今回は、強迫性障害や精神の病に関する負の側面ではなくて、才能や能力との関係性、あるいは止揚・昇華・変容の方法に関するものをメインのテーマとして記事を書いています。
それ以外にも、「不安障害を持つ有名人や動物」、そして「IQ・CQ・EQ」に関すること、「○○障害」というラベリングの良い面と悪い面、などについても書いています。
前回、part3までの流れで書く予定より増え、強迫性障害・精神の病に関するテーマで脳科学的に考察した追加の記事を新たに幾つか書く予定です。今回はその補足ともなっている記事ですね。
不安障害
診断上、「不安障害」には全般性不安障害、パニック障害、社交不安障害、特定の恐怖症などが含まれます。
かつては強迫性障害(OCD)や心的外傷後ストレス障害(PTSD)も不安障害の範疇とされることがありましたが、DSM‐5 では ODC は「強迫・関連障害」、PTSD は「外傷・ストレス関連障害」として別枠に分類されています。また、薬物などによる「物質誘発性不安障害」も認められています。
不安障害の特徴としては、将来への不安(予期不安)、交感神経の過剰反応、情動の変動や過敏な反応などが挙げられます。
強迫性障害(OCD)に関しては、サッカー選手のデビッド・ベッカムや大実業家のハワード・ヒューズなどが公に体験を語ったことで知られています。国内では俳優の佐藤二朗さんや、モーニング娘。元メンバーの道重さゆみさんなどが強迫性障害を公表しています。
パニック障害については、著名人が公表する例が増えていますが、YUI、大場久美子、高木美保、堂本剛、中川剛、田中美里、森昌子など日本の芸能人の一部が体験を明かしています。
社会不安障害(社交不安障害)では、キム・ベイシンガーやローレンス・オリヴィエが自身の経験を公表しており、アカデミー賞やゴールデングローブ賞の受賞歴もあります。また、アスリートではアメリカンフットボール選手のリッキー・ウィリアムズやオーストラリアの水泳選手スーザン・オニールが公表しています。
アーティストのPatrick Kramerさんも強迫性障害を患っています。そしてつねに完璧を求めてしまうわけですが、そのはけ口に始めた絵画でも完璧を求めました。その結果の作品は以下に紹介のリ
ンク先でどうぞ。
適度な不安や覚醒状態は一定のパフォーマンス向上(Yerkes‐Dodsonの逆U字型反応)に寄与する場合もあるものの、最適な覚醒水準は「課題の難易度や個人差」によって異なり、過度または慢性的な不安は機能障害をもたらします。
以下の文章を訂正・補足し、学術的に簡潔でわかりやすい形に編集しました:
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強迫性障害(OCD)と強迫性人格障害(OCPD)は、いずれも「強迫観念」に関連する精神疾患ですが、その性質や影響は異なります。
強迫性障害は、特定の強迫観念(例:不合理な不安や恐怖)により引き起こされる反復的な行動や条件反応(例:過剰な手洗いや確認行為)が特徴です。
この行動は本人にとって制御が困難であり、日常生活に支障をきたします。ただし、強迫観念は人格そのものではなく、本人はその不合理性を認識している場合が多いです。
一方、強迫性人格障害は、秩序や規則への過剰なこだわりが「価値観」として人格化される状態です。このこだわりは柔軟性を欠き、他者に対しても自身の基準を押し付ける傾向があります。ただし、強迫性障害のような反復行為や条件反応は一般的に見られません。
このブログの読者の一部の方への補足ですが、強迫性障害は統合失調症系や自己愛系同様に、カルト系宗教やオカルト系霊能者などの「ターゲット」=被害者にもなりやすいので注意が必要です。
通常の人でさえ恐怖や不安で揺さぶられて詐欺被害に遭います。カルト系宗教や一部のオカルト系の霊能者などの自己肥大化した全能感の持ち主とその盲信者達は、
取り込める相手、利用できる相手なら何でも取り込み「自身のため」に利用します。「不安障害」を利用した搾取と洗脳も実際にありますので、「不安障害」の方は強欲な搾取者たちの被害に合わないよう注意しましょう。
良心の痛みを何も感じないような自我肥大者たちとは正反対に、「不安障害」の方は非常に真面目・努力家で良い人々も多いのです。
実害はカルト以下でも、くだらない霊能者系のオカルト情報にも騙されないようにしましょう。
「強迫性障害」より引用・抜粋
強迫観念、強迫行為となった宗教
宗教者が精神疾患の知識がなくて不用意にカウンセリングすると、宗教的な行為である「坐禅・祈り・念仏・唱題」や他の宗教行事・実践・おまじないも、強迫行為になりえる。悪質な宗教者、カルト宗教者は、クライアントの強迫性障害を利用して、
あわれなクライアントから金銭と労働を貪りとり、隷属させる危険性がある。だから、宗教観念が含まれているクライアントの治療には、心を洞察する「智慧」、認知的介入が十分に考慮されているカウンセリングでないと強迫性障害は治癒しにくいであろう。
強迫性障害に無知な宗教者は、信者の熱心さと、強迫性とを混同するおそれがある。それを利用して自己の利益をはかる宗教者がいるであろう。霊のさわりとか、過去世の因縁といって、それを治すのに高額の金銭を要求する者も同様である。
自己の貪りを自己洞察し、反省しない未熟な宗教者である。故意に行う、悪質なカルト宗教者もいる。いかがわしい宗教集団に入る人が多くなって社会不安を大きくしないためにも、不安障害の人のカウンセリングを行う社会の仕組みを拡大していくことが、その人にとっても、社会全体にとっても重要なことである。(引用ここまで)
引用元 ⇒ 強迫性障害
生き物をよく観察している多くの人はおそらく感覚的に知っていることですが、実は「動物」も「強迫性障害」になるんですね。
以下のTEDの動画を一つ紹介していますが、生物学の博士であるローレル・ブレイトマンさんは美人で若い女性の方ですが、
とてもユニークな表現と柔らかい思考を持つ方で、彼女は動物から学べる「人間性」や「強迫性障害」を語っています。
◇ ローレル・ブレイトマン: 強迫神経症で元気がないイヌやネコ―私達人間が動物の狂気から学ぶこと
よく目にする面白い動物ビデオの背景には、妙に人間に通じる問題が存在します。ローレル・ブレイトマンが研究するのは、強迫性障害のクマから自滅行動をするラット、ありそうもない友をもつサルまで、
精神疾患のサインを示す非ヒト動物です。うつ、悲しみやその他人間同様の問題に向き合う動物を観察することから人間が学べることは何かをブレイトマンが問いかけます。
これに関連する過去記事がありますので、それも以下に紹介しておきますね。
⇒ 動物心理学 動物のPTSD(虐待と孤独)とメタ認知の神経回路メカニズム
もうひとつ「Nature Japan」のハイライト記事を紹介です。(詳細は以下リンク先にご覧ください。)
統合失調症や双極性障害といった精神疾患と創造性が、遺伝的な根を共有していることを示唆する報告が、今週のオンライン版に掲載される。「Nature Japan」⇒ 創造性と精神病をつなぐ遺伝学
IQ、CQ、EQのバランスと能力の関係
そして前回書いた記事テーマとも重なりますが、米誌『Harvard Business Review』においてTomas Chamorro-Premuzic教授が「好奇心や感情知性が、知能指数と同じくらい重要」である理由を説明しています。
前回の記事も参考に紹介しておきますね。
⇒ 知能・能力・創造性の脳科学的考察 「知・情・意」「守・破・離」と小脳の役割
IQ(知能指数)、CQ(好奇心・創造性指数)、EQ(情動・感情の知能指数)。 EQは「知・情・意」の「情」に関係が深く、そして、CQは「無意識のゆらぎ・リズム」に支えられた「ワクワク感」に関連するものです。
この二つが生き生きした「心」の躍動を生み出し、それが創造性への原動力となります。
ここからざっくりと傾向をまとめていますが、あくまでおおまかな傾向性の話ですのであしからず。
天才系はアンバランスな人も多く、CQが非常に高く「無意識のゆらぎ・リズム」の生命力も先天的に強力で、そこに高いIQが結びついており、EQが低い人が多い傾向です。
ですが適切に条件づけられたIQ「知・情・意」の「知」とEQ「知・情・意」の「情」と「知・情・意」の「意」が結びつく時は、天才も非常に良好なバランスを保つので、
クリエイティブな活動と共に、人間関係もバランスの良い活動表現になるわけですね。
IQのみが高い人は一般的な秀才系で、事務処理型・情報処理型の定型業務をスピーディーにこなす、あるいは蓄積した知識を用いて正確に合理的思考する専門家・研究者・技術者向き知能でしょう。
まぁこれのみでも仕事の基本作業で見ればかなりの広い範囲に及ぶので、能力としては様々に使える仕事力にはなるでしょう。
EQが高い人は人間関係でのバランスのとれた働きや、ビジネス・起業などに有能な働きを見せることがあります。
CQとEQが共に高い人は、感性を生かした人間関係の濃い仕事に力を発揮しやすく、CQとIQが共に高い人は、その知性の種類によっても異なりますが、クリエイティブな活動に力を発揮しやすいでしょう。
アインシュタインのような傑出した科学者の特殊な脳を「システマイザー」とか言ったりもしますが、「システマイザー」の特徴は天才性の本質ではなく、「システマイザー」はむしろ「秀才型」の要素が特異に発達した結果ですね。
アインシュタインはCQとIQが非常に共に高いタイプで、EQが低い=「人間関係を中心とした社会性の未発達」の人であるわけですが、
「秀才の発達系=システマイザーではあるけど社会性の未発達であるタイプの一部の学者・教授タイプ」と「天才」のシステマイザー的な能力の決定的な違いは創造性の高さの圧倒的な差異にあり、
CQとそのベースの「無意識のゆらぎ・リズム」の「生命力の強力さの差異」にあるともいえるでしょう。
アインシュタインやホーキング博士のような天才と一般の大学教授などを比較して「何か能力の質が根本的に違う独創性」を感じるのはそういうところにあるわけですね。
私は一般的な秀才学者の話を聞いていると、いくら彼等・彼女たちが理路整然として優れた論理的な話をしていても、心が窮屈でつまらなくなるんですが、
天才系の人々の場合は心が自然に弾み楽しくなるんです。それは彼らが創造的に生きているからで、分析的・解析的・論理的に生きているだけではないからです。
そしてIQ・CQ・EQと「知・情・意」のどれかに決定的な機能不全や歪みが生じていたり、未発達である場合、負の創造性や知能への方向性となることがあり、
例えばそれが独裁者・犯罪・カルト・人格障害・心・精神や能力の障害の傾向へと発達することもあるということです。
では潜在的な可能性や、気質的な特徴を「具体的な現実的能力」へと生かし結晶させるのに必要な事はなんでしょうか?その一つが「実行機能」を高めることなんですね。 ※参考 ⇒ 実行機能
『Science』の2011年8月9日号に「早期教育」が話題にとりあげられ、心理学者のA.ダイヤモンドとK.リーが「子どもの実行機能の発達を助ける教育的介入」という総説を寄稿しています。
前頭前野を高めるための具体的な方法には、
コンピュータ・トレーニング、コンピュータを使わないゲ-ム、エアロビクス、武道(空手、柔道、剣道など)、ヨガ、マインドフルネス(瞑想)、学校の勉強などを繰り返し実行する
これらを行うと、前頭前野がよく働くようになる、というのですが、確かに、うつ病や統合失調症や自閉症などの精神障害において前頭前野などの機能低下は確認されていますし、
前頭前野がよく働くようになることで、自分の行動をうまくコントロールしたり、柔軟な思考となり、精神の健康や身体の健康の維持力が高まり、
その結果、生活の質が良くなり、人生全般において安定した現実的達成が得られやすくなる、という能力をもたらすわけですね。
そしてバランスの良い人は「過剰さや極端さ」に向かいにくい=「犯罪・逸脱を犯しにくい特質」=「公共性の高さ」にも繋がる、この方向性は私も肯定しているわけです。
ですがこれはかなり一般論的、マジョリティ向けの人間観で、見方を変えれば「偏った能力の捉え方」「条件づけ」とも言えるわけなんですね。
ヨガ、マインドフルネス(瞑想)の捉え方もいかにも西洋的で、そのもうひつつの角度・側面は見落とされています。実際「見落とされている方」にヨガ、瞑想の本質・精髄があるわけです。
そして、この「実行機能」の発達には個人差があり、発達障害やある種のバランス異常を見せる子供たちの中には、独特な発達過程を経ていくタイプもおり、
一概に「右へ倣え」方式で万人一律に強制化したりするとかえって悪化することや、見落とされることがあるわけです。「早期教育」もそうですね。
一般的には、人間は赤ちゃんの頃に誰でも持っている「反射」を、自分の意志での運動や行動である「反応」に変え、複雑で自立的な運動・行動ができるように発達していきます。(定型発達の場合)
そして能力で大事なのは、ワーキングメモリー(作業記憶)の能力を高めることであるとか、「流動性知能」はワーキングメモリー(作動記憶)と密接な関係にある、ということも基本的なことではあるのですが、
バランス異常の回復での感性的な理解では、心の高次の領域である精神機能は前頭前野が深く関連していることは基本として認めても、
低次とされる脳領域とも相互依存的な関係性に在り、「脳は全体性として機能する」という実感と共に、心も体も知能も能力も全体性として在る、と考えていまます。
IQ・CQ・EQと「知・情・意」の関係性・バランスにおいてもそうですが、そこに「捉え方の差異」があるわけですね。
これは単に理論的に、というのではなく、全体性として機能する時に最もバランスが良いことを実際に感じるということです。
ただ、能力主義的・合理的知能至上主義的に人間の優劣を決め、そして秩序や統制を重んじた社会の要請で「外側から」人間のバランスを計るのであれば、
前頭前野だけ鍛えてればいい的な人間観に収束するのも、まぁグローバル化時代の合理主義化した「人間の均一化・統一化」に向けた無意識的・意識的な時代の傾向なんでしょうね。
脳科学・心理学を過信しない方が良い
脳科学を過信しない方が良いでしょう。というよりも「脳科学や心理学だけで人間を見ない方がいい」と言い換えた方がよいですね。
「脳や心」というものに関しては、まだまだわからないことは沢山あり、そもそも人は、完全隔離された生活でもない限り、親・友人・同世代・知人等の作用、それらが生み出す判断・評価・言葉・行動の心理的干渉も様々に受けています。
それは意識的なものもあれば無意識的な作用もあるのです。
個人の性格とか人格とかいいますが、人間は1個体だけの脳・意識に完結した存在として初期プログラムされて生きているロボットではないのです。
また自然界や生活環境の物質的作用・干渉や、時代・文化の価値傾向の心理作用、そして「経済」などの現実的な問題、「法律」「倫理」などの現実的な制約も受けています。
その複雑な力学に条件づけられた状態で、「人間」の適性や能力の高低を性急に「特定の専門家の物差し」で決定・選別することは、
「人間」という生き物の全体性から見た場合、分離的な人間観に発展する可能性が高まるでしょう。
実際、子供の頃に武道やらピアノやら勉強やらを早期教育させたりそれらをキチンと訓練して能力が高くても、また親・兄弟が優秀でも、結果的に精神異常や犯罪者になる人はいるし、人格に極端な歪みを持つ人に育つこともあります。
心理学者の親に育てられても、教育者の親に育てられても、科学者や医者に育てられても、社会的成功者に育てられても、犯罪者になったり、人格の発達に難を示す子供は沢山います。
逆に、学問的な知識や高い能力など一切ない普通の人でも、立派な子供・健全な子供をちゃんと育てます。
さらに、「様々な意味で不足した負の状況・環境下」にあった人々が、成長後に凄い能力を発揮することもあります。
言うまでもないことかもしれませんが、強迫性障害であれ、統合失調症であれ、双極性障害であれ、発達障害であれ、能力・感性・性格・体力・気質にはそれぞれ相違があり、何でも一概にひとくくりには出来ないでしょう。
ですが「長いタームで多角的に人間を見るのではなく、短いタームでデジタルに均一化した価値基準や適性評価で判断される傾向」の中では、
「規格」に合わないというだけで負の面ばかりを強調する、という風潮が強くなると感じるわけですね、そして過剰に「問題化・障害化・異常化」されてしまい、スティグマなどのラベリング作用で排斥化されてしまうことも多い。
その結果、未熟な部分が解決されないまま、また良い部分が伸びないまま放置されたり、二次障害などでさらに悪化するなどの現象にも繋がるわけですね。