心洗われる日本の清流 「水」「音」「風」の癒し  

 

今まで数回、禅と瞑想 というテーマで、心理学的な検証をしてきましたが、このテーマの検証はまだこの先もしばらく続きます。

 

私は神道、特に古神道的な世界観が昔から好きで、また禅の世界観も好きです。そういうこともあり、私は精神世界や変性意識の検証を積極的にしてきました。(私自身は何かの宗教教義を妄信する信者ではなく、宗教組織には属してません。)

 

私の検証のスタンスというは、科学的・客観的な心理学的検証だけでなく、感性による直接知覚での検証も含めて探求していくものなので、禅と瞑想、古神道に関してもそれは同じです。

 

私は心理学的なパターンの分類や科学的分析だけでなく、古来から聖地と言われる場所や大自然の中で瞑想を静かに行い、その時に生じる精妙な感覚を感性で見つめながら、それと一体化しつつ、どのような意識・生理的な変化が起きるかの観察も同時にしてきました。

 

この場合のアプローチは、論理的思考ではなく全て感性的なものです。そして昔の人が何故その場所を聖地として大切にしてきたのか、というその意味も、思考的ではなく感性的に知覚するなら、とても自然にわかるのです。

 

古来の人々には、心理学や科学的分析など存在しなかったのですからね。ですがその繊細な感性がキャッチした「精妙なもの」は、けっしていい加減ではなくて、生命としての本質をちゃんと捉えたものでもあるんです。

 

ではここで私がとても好きな場所、静寂の中に圧倒的な神聖さと清らかさを感じた清流の動画を紹介しますね。

 

 

福井県 瓜割の滝 (名水百選)

 

 

「水」「音」「風」の癒し

 

私は感性的には、海・山・川・森羅万象の自然を神とする古来からの日本人の感性は最も普遍的なものだと感じています。 何故なら、人間はみな自然に生かされているというこの絶対的なベースは、何人であろうとも変わらないものだからです。

 

太陽・海・山・川、そして森羅万象の営みは、どんな人、そして人間以外の生命にも必要であり命を育むものだからです。

 

この生命にとっての最も普遍性のある働きには、全て神性の力が宿っていると感じた古来の人の感性は、最古であって最新なのかもしれません。

 

常にそれが最も古く、そして未来においても世界の人々は、最終的にはその最もシンプルな本質に至るだろうという意味で、それは最も新しいものとも言えるでしょう。

 

古神道というものは不思議で、そこにはヨガ的なもの、タオ的なもの、禅的なもの、風水的なものなど、それら全ての何かもっともシンプルなエッセンスが込められているように、私は感じますね。そして宗教にありがちな、「人間臭さ」がないんですね。

 

「誰々がこのように語りました」という感じの、「形ある人間の教え」と言うよりも、シンプルにただ生命と自然の法則をありのままに感じ語られている、そこに包含されるものが大きく、そして「無形なもの」だとも感じます。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました