成功哲学の嘘  イースタリンの逆説 

 

「成功、豊かさ」と「幸福」との関係で、特に物質的な豊かさと幸福の関係性には、幸福のパラドックス現象とも言える「イースタリンの逆説」があります。

「イースタリンの逆説」とは、経済学者のリチャード・イースタリンが提唱したもので、彼は、国際比較や一国の時系列で、所得と幸福度の間に明確な関係が見られないことを示しました。

彼は、このパラドックスの原因として、人々が自分の周りの人と収入を比べることで、自分の富の認識が変わるという仮説を提唱しました。

つまり、貧しいときは収入が増えると幸福度が増すが、ある程度裕福になると収入が増えても周りと比べて金持ち度が変わらないからです。この逆説は、経済成長だけでは国民の幸せは測れないということを示しています。

韓国・中国・日本、いずれも経済大国で第二次世界大戦以後からの経済発展が著しい国でありますが、この3国はいずれも経済発展に反比例するかのように「国民の幸福度」は下がっており自殺率は増加しています。

ここで私は経済成長が何もかも悪いとか、それが不幸の原因そのものと言いたいわけではないのです。「イースタリンの逆説」が常に正しいとも思ってはいません。

経済状態の悪化と物質的欠乏による庶民の「不幸を減らす」という意味では、「経済」の成長や安定も必要・重要であることは言うまでもありません。

「金の心配がない」という経済的安定は精神的安定にもつながります。ただ、「不幸を減らす」ことと「幸福の増大」は必ずしも同じではなく、そして幸福感というものは必ずしも物質的な豊かさとリンクはしていないのです。

必要十分な物質的充足があればそれで良いという人も実際多い。 そのことは、韓国・日本・中国の今の姿をみていればよくわかるでしょう。

ではここで心理学者のショーン・エイカーによるプレゼン動画を紹介します。

ショーン・エイカー 「幸福と成功の意外な関係」

私たちは幸福になるために努力し成功しなければならないと思っていますが、逆だとしたらどうでしょう? このTEDxBloomingtonでの目まぐるしくも楽しい講演で心理学者のショーン・エイカーは、幸福は
実際生産性や成功の可能性を押し上げるのだと言っています。

 

「パイの奪い合い式」の成功哲学

一部の人が必要以上に多くを持ち、それが全体に還元されない時、以前は必要十分な物質的充足を得られていた人々さえ、物資的に生活が脅かされてしまう。このような成功方法を「パイの奪い合い」と例えることがよくあります。

成功哲学には様々なタイプものがありますが、パイの奪い合い方式が本質である場合が結構多いですね。 弱肉強食型の闘争の原理が本質にある思考から生じるものですね。

私は闘争・競争自体は否定をしていません。「勝つか負けるか」の弱肉強食という在り方も全否定はしてません。

特定の勝負・実力の世界においては「勝つか負けるか」の弱肉強食を抜きにはそれ自体が成立しないものもあるからです。私はそれが「全体に及んでいるような状態」を否定しているだけです。

例えば必要十分な物質的充足を得られるポスト・席の数が限定されているのならば、そこにパイの奪い合いが生じた場合は当然、物理的に座れない人々が出てくるわけで、

そういう社会環境の中で精神論とか成功哲学などいくら説いたところで、「絶対数や絶対量が決まっているもの」をそれより多くの人が一斉に奪い合っている状況下では、そして誰かが大量にキープしているような状況ならば、当然欠乏の箇所が出てきます。

にも拘らず「達成できなかった場合」に個人の自己責任、怠慢の結果のように決めつけられたりしますが、それは必然的な結果であり、

仮に世の中の全ての人がそのタイプの成功哲学を完全にマスターして成功を果たすためだけに一斉に行動した場合でも同じ結果になるのです。

みながパイの奪い合い方式の弱肉強食の思考パターンで動く時は常にそうなってしまうのです。

だから必然的な不満が生じているだけであって、その不満や怒り、格差から生まれる優越感・劣等感を上手く刺激しながら作為的なイメージ操作を行うのが印象操作、プロパガンダであり、

たとえば「負け組・勝ち組」という言葉が社会的に普及したのも、そうやって優越感・劣等感を上手く刺激しながらパイの奪い合い方式のチキンレースに人々を巻き込むわけですね。

そして成金的な成功者などの成功哲学とセットのコピーライティングの手法などにしても、物質的な格差によって生じる優越感や劣等感を刺激して人を操るような言葉や考え方が多いのが特徴ですが、

しかし多くの場合、人は「物質的な大成功」を望んでいるのではなく、必要十分な物質的充足・人間として普通の生活を望んでいるだけでなんですね。

 

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