今日は、「平野達彦」容疑者・「集団ストーカー」などを取り上げつつ、「被害妄想と錯覚の強化による異常人格化」と『 集団の「呪い」が生み出す負の現象 』という角度から、犯罪心理と異常なパーソナリティの後天的要因を分析しています。
今回は一般的な犯罪心理学や精神分析に止まらず、「無意識の感性的理解」から見えてくる「意識内部で起きていること」への洞察も加えて分析しています。
平野達彦容疑者が過去に通院していた精神科の診断では「妄想性障害」と診断されたそうですが、これは「妄想性パーソナリティ障害」よりも重いといわれ、また妄想性パーソナリティ障害や統合失調症は若い人に発症する傾向に対し、妄想性障害の発症時期の傾向は成人中期~後期であるのが特徴、などともいわれてます。
妄想性パーソナリティ障害に関しては、以下の過去記事を参考にどうぞ。過去記事 ⇒ 妄想性パーソナリティー障害(パラノイア)とは?
以下にDSM-IVでの妄想性障害の診断基準と、さらにより新しいDSM-5の参考PDFを紹介しておきます。
まぁDSMという分類法は完全ではなく、多角的に見れば矛盾や問題点もあると感じますが、ひとつの基準として参考・目安にもなるとは思います。DSMとは何か?に関しては⇒ 精神障害の診断と統計マニュアル を参考に。
DSM-IV 妄想性障害の診断基準
(以下A~Eの全てを満たす)
A. 奇異でない内容の妄想(すなわち、現実生活で起こる状況に関するもの、例えば、追跡される、毒をもられる、病気をうつされる、遠く離れた人に愛される、配偶者や恋人に裏切られる、病気をもっている、など)が少なくとも1ヶ月持続。
B. 統合失調症の基準Aを満たしたことがないこと。
C. 妄想またはその発展の直接的影響以外に、機能は著しく障害されておらず、行動にも目立った風変わりさや奇妙さはない。
D. 気分エピソードが妄想と同時に生じていたとしても、その持続期間の合計は、妄想の持続期間と比べて短い。
E. その障害は物質(例:乱用薬物、投薬)や一般的身体疾患による直接的な生理学的作用によるものではない。
病型
色情型:妄想が他の誰か、通常社会的地位が高い人が自分と恋愛関係にあるというもの。
誇大型:妄想が肥大した価値、権力、知識、身分あるいは神や有名な人物との特別なつながりに関するもの。
嫉妬型:妄想が自分の性的伴侶が不実であるというもの。
被害型:妄想が自分(もしくは身近な誰か)が何らかの方法で悪意をもって扱われているというもの。
身体型:妄想が自分に何か身体的欠陥がある、あるいは自分が一般身体疾患にかかっているというもの。
混合型:妄想が上記の病型の2つ以上によって特徴づけられるが、どの主題も優性でないもの。
参考PDF ⇒ DSM-5病名・用語翻訳ガイドライン(案)
「引きこもり」だからとか、「無職」だからとか、「アニオタ」だからとか、そういう短絡的な決めつけ・レッテル貼りは単にスティグマ社会の強化にしかつながらず、
その結果、部分的な類似性で同一のレッテルを貼られた人々は、ひとくくりのイメージで見られてしまうことで「個々の大小の相違」を全く見られることなく一方的に決めつける傾向になるわけなので、
やはりこのような分析を行う者は、プロであれ素人であれ、一つの角度、情報、世間の空気や一つの専門知識だけに囚われず、様々な視点・感覚を持つ、ということが必要でしょう。
そして何のための分析なのか?という点も大事でしょう。例えば「人の心・精神の病理を治療する役割」の精神科医や心理カウンセラー、あるいは児童・青年を教育・指導する立場の教師などが、
「問題を起こした病的な若者たち」をただ一方的に裁き批判し、公的に晒し吊し上げるようなことをするのはいかがなものでしょうか?
大きな問題を起こした若者たちを安易に無思慮に肯定し擁護しろとはいいませんが、「治療する側・原因分析をする側・指導・教育をする側」がただの断罪的批判しかせず、あるいは利害関係や立場上の都合でのポジショントークに始終したり、
個人的な怒り憎しみや好き嫌いの感情論に囚われていたり、イデオロギー・思想的な対立に巻き込まれているだけだったり、そういう大人の残念な姿を見た時、私は失望感と不信感以外何も感じません。
そのような大人たちの姿には建設的な具体的な問題の解決策はどこにもなく、治療・更生・更新へ向けた立体的取り組み姿勢も殆ど感じられず、
本質は何にも変えないまま「表面に現れた悪の現象」だけを叩き続け排斥して、「臭いモノに蓋をして社会から完全に抹消して視界から見えなくしてハイ終わり」、というだけですね。
電磁波攻撃とかギャングストーキング(集団ストーカー)とか、思考盗聴とかユダヤ陰謀論など、様々な妄想を生じさせる意識状態とは一体どういうものなのでしょうか?
「3.11は地震兵器による人工地震だ!」とか、「某宗教団体の信者によって監視されている!」とか言う人々を見かけますが、例えばスピ・オカルト系の人々にもよく見かけます。
まぁ新興宗教の信者などによる迷惑行為というのはこれまで大小さまざまな実例があったわけで、何もかも全てがウソとまではいいませんが、地震兵器HAARP、人類家畜化計画、3S政策、爬虫類宇宙人などなど、スピ・オカルト系新興宗教・思想組織は「被害妄想」のオンパレートです。
そして集団ストーカーを信じてる人も沢山存在し、デモまでやってる人もいます。
ですがそういう人たちが現実に沢山存在してはいても、それらの人々が実際に平野容疑者のような物凄い凶行に及ぶようなことはまずないわけで、「被害妄想」=「凶行」というような短絡的な構造ではないわけですね。
やはりここには複合的な要因が幾つも絡んでいると分析されます。これは統合失調症や他の精神疾患などにしたってそうです。それ単体で危険、というようなものではないのです。
まず以下の「集団ストーカー」の研究サイトを紹介しますが、この方の分析では平野容疑者は統合失調症ではない、ということです。
「集団ストーカー(ガスライティング)13年間の研究レポート」より引用抜粋
集団ストーカー(ガスライティング)は複数の要因から成り立ち、その複数の要因には、要因の要因、更には要因の要因の要因がある。そうした要因を書き出すと以下の要因があり、それらの要因が複雑に絡み合いっている。
集団ストーカー(ガスライティング)の要因
1. 不安
2. 情報の非対称性
3. 脳(前頭葉)の機能低下
4. 孤独
5. マインドコントロール
6. 神経及び精神疾患
7. 社会性の欠如ネット上では「集団ストーカー(ガスライティング)=統合失調症」との風聞が高い。それは医師の診断にも同じ様な傾向がある。しかしそれは誤りであり、その誤りが誤診を生む。
そうした誤診を防ぐ為にも、こうした要因の相関関係を理解する事が必要と考えられる。こうした要因の中で最も重要な要因はマインドコントロールである。
集団ストーカー(ガスライティング)と言うマインドコントロールに陥りやすい要因として、様々な疾患があり、その疾患の症状としての不安や孤独もあれば、逆に疾患の原因としての不安や孤独もある。
その不安や孤独を引き起こす要因として多いのが「社会性の欠如」であり、発病する事でも社会性は失われる。また、マインドコントロールによっても前頭葉の機能が低下し、病を発症する事でも脳の機能は低下する。
更に元々前頭葉の機能が低かった人はマインドコントロールに陥りやすい傾向にある。そして、疾患を発症していない人でもマインドコントロールによって不安に落とし込まれ、その不安によるストレスから病を発症する。
そのマインドコントロールの入口となる物が「情報の非対称性」であり、情報の非対称性が不安を生む要因となる。
そして、前頭葉の機能が低下している人や、心に病を持った人が、そうした情報の非対称性を作り出し、そうして作られた情報の非対称性が、新たなる要因を持つ人を不安に陥れる。こうした要因の連鎖がスパイラル化した物が、現在の集団ストーカー(ガスライティング)である。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
まぁこれはカルト系組織などでもそうだし、情報統制を行っている独裁国家でも「仮想敵」から攻撃を受けているという類の洗脳的な工作は昔から行われており、
ガスライティング的な妄想的情報操作によって大衆の恐怖心や怒りを煽り、「攻撃性」の方向性を操作しながら集団をマインドコントロールする、という手法は別に珍しいものではありません。
ですが洲本5人刺殺事件の場合、平野容疑者は事件のずっと以前から継続して妄想性の精神病理を抱えていたという事実を見ると、この事件はおそらくもっと根が深いですね。
平野容疑者は非常に病的なレベルの「変性意識状態」になっていますが、何故そのようなものが形成されたかを複合的に分析していきましょう。
この世の中には学校・会社・地域を含め、集団でのイジメ行為や村八分・格付けカースト、差別、パワハラ・モラハラ・リストラ工作などの精神的暴力が実在し、そして利権組織・メディア・権威・権力などによる情報・印象操作やイデオロギー工作なども実在しますし、
また公安警察による「捜査」としての「監視」というのも、例えば極左暴力集団・右翼団体、カルト宗教団体などの反社会的な組織・人物の動向を探る役割として実在しているものです。
そしてその他にも隣人・周囲の人々などによる監視「的」な、いわゆる「地域の目」としての社会的視線もあるでしょうが、
実の両親さえも恐れ危険人物扱いして監視対象化し、「存在しない者」のように田舎の一軒家に隠されていた平野容疑者は、孤独の中で排他的な集団監視の意識を強く感じて被害妄想を強化していたでしょう。
人間らしい繋がりを何も感じない閉鎖的な生活状況は、彼の妄想性障害をむしろ悪化させる否定的な刺激でしかなかったでしょう。
「洲本5人刺殺事件 容疑者、人間関係避けネットへ 専門家分析」より引用抜粋
まつい心療クリニック(神戸市東灘区)の松井律子院長は「容疑者は『自分は狙われている』と思い込む傾向がうかがえる」とする。「ひどくなると、周囲の気遣いですら『監視の目がきつくなった』と感じる。その恐怖から逃れるため、相手を攻撃することもある」と話す。
一方、松井院長は事件の影響で社会全体が「監視社会」に傾く風潮には警鐘を鳴らす。「精神的につらい状況にある人の自由を奪うことは逆効果」と強調し、「本人の苦痛に共感を示しながら、否定することなく、思い込みを変えるよう導く。
周囲との信頼関係があれば、ともに安心して暮らせる社会になる」と訴えている。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
上記の記事はシンプルですが本質をとてもよくとらえているものだと思います。今の社会は「今問題のある人、過去にあった人」をただ追い詰めることしかしません。
人間らしい血の通った繋がりもなく、信頼関係を殆ど感じさせることもなく、理解しようともせず、ただ排斥し続けるだけであれば、「社会からはじかれた人」は孤独の中で自殺するか発狂して暴走するしか道がなくなるんですね。
ここで、今回のテーマと深く関連する森山公夫先生の著書「統合失調症 精神分裂病を解く」の紹介しますが、統合失調症という現象が生じてくる複合的で多角的な心理的力学への深い洞察でしょう。
この本のポイントを非常に良くまとめてある記事があったので以下に紹介しておきますね。 ⇒ 統合失調症とは
そもそも「妄想世界」によってかろうじて自我崩壊を防衛しているような状態になっている原因は、自己形成不全のまま成長し「安定した自己同一性」を得られないまま大人になって、それが人格化するまでに至っているわけですから、
「閉じ込めて監視して追い込んで抑えつけておけばいい」というようなものではないのですね。
以下に紹介の動画に出て来る人々もそうですが、「それは妄想・思い込みだよ!」などという通常人の指摘で改善できるような妄想レベルではないのです。
自我の脆弱性と人格形成の障害
例えば統合失調症でも解離性障害でもシュナイダーの1級症状が現れることは精神医学の治療において確認されていることですが、(※ 統合失調症とシュナイダーの1級症状に関しては以下の過去記事を参考にどうぞ。過去記事 ⇒ 統合失調症 – 症状と病気の流れ )
解離性障害を発症する人のほとんどが、幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けていると言われてますが、「解離」というものは心理的防衛機制の一種なんですね。
「負の体験」によって自他分離の境界感覚が形成不全となり曖昧のまま成長し、自己肯定感が低くストレス耐性も低いため「自我同一性拡散」に陥りやすい=「安定した自己像を確立出来ず見失いやすい」わけです。
これは自我同一性の極端な破壊を一時的に防ぐための自我同一性の拡散であり、また強いストレス体験以外にも、「ストレス耐性の脆弱さ」も原因のひとつとして考えられます。
ストレス耐性の「強弱」には「先天的な個体差」があり、特に「病的な自我脆弱性」を持つような場合は、ストレス耐性の低さも顕著になると考えられます。
例えば統合失調症や双極性障害なども、基本的に「解離しやすい自我の脆弱性」を有していて、さらにそれに加えて「乳幼児期から思春期にかけての負の経験」などがある場合は、それらの外的なストレス作用が人格形成に深刻な負の影響をもたらすと予想されます。
※ 特にストレス耐性に最も影響を受けやすい時期が幼児期(0~6歳頃まで)と生物学的・心理学的に分析されています。
以下の過去記事も参考にどうぞ。⇒ 精神科医・世間一般の知らない無意識の領域
平野容疑者の場合は、思春期~中年にまで至る長期にわたる引きこもり状態のため、圧倒的に不健全で閉鎖的な孤独の生活スタイルです。
こうなる以前は優しいお兄ちゃんだったようで、子供の頃から凶暴性や情動制御不全の傾向が顕著にあるようなタイプではないと推測されます。
「容疑者引きこもり? 住民に印象薄く 洲本5人刺殺事件」 より引用抜粋
幼いころを知る近所の男性は「弟を連れてよく遊びに来て、ラジコンなどを楽しんでいた。親が勤めに出る間、よく弟の面倒を見て、優しい子だなという印象だった」と振り返る。
地元の小中学校を卒業後は神戸市内の私立高校に入学。高校によると、1、2年時の在校記録はあるが、3年時はなく、中退したとみられる。同校の教諭は「在校時にとりたてて大きな問題を起こしたりはしなかったと思う」と言う。
「25年ほど前から顔も見ていない」「一番最近で顔を見たのは、回覧板を手渡しに行った10年前」と近所の人ら。近くの男性は「(平野容疑者は)学校でうまくいかず、引きこもりになったようだ。お父さんも息子のことは話さなかった」と語る。 – 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
明石での病院への入院から生活状況の変化では、人間らしさの回復すら感じます。なので精神科への通院が良くなかったとか、向精神薬の副作用とかではなく、
やはり洲本に戻ってきてからの閉鎖的な生活状況と、ガスライティングなどの被害妄想思考に囚われたことによって病状が一気に悪化した、と言えますね。
「洲本5人刺殺事件 容疑者、事件直前に精神状態悪化か 」 より引用抜粋
平野容疑者は2009年に被害者の家族とトラブルを起こし、10年12月に家族からの相談で明石市内の病院に措置入院。この後、同市内で単身生活をしながら、13年3月までに1~2カ月の入院を計3回繰り返した。
この時期の同容疑者をよく知るという関係者2人によると、同容疑者は明石に移った当初、調子が悪く、もめ事を起こすこともあったが、次第に落ち着き、友人や交際相手がいたこともあったという。
退院中の時期もカラオケに行くなどし、「引きこもりの状態ではなく、他人に危害を加えるような人でもなかった」と振り返る。– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
おそらく長期の引きこもり生活によって脳機能が機能不全化しており、精神レベルが「退行」しやすく、事件直前は「分裂」「投影性同一視」などの原始的防衛機制が強力に発動する状態になっていたのでしょう。
原始的防衛機制・防衛機制については以下の過去記事を参考にどうぞ。⇒ 「パーソナリティの病理の多元性」防衛機制と自己の発達 未熟から成熟へ向かうために
つまり人格障害における過剰な『猜疑心』や『疑心暗鬼』は、不安耐性の脆弱さ、情動調節の不安定さから起きてくる「過剰な防衛心」であり、「追い詰められた剥き出しの攻撃性」=「原始的衝動」なのです。
そしてそのような傾向を持つ意識状態で、例えばルサンチマンを強めるような思想や陰謀論やらカルト思想などに同化し二元分裂思考を過剰化させた場合、
妄想的・分離的な自我をさらに肥大化させることで、他者への不信と不安からの疑心暗鬼と攻撃性を一層強め、心は「閉じ」、さらに現実認識は分裂化し、「妄想」はやがて「現実の鬼」を生み出していきます。
では、そうならないために大事なことは何でしょうか?それはまず「他の存在」との信頼関係の回復と、対象に対して「心を開く」こと、そして徐々に安定した自己肯定感を高め、ストレス耐性を高めること、本質的にはただこれだけです。
凄く単純なのですが、疑心暗鬼を捨ててそれが出来た時に、「閉じた意識内で生じ強化された被害妄想人格」は徐々に崩壊し、健全な人格が回復していきます。
社会の呪いのコトバ
ここまでは主に個人的なパーソナリティ要因の分析でしたが、ここからは「社会・周囲の眼差し」が与える負の力学を含めて書いています。
私たちは相手がガンや糖尿病なら病人として扱いますし、健常者と同じように出来ないことを責めたりしませんし、病人の治療回復を望みます。ですが「心・精神の病理」であれば、「通常でないこと」を「そう出来ないこと」を責め続け、完全に壊れるまで追い詰めたりするわけです。
そして壊れて暴走したらこう言います、「ほら、いつかやると思った、だからもっと法律を厳しくして締め付けておかなきゃだめだ」と。
何か事件が起こるたびに、「勧善懲悪」的に特定対象を絶対悪、世間を絶対正義として異口同音に「裁け裁け!もっと裁いて追い詰めろ」を連呼し、そして「徹底的に抑えつけて苦しめてやれ!」なんですね。
ですがそのような反応だけしかしない人々は、本当に心の成熟したシッカリした大人なのでしょうか? それが正直で健全な人間らしい人間の姿なのでしょうか?ではここで、精神科医(精神病理学)の堀有伸 氏の記事を紹介します。
「スケープゴート現象と日本的ナルシシズム」 より引用抜粋
残念ながら、日本社会の精神力動についての、このような集団と個人との不幸な関係性は、この数年加速度的に悪化していると思う。その結果、ますます社会全体と個人の「考える力」は弱まり、同一化することにナルシシスティックな満足を感じるようになり、
取り組まねばならない課題は先送りされ続けることになる。私たちは皆、そのことの共犯者かもしれない。そこから生じる不安は、次のスケープゴートを屠ることで贖(あがな)われる。
以上が、私が現代日本社会について感じている不安である。それを踏まえて主張したのが、「日本的ナルシシズムの克服と自我の確立」という課題に、各人が取り組むことの重要性であった。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ スケープゴート現象と日本的ナルシシズム
社会生活の中で、凶悪犯罪の実行犯に出逢うことは少ないというか、むしろ全くない人の方が多いでしょう。ですが「一般人」などと呼ばれる人々の中にも、悪意・闘争性ばかりに偏った心無い無慈悲な人間性の持ち主は数多くいます。
実際これは「気づくか気づかないか」だけの違いで、そういう人がメディア・政治家・権威・権力者の中に、そして会社や組織上部にも本当にアチコチに至る所に当たり前にように存在しています。
そしてこのような「集合的・無意識的な悪意」が、一つの大きな否定的力学となって「集団からはじかれた個人・マイノリティ集団」などに過剰に向けられると、
それは「本来は可変的なものである彼等・彼女たち(特に未成年・若者)の自我意識」の発達の方向性を一方的に条件づけ、「犯罪者・悪・問題児・底辺」のままで役割固定化させようとするようなネガティブ作用となり、
その結果、周囲の「存在否定の眼差し」と否定的干渉の連続によって回復・更生は困難となり、再犯率や発病の再発を高めます。
「そういうやつは本性が悪・劣そのものだからどうせ繰り返すよ」というような意味の言葉を目にすることがあります。実際、約3割の再犯者によって約6割の犯罪が行われているという調査結果もありますが、
何故そのようなことになっているのか?といえば、「更生」や「やり直し」のチャンスを与えないで追い込むだけの「社会・人々の眼差し」にひとつの大きな要因があるわけです。
「健全な自己形成への回復の道」を閉ざし対象を追い詰めることは、精神を成長・発達させずに逆に妨害・破壊する作用として働きますので、当然、そのような状況下では「被害妄想」だけが強化されます。
これは実質的な物理的被害・攻撃は受けていない、と言う意味では確かに「妄想・思い込み」なんですが、集団の悪意ある眼差しと、否定的対応・反応による条件づけは、
特に何をしていなくても、その否定的な集合意識を非力な個人に向けて「排斥的な対応」を集団で行っているだけで、それは「ストレス耐性が低く自己肯定感も低い未成熟な自我」を追い込み破壊し、自滅へと向かわせる強い否定作用を発揮します。
そうなると「被害妄想」は「妄想」だけではなくなり、現実のリアルな精神的崩壊の危機と直結することで「確信」に向かいやすくなり、「無関係なその他の思い込み」まで一部の事実と合わせて信じてしまい、「連想の悪循環」が生じるわけですね。
そしてその対象の崩壊を望んだ「集合的な悪意」は「集団それ自身に跳ね返ってくる」わけです。ですが「集団に返す」のはごく僅かな「能動的タイプ」だけであり、実際その殆どはただ追い込まれ壊されて寂しく死んでいくだけなんですね。
そのような破壊的な集合意識に晒された「より多くの受動的な人々」は、年間数万人の自殺者の中の一部として、人知れず自死に追い込まれていくわけです。
現代の日本社会の姿・人々の反応の姿を見ていれば、何故、日本は世界有数の先進国であるのに自殺者がダントツ多いのか? そして何故、多くの人々が生きづらさを感じ、幸福度が低いのか?その理由の一部がよくわかるでしょう。
「存在への眼差し」に暖かさも優しさも慈悲の心も殆どなく、見失っているからです。
建前と本音が大きく解離している多くの人々は「自殺」を減らす気なんて本当はないのでしょう。これは社会自体が毒親化しているともいえますね。
社会の呪いのコトバ:「黙って人に迷惑をかけずにさっさと死んでくれ。お前など生まれてこなければよかったんだよ!生きていても悪影響なだけ。そしてお前は無駄な生存コストに過ぎない。」
これが社会の集合意識の呪いのコトバです。そしてこの否定的な呪いの集合意識が͡個人に向けられると、毒親の呪いのコトバと同様、あるいはそれ以上に強力な精神拘束作用を生じさせ、「社会の負の役割」に意識が固定化され、それを強制的に継続させられます。
さらにそこに物理的な要因、健康問題や周囲の支えの不在などが加わると、ついに自我を支えられなくなり精神に深刻な異常をきたしていくわけですね。
そしてそうなったらこの日本社会はもう誰も助けてはくれません。国を挙げて一斉に個人を連日追い込み、個人の過去・現在・未来を踏み潰し、人としての「更生」も「可能性」も全面的に否定し、存在を社会的に抹殺するだけでしょう。
なのでそうなる前に、大きな問題を起こして取り返しのつかないことになる前に、何らかのアクションを起こして治療・回復へ向かうしかないわけです。⇒ 孤独な40歳が5人を殺害するまでに一体何があったのか
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