まれる微小な音程差(たとえばシントニックコンマ約22セント)が人間を不安状態に陥れ、消費や野心をあおる」とされる。

実際:人間の心理や行動は、音程だけで一方向に制御できるほど単純ではなく、社会的・認知的・文化的要因が複雑に絡み合います。

平均律と純正律の聴き分けや、それによる情動変化を一貫して引き起こすという統計的に有意な実験結果は確認されていません。

 

「純正律」に関するオペラ歌手の車田和寿さんの動画を紹介します。

 

動画の内容を以下にざっくりまとめています。

 

平均律の基本

現在ピアノで一般的に使われている調律法が平均律です。ピアノの鍵盤では、1オクターブに12音あります。平均律は、その12音の間隔をすべて等しく(約100セントずつ)する調律です。

どの鍵盤から始めても同じ幅の音程が得られるため、どの調でも美しく和声が響きます。
19世紀後半から20世紀の和声の複雑化に伴い、あらゆる調で演奏可能な平均律が標準になりました。

ただし、平均律には「純粋な和音が鳴らせない」という欠点があります。

バロック時代には、最後に鳴るド・ミ・ソの三和音を特に「純粋」に響かせることが重視されていました。しかし平均律では、この三和音(完全五度や長三度)の音程が整数比から約14セントずれているため、ビート(うねり)が生じ、濁って聞こえます。

純正率とは

純正率は、すべての音程を整数比(オクターブ2:1、完全五度3:2、長三度5:4など)に合わせる調律法です。ド・ミ・ソの三和音をビートなくクリアに鳴らせる。周波数を整数比で揃えることで、「文字通り純粋な和音」が実現します。

純正率が実用的に難しい理由

ピアノを純正率で調律すると、ハ長調以外の調では大きなビートが発生します。ピアノは演奏中に調律を変えられないため、曲目が極めて限定されます。

人の声や管楽器はリアルタイム微調整が可能でも、転調を繰り返すと最終的に元の調に戻った際に音程がずれてしまい、音楽が破綻します。

純正率で演奏可能なクラシック作品はごくわずかで、主に単一調のシンプルな曲に限られます。

音楽表現における本質

音楽で大切なのは「純粋さ」だけではなく、和音進行が奏でる心情の変化を感じ取ること、そして演奏者がそれを表現すること。完璧な音程だけを追求するのではなく、不完全さが人間らしい味わいを生むことを忘れてはいけません。

 

「国立音楽大学で、ゲオルグ・フリードリヒ・ハースに質問する」より引用抜粋

「音程が悪い」ということを、私は音楽に命を与えるものと思います。完璧なユニゾンであるとか、倍音列に従った完全に純正律的な調律、というものは、退屈だと思うのです。なぜなら、そこには「震えvibration」が起こらないからです。

「震え」というものが美しさを生み出すのだと、私は思っています。平均律のピアノで完全五度を弾いたとき、それは純正な音程ではないので、先ほど弾いてみたように、そこには震えが生じています。それが美しさだと思うのですが、平均律の問題は、それを変えることができない点にあります。

私は全部自分で決めたいタイプなので、微分音的なアプローチで、自分が求める「震え」を適宜出している、ということになるかと思います。引用元 ➡ 国立音楽大学で、ゲオルグ・フリードリヒ・ハースに質問する

 

最近のスピ・オカルトのあれこれ

もし科学的厳密性を求めるならば、スピの人たちの仮説はあくまで思索の一例として位置づけ、実際の実験的・理論的検証がなされていない点を明確に区別する必要があります。

たとえば、“良い波動”が人を癒し、“悪い波動”が害を及ぼすというとき、それを安直に科学に結び付けるとおかしくなります。

波の位相(+/-)は測定参照点や電極配置によって任意に反転可能であり、本来は物質の善悪を示すものではありません。

 

あと、「純正律」だけが「自然の癒し周波数」とする誤認もそうですが、純正律と12平均律の差は平均で数セント(音程差)にすぎず、人間の音程識別器達精度は約5〜10セント。

EEGや心理物理学の研究で「純正律固有の脳波同調効果」を示す信頼できる論文は存在しない。

特定の調を「心身にベスト」と断言するには、対照群付きのランダム化比較試験レベルの裏付けが必要ですが、いまだ提示されていません。

そして、シューマン共振は地球と電離層間で発生する極低周波(約7.8Hz)であり、可聴帯域(20Hz~20kHz)の音楽とは周波数帯が完全に異なります。

これを「純正律の音が地球と共鳴する」と結びつけるのは周波数の桁を取り違えた誤用で、「共鳴現象の物理的仕組み」として成立しません。

 

 「仮説的アイデア」と「物理学的事実」

また、量子力学の安易なスピ転用はよく見られますが、量子情報理論のノーコミュニケーション定理により、エンタングルメントだけで情報は伝達できません。

さらに、脳内は温かく湿度の高い環境であり、量子コヒーレンスは瞬時に失われる(デコヒーレンス)ため、意識を量子的プロセスに結びつける実証データは一切存在しません。

 

ほかにも、「意識が量子情報として宇宙空間に放出される」といった主張もそうですが、「量子が重力や時空を超える存在」という表現は誤解を招きやすく、

量子力学は重力理論とは別の理論体系であり、量子情報が死後に宇宙空間に「放たれる」という科学的根拠はありません。

かつて「21グラム説」として知られる実験(D.マクドゥーガルの実験など)は、肉体の死後わずかな体重減少を報告しましたが、その再現性や測定方法に大きな疑問が呈され、学術的に認められる結論には至っていません。

 

また、『霊魂や意識が暗黒物質(ダークマター)と直接関連している』というような主張もあるようですが、

そもそも、ひとつひとつの「科学的概念」を明確に捉えていないだけでなく、意味を変えてしまっています。これでは「科学的知識でスピ論理を補強する」ことは出来ません。

ダークマターは、既知の素粒子(電子、陽子、中性子など)とは異なる未知の粒子であると考えられており、意識や霊魂といった哲学的・宗教的概念とはそもそも無関係で、

ダークマターは重力にのみ反応し、電磁相互作用とは極めて弱い(あるいは全く反応しない)性質を持つことは確かですが、これを人間の意識や霊魂に対応づける科学的根拠は存在しません。

そしてダークマターは銀河全体を取り巻くハロー(球状分布)として存在し、局所的に高密度になるものではありません。地球近傍での暗黒物質の密度は非常に低いと推定されます。

 

ほかにも、「ダークマターが地球内部に集まり、霊魂の質量として残っている」という主張もみられますが、現行の宇宙論や天体物理学の知見に反します。

ダークマターは銀河の周囲を回る粒子の流れを形成しており、地球のような惑星に接近すると、その重力によって粒子の流れが折り曲げられ、髪の毛のようなフィラメント構造になると予測されています。

この構造には「毛根」と「毛先」があり、毛根は地球の核を通過した粒子が集まる超高密度領域で、地球から約100万kmの位置に形成されるとされていますが、

これはあくまで通過・流れの現象であり、地球内部にダークマターが集積して重さとして残留するわけではありません。

ダークマターは通常の物質とは異なり、電磁相互作用を持たないため、地球を物理的に通過します。

 

そして、ブレーンワールド仮説は、我々の宇宙が高次元空間内の「膜(ブレーン)」上に存在し、重力など一部の力だけが余剰次元(高次元空間)に広がるとする理論であり、

「霊魂」や「死後の世界」との直接的な関連は物理学的な議論の中には含まれていません。

超弦理論やブレーンワールド理論の主要な提唱者である南部陽一郎、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ベック・ニールセン、ピエール・ラモン、アンドレ・ヌヴォー、ジョエル・シュワルツの中で、

「死後の世界」や「霊的な世界」を肯定したり、宇宙物理学と結び付けて仮説を立てている人物はいません。

これらの理論物理学者は、いずれも厳密な科学的方法と実証主義に基づき、自然界の根本法則の解明を目指してきました。

 

そもそも宇宙物理学でいう「次元」と、スピリチュアル・オカルトでいう「次元」は、互いに異なる文脈と目的で用いられる概念です。

前者は数学的・実証的な枠組みに基づいており、空間や時空の記述に必要な座標軸の数を意味します。

一方、後者は比喩的・象徴的な意味合いが強く、「現実の異なる層」や「意識の階層」「霊界」といった、個々の内面や精神的体験を語るための表現となっています。

このように、同じ「次元」という語句でも、その意味するところは全く異なっており、文脈を十分に理解した上で使い分ける必要があります。

科学で使われている用語の意味を好き勝手に変えずに、そのままの意味で使うならば、科学で使われている「次元」という概念は「そもそもスピの意味での次元とは何の関係もない」となるだけで、かえって「スピの真実性」を自ら否定することになります。

だからスピはスピで安易に科学を権威づけで使わず、文脈の異なる専門用語を使わずに、感性で触れていった方が科学とは異なる面白さがあるので、そのほうがいいんじゃないかと思うんですね。

 

多くの場合、スピ論理は科学の思考水準には全く達していないどころか、前提からしてズレていることが多いので、「スピ的な概念の認知フレーム」が科学的思考・理解の障害となり、かえって科学的思考から遠のいているいることが多く、

科学から遠のいているのに、脳内では「一致している、辻褄が合っている」と思い込みを強化することがあるため、それでは野生のスピからも科学からも離れていくでしょう。

「いや、それもふくめての壮大なエンタメなんだ」と割りきっているならいいですが、「それ以上の何か」と思っているのであれば、ヤバいレベルの勘違いさんでしょう。

そういう勘違いが肥大化した先にカルト教祖のような人たちがいますので、「無知の知」を失わない方がよいかと思います。

 

「っぽさ」のほうが「商業的な結果」が出やすい

広く浅い科学的知識はあり、また複数の他者からの情報をあれこれ得て、それらをミックスして論を立てる程度のことを「科学的思考」だと思い込んでいる人は多いけれど、

多くの人々に受け入れられるのは、パッと見ただけで「〇〇っぽい」と認識できるもの、つまり既存のフォーマットやイメージに合致するものです。

ガチの科学は難しいので認知的負荷がかかりますが、「科学っぽい」と認識できるものはわかりやすいし、なんか科学的な思考をしている気分になるので、それで満足してしまう。

これが再生回数、動員数、売り上げという数値で表れるため、商業的には「っぽさ」が重要視される。

大衆受けは「っぽさ」のほうが圧倒的だから、再生回数とか動員数とか売り上げとかを目指すなら、「っぽさ」のほうが「商業的な結果」が出やすい。

世の中というのはそういうものであり、そういうものであることそれ自体は良くも悪くもない。ただ「そういうものである」というだけ。

しかし、「っぽさ」のほうが「商業的な結果」が出やすいのは世の中がそういうものだからそうなっているだけなので別にどうでもいいのですが、「っぽいもの」があたかも「ほんもの」みたいな顔するのは違うと思いますね。

「っぽいもの」には「っぽいもの」としての価値があり、「ほんもの」には「ほんもの」としての価値があり、それは別々の尺度でみられるもので、同じ基準・モノサシではみれないものなんです。

科学は科学的手続きが明確で厳密なため、それがやりにくい。むしろだからこそ科学は分野を超えて広く権威論証として使われるのでしょう。人が科学的エビデンスを求めるのも、他の分野より確実性が高いと信頼しているからでしょう。

 

胡散臭いまままでいいじゃないですか、そもそも「胡散臭いもの」として予定調和で楽しむのがオカルトなんだから。

基本的に嫌いじゃないんですよ、オカルトもスピも。

胡散臭いという評価を恐れず、そのままエンタメの次元とか、野生の思考で楽しくやってればそれなりにおもしろいのに、変に科学的な権威付けを行おうとするからズレていくだけだし、

強引に自分たちが優位に立とうとしてその方向にぶっちぎって暴走したのがカルト宗教なのだから、そうならないよう気を付けた方がいいんじゃない?という感じです。

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