〈自国〉の不可避性と戦後日本の思想構造

 

今回は、戦後日本の左派・文化・思想の構造をみながら、なぜ特定の語りだけが「正しいものとして流通してきたのか」「99匹の普遍」が不可視化してきたものを問う内容になっています。

 

 

日本の左派・欧米左派と歴史・現実認識の違い

日本の左派政党(日本共産党、社民党、れいわ新選組など)と、欧米の左派政党(米民主党やヨーロッパの社会民主主義政党など)は、思想の出発点や政策優先度に大きな違いがあります。

欧米左派は19世紀の労働運動、産業資本主義批判、植民地主義批判を起源とし、「労働」「福祉」「社会正義」が中心課題として制度化されてきました。一方、日本の左派は戦後の占領政策の中で形成され、
「平和主義」「反軍事」「反権威」が思想の核となりました。

つまり、欧米左派は“社会の内部”から出てきたが、日本左派は占領期に決定的に再編・固定化されたという構造的差異がある。

 

特に注目すべきは、経済政策では日本の左派が比較的強い位置にあり、右派との対立があまり鮮明でないこと、安全保障では日本の左派が自衛隊や安保条約に否定的であるのに対し、

欧米左派は必ずしもそうではない点です。

欧州左派にもNATO懐疑、軍事介入反対の潮流は存在する。ただし「軍の存在自体を否定する左派が主流になったことはない」。

イギリスの労働党は核兵器廃絶を掲げることがあっても国家の核抑止力そのものは維持し続け、フランス社会党はアフリカや中東での軍事介入を容認して左派政権自らが武力行使を決断することも珍しくなく、

さらにスウェーデンやフィンランドの北欧左派政党は徴兵制の維持や復活を支持しているように、欧米の左派は軍事そのものを否定しない立場を一貫して取っています。

 

上に紹介のツィートもそうですが、哲学の方の中にはメディアでは一切見られることのない理論で政治を考察する人たちがいて面白いですね。

どんな主体も〈自国〉を持つ。ロシア人にとっての〈自国〉、アメリカ人にとっての〈自国〉、日本人にとっての〈自国〉。〈自国〉は語として普遍だが、指示対象は一人称的主体位置に固有であり、他者とは交換できない。

しかし、概念としては、すべて『自国』という語で表される。ここに決定的なズレがある。語としての『自国』は普遍的で、どの国にも適用可能だが、〈自国〉は主体が立つ一人称的な位置に固有であり、他者と交換できない。

 

この区別は単なるレトリックではありません。フレーゲ以降の意味論・指示論が扱ってきた問題そのものです。語は同一でも、指示対象は必ず主体位置によってズレる。そしてこのズレは、いかなる概念操作によっても消去することができません。

この二つが同一の語で表されることによって、倫理的・政治的判断は必然的に“偽の普遍性”を帯びます。普遍化は形式的には遂行されるが、その内実においては、つねに一人称的地点を隠蔽したものとして成立してしまう。

 

ここで言われている「極右」とは、排外主義や規範的主張を指すのではなく、あくまで〈自国〉の不可避性を前提とする思考の構造を指し、どの主体も自国という一人称的位置からしか世界を判断できないという、構造的条件としての政治的立場です。

この矛盾を直視しない限り、「対話」はつねに“偽の普遍性”に基づいたものになってしまうということ。つまり、〈自国〉の不可避性を前提にしない対話は、必ずどこかで破綻します。

この意味で、非武装中立、絶対平和主義、普遍的人権主義すら、構造的には「極右的」にならざるをえないという指摘は論理的に一貫しています。ここでの「極右」は、思考が必然的に一人称的起点に固定されるという事実を指しているからです。

 

ただし、〈自国〉の感じ方や世界との結びつき方は主体ごとに異なり、その差異が政治的態度の違いとして現れます。政治的普遍主義が必然的に破綻を内包するのは、人間が誤っているからではありません。思考がつねに〈自国〉という一人称的地点からしか開始されえないという、概念以前の構造条件のためなのです。

 

日本人が他国を語るとき、それは必ず“日本という〈ここ〉からの語り”であり、他国から見れば〈そこ〉の語りにしかならない。つまり、主体の位置は交換できず、普遍的言説は常に誰かの〈ここ〉を隠している。

しかし他国を〈ここ〉として生きる主体の複雑性、そして他国が今のようになった歴史的な流れがあるように、日本を〈ここ〉として生きる主体の複雑性、日本が今のようになった歴史的な流れもある。

日本左派が自衛隊や安保を否定的に捉える傾向があるのは、思想的選択ではなく、制度的制約です。欧米左派は軍を否定しない。なぜなら、彼らの左派思想は「国家の暴力装置をどう民主化するか」という議論を通ってきたから。しかし日本左派は、軍事=絶対悪という“占領期の価値観”を思想の核にしてしまった。

だから、現実の脅威(中国・北朝鮮)を語ると、思想の根本が崩れてしまう。これは単なる政策の違いではなく、思想の生成史の違い。

 

また、戦後日本の文化制度は、「進歩的文化人」の価値観を再生産するように設計されている。文学賞の審査委員、美術館のキュレーション、大学の教員人事、新聞社系文化部、これらが同じ価値観を共有しているのは偶然ではなく、制度の設計思想が同じだから。

だから、国家・伝統・共同体・宗教といった主題は「文学的価値が低い」とされる。これは思想の自由ではなく、思想の“制度的選別”。

 

戦後日本の美術界・文学界と「進歩的文化人」的価値観の構造

戦後日本の美術界と文学界が、「進歩的文化人」と呼ばれる価値観を広く共有し、「多様性」を掲げながらも、結果として思想的多様性を限定してきた構造は、国内の文化史だけでなく、海外の日本美術史叙述からも確認できる特徴的な傾向です。

その代表例の一つが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)による戦後日本美術の叙述です。MoMAの資料は、戦後日本の文化がどのような枠組みで国際的に理解・整理されてきたのかを知る上で、重要な参照点となります。

 

MoMAの出版物『From Postwar to Postmodern: Art in Japan 1945–1989』では、戦後日本美術に関する一次資料が体系的に収集され、具体美術協会、実験工房、ハイレッド・センターといった前衛的グループの活動が中心的に取り上げられています。

これらの前衛運動は、敗戦後の社会変革志向や民主化の気運、反戦・平和主義と結びついた「進歩的」な文脈の中で整理され、日本の戦後美術を象徴する動向として描かれています。この叙述自体は、戦後日本美術の一側面を的確に捉えたものでもあります。

ただし重要なのは、MoMAの叙述を「特定の思想を意図的に押し付けたもの」や「陰謀的排除」として理解するよりも、冷戦期アメリカの文化外交と美術制度の構造に基づく選択的叙述として捉える方が、歴史的文脈に即している点です。

 

冷戦期文化外交と「構造的選別」

冷戦期のアメリカでは、抽象表現主義や前衛芸術が「自由」「個人」「民主主義」の象徴として国際的に発信されました。MoMAはその中心的役割を担い、社会主義リアリズムや伝統主義的表現との差異を強調する文化戦略の一翼を担っていました。

この文脈の中で日本美術が紹介される際にも、「断絶」「実験」「反権威」を体現する前衛的表現が、近代化・民主化を象徴するものとして可視化されやすくなりました。

一方で、伝統回帰的な表現や、国家・共同体・ナショナリズムと結びつきやすい作品は、「戦後性」や「民主化」という枠組みに収まりにくいものとして、批評史の中心から自然に外れていきました。

 

戦後レジームと政治・文化の同時再編

こうした国際的な美術史叙述は、日本国内の「戦後レジーム」とも強く関連しています。戦後日本の政治と文化が同じ価値観を共有するようになったのは偶然ではありません。

GHQは、「反軍国主義、反権威主義、民主化、個人主義、平和主義、反ナショナリズム」といった価値観を、政治改革にとどまらず、教育、メディア、文学、美術、大学制度にまで一体的に浸透させました。

これは単なる政策の集合ではなく、価値観そのものの制度化でした。

その結果、政治では「反権威・反軍事」が民主的良識とされ、文学や美術においても同様の立場が「普遍的」「中立的」な価値として共有される構造が形成されていきました。

 

文化人と価値観の媒介

大江健三郎、加藤周一、丸山眞男といった文化人は、こうした価値体系を理論化・言語化する役割を担い、政治的価値観と文化的価値観が相互に補強される構造を強化しました。

彼らは特定の思想を強制したというより、戦後民主主義の正統的語り手として、その枠組みを再生産する媒介者となりました。

この構造は、美術界においても同様に見られます。

戦後美術は、岡本太郎吉原治良らの作品が、公的美術館や批評によって戦後民主主義と結びつけて評価されてきました。前衛芸術は、単なる様式の問題ではなく、戦後日本の精神的刷新を象徴するものとして評価されました。

MoMAの展覧会「Tokyo 1955–1970」に関する資料でも、反米軍基地運動や平和主義を背景とする作品(中村宏、池田龍雄など)が強調される一方で、ナショナリズムや保守的価値観と結びつく表現は、批評の焦点から外れた位置に置かれています。

これは意図的な排除というより、前衛=民主的・進歩的という評価軸が制度化された結果と見る方が適切です。

 

時代区分で見る制度化の進行

1945–1952年(占領期)

GHQは検閲、教育改革、文化政策を通じて「反軍事・反権威」を制度化し、抽象表現主義や前衛芸術を「自由の象徴」として導入しました。

1950–60年代(前衛の制度化)

具体美術協会、実験工房、ハイレッド・センターなどが「戦後日本美術の中心」として語られるようになります。文学においても「戦後文学」が制度化され、進歩的文化人が中心的地位を占めました。

1970年代(進歩的文化人の支配)

美術館、大学、批評界、文芸誌が同じ価値観を再生産し、伝統的・保守的表現は周縁化されていきました。

 

「中立」の逆転と多様性の限界

前衛や反権威が「中立」「普遍」として扱われるようになった背景には、GHQが「前衛=自由・民主主義」、「伝統=軍国主義の残滓」と位置づけた価値判断があります。この価値観が、美術館や大学、批評界を通じて制度化されました。

その結果、前衛は「進歩的で中立的な表現」と見なされ、伝統や国家、共同体を扱う表現は「政治的で危険」「前近代的」と評価されやすくなりました。

この逆転構造が、「多様性」を掲げながら思想的多様性を制限する仕組みを、文化制度の内部に埋め込んだと言えます。

 

文学界では、坂口安吾織田作之助のような異端的作家が一時的に注目されたものの、主流派の価値観が定着する中で、思想的振幅は次第に狭められていきました。

美術においても、MoMAの戦後日本美術史叙述は「多様な実験」を強調しながら、最終的には平和主義や左派的価値観に収束するナラティブを形成しています。

一方で、日本美術院系などの保守的美術家の活動は、ほとんど言及されていません。

この「多様性の看板の下での単一化」は、GHQ改革以後の文化政策と制度設計がもたらした結果として、批評史の中で確認できる現象です。

 

文学賞の審査委員や文芸誌の編集層は、戦後民主主義や社会批判を重視する文化的価値観を共有してきました。その結果、権力批判、社会批判、マイノリティの声、反体制性といった主題が、文学的価値として高く評価される構造が形成されてきたのです。

この構造のもとでは、国家、伝統、共同体、宗教、保守的価値観といった主題は、「文学的価値が低い」「政治的に問題がある」と見なされやすく、審査の場に乗りにくくなります。

出版業界全体もまた、新聞社系の文化人脈や文芸誌編集者層を通じて、こうした価値観を再生産してきた側面があります。

 

重要なのは、この構造がしばしば「中立」や「良識」として語られる点です。「多様性」を掲げながら、実際には思想や価値観の多様性が評価の対象から外れている場合、その制度は無自覚な排除を内包することになります。

文学賞の審査委員選出が同じ価値観を繰り返し再生産するかぎり、文化的多様性は制度内部で制限され続けるでしょう。

 

歴史認識とナショナリズムの構造

欧米では「ナショナリズム」が二面性を持つ概念として理解されています。危険なナショナリズム(ファシズム)と、正当なナショナリズム(独立運動・市民的ナショナリズム)です。

しかし日本では、ナショナリズム=軍国主義の残滓という単線的な理解が制度化され、その結果、国家や共同体といった主題が語りにくくなってしまいました。

 

日本の平和主義は、敗戦とGHQ占領下で形成された戦後レジームの中で根づいたものです。この「構造的平和主義」は、欧米左派の思想的起源とは大きく異なります。

欧米ではナチスやファシズム批判が中心に据えられ、戦後教育や公共言説を強く規定しましたが、スターリン体制、文化大革命、クメール・ルージュといったアジアの暴力体制は同じ密度で語られてきませんでした。

研究レベルでは、ナチズム・スターリニズム・毛沢東体制・クメール・ルージュの共通構造(指導者個人崇拝、想像上の敵の創出、粛清・監視、言論統制)が比較分析されています。

しかし一般言説では、ナチスだけが「人類普遍の教訓」とされ、他の体制の暴力は「地域特殊事情」として矮小化される傾向があります。この偏重は、現実の脅威に対応する政策判断を曇らせる危険があります。

同じ構造は、日本の戦前史の語られ方にも見られます。戦前の日本には「国家神道」という語は存在せず、神社は宗教ではなく国家儀礼・国民道徳として扱われていました。

明治政府は神仏習合の多様な信仰を国家の枠組みに再編し、神道的儀礼を国家統合の装置として制度化しましたが、それを「国家神道」という体系的宗教として理解する枠組みは戦後に形成されたものです。

GHQは占領政策の一環として State Shinto という概念を導入し、戦前体制を「宗教的国家主義」として整理しました。

この語は敗戦国処理の文脈で生まれた政治的カテゴリーであり、もし日本が戦争に勝っていたなら、神道的国家儀礼は「日本的伝統文化」として肯定的に語られていたでしょう。

アメリカやイギリスが「国家キリスト教」と批判されないのと同じ構造です。暴力やイデオロギーが「普遍的な罪」とされるか、「特殊事情」とされるかは、倫理ではなく国際政治の力学によって決まります。

 

つまり世界は戦勝国、大国の論理で動いているし、戦後の左派的な文化人、その影響の濃い学者、アカデミア、メディアも含めて、権威化された「99匹」(大きなもの)に巻かれたステレオタイプな批判を繰り変えしているともいえます。

勝者の語りは制度化され、教育・メディア・学界を通じて“常識”になる。戦後教育、大学カリキュラム、メディアの価値観、欧米アカデミアの理論輸入、これらがほぼ「99匹」の側に属している。

むしろ保守の方がマクロな力学で見た場合、脱権威化され周縁化された「1匹」の視点だといえます。

「99匹」の力学によってファシズムが普遍的悪として制度化され、スターリンや文化大革命の暴力が同じ温度で問われないのと同様に、日本の戦前体制も敗戦の文脈で特異化されました。

こうした非対称性は、歴史の理解を歪め、国家や共同体をめぐる健全な議論を困難にします。ナショナリズムは国家存立の当然の基盤であり、それを一律に悪者視する議論自体が非現実的です。

ナショナリズムには植民地抵抗や独立運動など正当な形態もあり、危険性と正当性の両面を持ちます。歴史の多様性を踏まえず、特定の時代や体制だけを普遍的悪として固定化することは、現実の脅威を見誤る危険を孕んでいます。

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