今回は「社会的自我と個の自然自我」の補足記事です。
人は社会的動物なので、社会的自我と個の自然自我との調和の中で生きています。そのため「自我の弱さ」故に苦しむ場合もあれば「自我の強さ」故に苦しむ場合もあります。
ざっくりですが、社会的自我は理性・大脳新皮質とリンクし、心理学で言うところの「社会的性格・役割性格」の中心となるものです。 個の自然自我は大脳辺縁系・脳幹・体とリンクし「先天的な気質・キャラクター」の中心となるものです。
これと関連する過去記事を紹介しておきます。⇒ 「性格・人格」の形成と問題と「社会」の関係 社会学でみる社会と人格
「自我が強ければ苦しまない」「自我が弱ければ苦しまない」という二つの考え方は、どちらか一方のみでは不十分で偏っているといえます。
「自我が強い」の意味が、より先天的な要素がメインの個の自然自我が強いのか、それとも、より後天的な要素がメインである社会的自我が強いのか、それによっても違い、
またそれぞれの自我の強弱だけでなく、両者のバランス・内的な調和の状態がどうなのか、それによっても異なるからです。
そして「自我をなくしてしまえばいい」という仏教の悟りの道もありますが、そういう方向性の人は社会での自己実現や幸福等には関心がなく「この世・欲」を離れたいと思っているのでしょう。
そして「自我をなくしてしまえばいい」という方向性の人で悟りには向かわない場合、「自我をなくしたい」が「存在をなくしたい」に置き換わることもあります。例えば自殺願望や過剰な自己否定なども、そういう錯覚が働いていることがあります。
現代の場合、「死にたい=終わらせたい」という気持ちは、「自我の苦」からの否定的な思考の強化の場合が多く、存在ストレスのみでそこまで追い詰められることはずっと少ないでしょう。
ですが自我は「思考それ自体」を見ることはできず、「存在そのものが苦しんでいる」と錯覚するのです。
「存在そのものに加えられているストレス」で自殺衝動が起きる場合は、「自我の強さ」で対抗できます。なので自我を強めればいいのです。 そして強めるだけでは駄目で「内外を調和させる」ことで自然に安定します。
この場合は「無意識 ⇒ 顕在意識」の方向性で、自己統合の方向であり、さらに意志の強化・内発的なモチベーションを高める延長上には自己実現を含んでいるポジティブな方向性です。
ですが、「存在と自我が不調和のまま自我が強化され過ぎている」ことから起こる自殺衝動は、逆に「自我の強さ」「存在と自我の不調和」が原因で起こるのです。
なのでこの場合は、自我を弱めつつ「顕在意⇒無識無」の方向性で一旦「退行」し、「存在と調和した形での自我」を再構築する過程に入ります。
これはネガティブと「癒し」の方向性なので、自我を強めるのではなく、「自我を弱める」=「ネガティブ(過去の自己否定)」と、「存在と自我を調和させる」=「癒しと自己回復」が先に必要です。
このブログが矛盾したような内容の記事を書いているのは、自我を弱めることと強めること、ネガティブアプローチとポジティブアプローチの両方を扱っているからですが、これは状況によってどちらも必要な事だから書いているだけです。
本来は「苦を生み出す自我」「不調和な状態」を終わらせればいいのに、「存在を終わらせようとする」という錯覚、そして機能不全は何故生じるのかは、前回書いた二つの記事を参考にどうぞ。
社会的自我と個の自然自我のバランス異常
自然自我も社会的自我もその強弱は人によって相対的で、バランスも相対的です。「強弱」で言えば、自然自我は先天的な要素が強いものであり、それが元々非常に強い人もいますし、弱い人もいます。
社会的自我は後天的な要素が強いもので、成長過程で作り上げられていくものですが、これも非常に強い自我形成をしている人もいれば、弱い人もいます。そしてどちらも強い人もいますし、どちらも弱い人もいます。また一方が過剰に強いとか、一方が過剰に弱い、という人もいます。
社会的自我と個の自然自我のバランス異常で起こる心理・性格パターンを4つのパターンで見てみましょう。
(これは大まかな区分けであり、他の要素も複雑に絡んでくる場合も多々あるので、全てが当てはまるわけではありません。あくまでも大まかな目安という感じで読んでくださいね。)
< 理性が強すぎて過剰な抑圧状態を形成しているタイプ >
過剰で抑圧的な道徳教育の結果。外面的にはよい子・生真面目・完璧主義的だが、内面には激しい負の感情が抑圧化されていることがある。自然自我が先天的に弱ければ負の感情も弱いが、逆の場合は「内なる攻撃性」・「存在への潜在的敵意・排他性・冷たさ」が強まることがある。
勉強ばかりの高学歴者・優等生タイプ・悟り系(仙人系男子)などに多い。社会的自我が壊れたり過度に弱まると、一気に鬱積した無意識の負が噴出して自我崩壊(病的な退行)する傾向がある。または、過剰適応の結果「自分がない」ような虚無意識に囚われ、希望のない無気力状態になることもある。
自他の自然自我を認めてあげることから始め、自然自我を強めつつ、社会的自我と調和的に共存させることで自己実現が可能。
< 理性は普通だが自然自我が弱いタイプ >
淡泊・消極的・気弱・内気・ナイーブで大人しく優しいが、長いものに巻かれ空気に流されやすく、強者のイエスマンになったり、支配・マインドコントロールされるなどの被害を受けやすい。
周囲の環境が総合的に良ければ特に問題はないが、同調圧力に弱く、無関心で傍観者的に集団の悪意にも流されてしまう。自然自我を強めつつ社会的自我と調和的に共存させることで、安定感のある自己実現が可能。
< 自然自我が先天的に強すぎ、過剰な無意識の解放タイプ >
社会的自我を受け入れないか、形だけ装っている状態で、自然自我と社会的自我が不調和で社会に全く適応できず、そのために適応障害となり苦を味わうが、自然自我が物凄く強い場合は、それさえも全く意に介しない。
だが「全く意に介しない状態」は本人は平気であっても、この在り方は他の存在との不調和を生じさせ問題を引き起こす。このバランス状態で思考が負の要素で満ちている場合、犯罪者になることもある。そして結果的に自身のパワーを否定的にしか生かせない偏った人生に自らを追い込むこととなる。
自己中・不良・ヤクザ・アウトロー・問題児タイプに多く、知能が高い場合は表面的には上手く社会適応している場合もある。
個の自然自我は一般人より強いので、社会的自我を発達させて調和させることが出来れば、大きな社会的成功が出来る可能性を秘めている。問題児は先天的にパワーが強い人も多く、調和的に上手く生かせば、創造的で肯定的な人生を自ら切り開くことも出来る。
< 自然自我は普通だが、社会的自我が未発達 >
それほど自己中ではないが、社会的自我が未発達の場合、その度合いによって適応障害になる場合もあり、環境との相性が良ければ問題ないが、相性が悪い場合は「新型うつ」などの原因になることもある。
社会的自我が未発達で自然自我もそれほど強くない場合、社会的な干渉・変化へのストレス耐性が低くなる。ゆとり世代に多く見られる。社会的自我を発達させて自然自我を強め調和させることが出来れば、安定した自己実現が可能です。⇒ 自我と現実 主観と客観のパラドックス
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