原始・太古の音とリズム  振動のダイナミズムと心に響く音色 

 

民族音楽と音のルーツを深く辿っていくと、音・振動が生み出す宇宙から認識する現実というものに辿りつきます。

 

そして「原始・太古の音・リズム」、その振動のダイナミズムを私たちは忘れているようで覚えてもいます。ですが人によって原初的なリズム感が、大きく欠乏していたり、そうでなかったり、個人差があります。

 

私たちが大自然や原始的な何かに向かおうとする時、そこには「不足した、失われた原初的なリズム」、その振動のダイナミズムを取り戻そうとする衝が潜んでいることがあります。

 

その「不足感」を感じ取るのもまた感性なので、人によっては不足していてもあまり感じなかったり、逆に少し不足しても敏感に感じる人もいるでしょう。この種の感性の敏感さや鈍感さはかなり個人差があるからです。

 

また、「インディアン、シャーマン、仙人、インド・チベットの聖人などに遭いたい」などという衝動の中にも、現代社会の生活の中で不足した、失われた振動のダイナミズムを取り戻そうとする衝が潜んでいることがあります。

 

ですがこのあたりのことは今回は詳しくは書きません。これはまたいつか他のテーマで書きますね。

 

振動のダイナミズム

 

以下に紹介の動画は「土取利行」さんによる古楽器の演奏ですが、「リズムと振動」が体に響いてくるダイナミズムを感じます。

 

LIVE 鼓空/ 土取利行&キム・テホ @ソウル国立劇場

 

 

心に響く音色

 

以下にアイヌに関連する動画を二つ紹介していますが、アイヌ民族は文字を持たない民族で、その自然と深く共生している文化や人々の雰囲気には、アメリカンインディアンとの共通性を感じさせます。

 

ではまず、動画【100年前の美しいアイヌ民族】を紹介します。この動画に使用されている楽曲は奄美の唄者「朝崎郁恵」さんの『阿母(あんま)』ですが、この歌も素晴らしいです。

 

「以下動画説明文より引用抜粋」

アイヌ民族には女性の唇に刺青を彫る習慣があり、精霊信仰の一つであったと言われて居ますが日本の和人との同化政策及び、和人からの激しい差別によりこの習慣は消え、ア­イ-ヌ人の人口も保々消滅し、現在ではアイヌの習慣も保々忘れ去られ唇に刺青を彫った­明確-な理由も余り良く分かっていません。    (引用ここまで。)

 

【100年前の美しいアイヌ民族】狩猟家ダイアリー 07

 

では次は再び「土取利行」さんが演奏の縄文鼓と、安東ウメ子、オキさんが歌い演奏するアイヌ音楽のコラボ演奏の動画を紹介です。

 

縄文鼓とアイヌ音楽/土取利行、安東ウメ子、オキ

 

 

アフリカ音楽

 

人類の祖先とも言われるアフリカ人の民族音楽・楽器と歌と打楽器のリズムはシンプルながらワイルドでパワフル、元気が出てきますね♪ 自然に踊りたくなってきます。動画を二つ紹介です。

 

African Rhythms – Sorsonet performance at the Dance to theFuture 2009 show

African Folk Music Instrumental | Marimba, Kalimba, & Drums

 

素朴でシンプルなヒトの姿の原点

 

芸術」と「宗教」の起源は共に遥か昔の「旧石器時代」に既にその存在が確認されていますが、数万年~数十万年単位の長い人類の歴史に常に存在したものであるが故に、

 

どれだけ地上を都市化して人間意識に特化した仮想現実社会を形成しても、どれだけ世界を近代化・合理化しようとも、元々大自然の産物でしかない地上の動物であるヒト」の自然感性には、「芸術」と「宗教」の元となるものが根深く存在し続けるでしょう。

 

それは人間存在から安易に切り離せないものであり、感性から根こそぎには出来ない生命意識の一つの創造的側面から生まれるものでもあるからです。

 

なのでこの創造的衝動を抑えつけたり殺すのではなく、「時代・社会・文化に調和し昇華された表現」として、その生命力を保ったままどのよ還元・表現するか? というところに力を注ぐことが大事だと感じますね。

 

少し話が変わりますが、私は奥アマゾンのインディアンやアメリカンインディアンなど、「本当に原始的なシャーマン」には昔から興味があります。

 

本来のシャーマンは「誰もなりたがらない役割」だそうです。何故かと言うと、孤独で責任が大きく、とても地味で大変な仕事だから、若者はそんな辛い役割は避け楽しく生きたいからです。本物は大抵そういうものです。

 

信者から大金を稼いだり、騙されやすい人々の時間や人生を搾取し、自らの野望やカリスマ的な自己肥大欲求や万能感・全能感の欲望・願望を叶えたいためにそういう特殊な役割があるのではありません。

 

本来のシャーマンはとてもユニークで優しく、森のあらゆる薬草や・自然現象の精霊的領域に熟知している大自然の知恵者であり、その感性・知識は驚くべきものがあるんですね。なので私は彼らを決して馬鹿にはしていません、むしろ尊敬しています。

 

私が批判あるいは病的だと分析しているのは、「現代社会」の中で自称シャーマンとか何とか勝手に思い込んで、霊感商法的ビジネス活動をしているような連中です。

 

話しを戻しますが、最近は凄い創造性に溢れた作曲家や詩人が殆ど出てきません。そして宗教にしてもカルト系教祖能力開発系のカリスマ脳科学者みたいな、自己大した「俺様・神様・仏様の洗脳ビジネス」とその盲信者ばかりですが、

 

まぁそれも創造的衝動の歪んだ現れであり、自己愛の歪んだ形なので、「時代・社会の病理を象徴している姿」のひとつでもあるでしょう。

 

そして現代社会のような創造性の欠乏状態あるいはその反動による過剰な暴走・脱線状態におかれているような時は、やみくもにそのまま突き進むのではなく、

 

そもそもその始まりはどのようなものであったか?、何のためであったか?」を、実直に歴史を観察・研究しなおしてみれば、素朴でシンプルなヒトの姿の原点にたち戻っていくでしょう。

 

まぁですが「竹内文書」みたいなものに簡単に飛びついて安易に飛躍した結論に走るタイプの脳は、歴史を観察・研究することでまたさらに脱線していくので、

 

そういう人はまずはすぐに結論を出さずに、「あまり内容的に面白くもない地味な史実」を淡々と科学的に見つめる訓練から始めましょう。

 

そうすれば陰謀論トンデモ論などに過剰にハマって人生の貴重な時間を無駄にしたり、他者の「真っ当な指摘」も耳に届かなくなるような愚かな過ちはおかさなくなるでしょう。

 

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