うつと機能不全社会   大きな時間と小さな時間の中でありのままに生きる

 

機能不全化した「場」への過剰適応、そして自己肯定感を得にくい孤立社会における脆弱な個人

 

決して個人の問題だけに完結できない社会・組織の悪化した状態」と、決して社会・組織の問題だけに完結できない個々の心・精神の未成熟さ」の、内外の問題・力学が複雑に絡み合う機能不全状態

 

大きな時間・空間と小さな時間・空間の双方が、調和・統合出来ないままカオス化し不調和化する世界の中で、ヒトの心は壊れやすく脆くなり、自然回復が難しい状態に向かっている、と感じますね。

 

以下に紹介の外部サイト記事も、「人間性・心・精神の問題」を蔑ろにしてきた社会の在り方のツケとも言えるでしょう。

 

急増する『派遣うつ』 ストレスの連鎖が生んだ「共食い」職場の実態

貧困とセックス、いずれ最底辺は銃を持つ

増殖する「中高年派遣」34万人の悲鳴 法改正を逆手にとった「派遣切り」も

一生貧困の宿命「アラフォー・クライシス」を生んだ犯人は誰だ

 

 

ではここで、数々の映画賞を受賞し、本国ラトビアで社会現象にもなった自伝的アニメーション作品の紹介です。

 

これはラトビア出身の女性アニメーション作家シグネ・バウマネ氏が、「 鬱病や自殺衝動など自らの家系で代々続く精神疾患」をテーマに描く作品です。(監督本人もうつ病で自殺未遂の経験あり。)

 

 

 

 

大きな時間と小さな時間の中でありのままに生きる

 

好きな事だけして不快なことは避け、常にありのままに生きれれいい、これは誰もが一度は思うことでしょう。

 

ですが個々の人に全く同じリズムはなく、性格・気質・体力・能力・容姿・健康状態・年齢・立場や役割は違い、それらの全ての人々が「大きな時と場」である社会時間・社会空間を共有しています。

 

それはわたしだけの、あなただけの時や場ではないんですね。「人がありのままに生きる」、という状態は、「野生動物がありのままに生きる」、というのとは質が異なるわけです。

 

共有された時と場の中で様々な関係性が生じ、互いに作用・影響を与えあって生きているわけで、そのような時と場の中で個々が不調和で自分の事しか考えない人ばかりであるならば、

 

調和が失われ、全体がカオス化し、それは結局、「個々を生かすはずの場」を逆に「生きづらい場」に変えてしまいます。

 

プライベートな場と時間において、個はそれぞれに異なる基本リズムを持っていて、(こどもの時はその基本リズムのままです。)「自他が未分離」~「極端な分離や同化」、これが自然自我のリズの質とするなら、

 

オトナは社会的空間では状況に応じてリズムを可変させ、「みなリズムが違う(自他分離している)」という事実を受け止めたところから接する、が社会的自我のリズムの質です。

 

そして調和的な自己統合自然自我(ありのまま)と、社会的自我(あるべきもの)が同時にあって調和している時は、「一方がもう一方を否定したり対立・抑圧・分裂していない」状態にあります。

 

なので「内的状態」はありのままの自身でありつつ、外的対応は状況に合わせて可変させることが出来る。だから極端な分離にも同化にもならずに、外もウチもバランスが大きく崩れないんですね。

 

「心」があれば、どんな人であれ周囲に多少の影響を受けますが、

 

健常さが保たれている大人であれば、自身を完全に乗っ取られたり呑み込まれるような侵入・侵食は、普通の社会生活や人間関係の次元であまり起きないわけです。

 

相手のリズムに飲まれて自己のリズムを見失うのは「同化」で、相手のリズムの影響を否定して受けなくするのが「石化」。

 

石化『「非身体化された自己」によって、「身体化された自己」を他者のように見つめる』分離的状態であり、これは「自己分離」の状態です。

 

その本質は自己の全体性としての「経験の否定」で、同化は「自他の未分離」だから、分離と同化を繰り返すだけだと自然自我のリズムのままで社会的自我が成熟しないんですね。

 

だから自他の部分と部分が癒着するか対立するかの対象関係に始終するわけです。未熟な自己愛が投影され、肯定も否定も分離的で極端になり、全体性が見えなくなることで不調和となります。

 

社会的自我の成熟は、「身体化された自己」の全体性を通して、「身体化された他者」の全体性との経験を経る中で徐々にシッカリしていくもので、それは成熟していく過程では誰もが通る道です。

 

そして自己愛は成熟し、肯定も否定も全体性と共にある時、極端さは少なく調和的になるわけですが、これはリズムの問題じゃなく、「自己統合状態」の恒常性・バランスの問題なんですね。

 

個々のリズムが異なるから世界には多元性が生じ、その多元性のリズムを社会的自我で内外調和するから集団には活力の集中が生まれ、同時に秩序とハーモニーの両方が生まれ、

 

個々のリズムが全く同じならそこに変化も多元性もなく可能性もなく無機的になり、またリズムが不調和でカオス化するなら、活力は分散化し退廃と醜悪さしか生まれない、ということなんですね。

 

「インサイド・ヘッド」

 

「インサイド・ヘッド」はその制作にあたって複数の神経科学者の意見が参考にされ、そして心理学や脳科学の研究成果なども含めて「人間の感情」をテーマに作成されたアニメ映画です。

 

11才の少女ライリーの頭の中の“5つの感情たち”─ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミ。遠い街への引っ越しをきっかけに不安定になったライリーの心の中で、ヨロコビとカナシミは迷子になってしまう。

ライリーはこのまま感情を失い、心が壊れてしまうのか? 驚きに満ちた“頭の中の世界”で繰り広げられる、ディズニー/ピクサーの感動の冒険ファンタジー。観終わった時、あなたはきっと、自分をもっと好きになっている。

 

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