今回はてコフートの自己心理学と「自己愛性人格障害」をテーマに記事を書いていきます。「自己」や「自己愛」に関するテーマは過去にも色々な角度で書いてきましたが、
近年、そしてここ最近の日本と世界の病的な心理を考察する際に、やはり「自己愛」というものがとても重要なキーワードになっているなぁ、と感じることが多いから、色んな切り口からちょくちょくテーマにするわけなんですが、今回は「コフート」の自己分析を参考に、「自己愛」というものを見てみましょう。
フロイトにせよユングにせよアドラーにせよそうですが、私はコフートが絶対的な真実とか一番とか、そういう風には全く考えてはいません。あくまでも(古典的な)一つの分析として見ているのです。
科学的根拠に基づく理論とはいえないが、先人たちの知や取り組みから見えてくるものや感じられる真実の断片は多く、思想、哲学的にも興味深い部分は多いんですね。
「心・精神」というものを理系的な科学的アプローチのみでみていくのではなく、文化人類学、社会学、哲学などを含む文系的・時代的・社会的・感性的なアプローチで見ていくのは、「人間」というものの複雑系を多角的に理解することに必要であり、
そしてその質・アプローチが科学的な検証とは異なっても意味・価値はあると私は考えます。このブログは、古今東西の先人たちの知を結集させた集合知だけでなく、
専門以外の他分野の角度、現代科学の多角的な知見や私自身の実体験・感性的理解と思考分析を加えた分析スタイルで書いているので、専門用語・学問的な概念も多々使ってはいますが、本質的に「この分野の専門家の学問的・教科書的な専門ブログ」とは全く別物のブログです。
では前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入りましょう。
オーストリア出身の精神科医である「ハインツ・コフート」が創始した精神分析学である「自己心理学」では自己対象転移(自己愛転移)という概念が使われます。
これは自己愛性パーソナリティ障害に見られる特殊な転移であり、これによって自己の障害を代償しようとするもので、以下の4種類あります。
○ 鏡転移(鏡自己対象転移)○ 理想化転移(理想化自己対象転移)○ 双子転移(双子自己対象転移)○ 融合転移(融合自己対象転移)
コフートの自己心理学で言う「転移」は、フロイトの精神分析における「感情転移」とは異なります。そしてコフートにおける「自己愛」と「自己の発達」もフロイトとは異なります。
とはいってもコフートはフロイトをベースにし、そこから新たな分析をしつつ独自の概念を生み出していった人の一人なので、コフートを理解するための基本としてフロイトの理論を知っておく必要はあるでしょう。
そこでまず、part1ではフロイトの理論の本質的な部分をシンプルに整理しておきますね。
フロイト「固着と退行」
フロイトの自己の発達は、第➀段階の「自体愛」から第➁段階で「自己愛」、そして第➂段階が「対象愛」へと向かうプロセスです。
第➀段階の「自体愛」は、一次性ナルシシズムの時期でもあり、一次性ナルシシズムは「母子一体感」に基づいた「幻想的万能感」を有する時期から、徐々に母子分離していく過程での「母子分離不安」を弱めるための防衛機制であり、これ自体は発達過程で生じる極自然なものです。
「自体愛」は、フロイトのリビドー発達段階における五つの時期=「a 口唇期、b 肛門期、c 男根期、d 潜伏期、e 性器期」の中の「a 口唇期~d 潜伏期あたり」までで、これは大体、赤子~小学生一杯(児童期)です。
フロイトの概念で「リビドー」というものは、「生の欲求エネルギー」であり、それはエス=「動物的本能」から生じるもの、と定義されます。
そしてシンプルに言えば、フロイトの「正常な発達理論」というのは、この「リビドー」という本能的な欲求エネルギーが「自体愛」⇒「自己愛」⇒「対象愛」へと段階的に適切に「本能変遷」される、
つまり「本能が高次の自我に昇華・変容」されることで「成熟した大人」になる、という発達観であり、「より至近的な対象=閉じたもの・内部世界」から、「より遠い対象=開いたもの・外部世界」へと向かう運動であり、
具体的には『自分自身→ 家族→ 家族外部の他者』へ本能変遷され、関係の発展拡大と社会的自立へ向かう方向性なんですね。そしてフロイトの「異常な発達理論」というのは、シンプルに言えば「固着」と「退行」で組み合わされる反応パターンであり、
成長後に発現する「他者と対等な人間関係を結ぶことができない二次性ナルシシズム」の構造も、早期発達段階への逆戻り=「退行と固着の防衛機制の働き」で説明されます。
「固着」はリビドー発達が停滞・障害され十分に解消されない状態=「トラウマ体験・肉体的、精神的虐待・愛情の不在」、あるいは過剰な満足=「過保護・過干渉」などが原因であり、
「a 口唇期、b 肛門期、c 男根期、d 潜伏期、e 性器期」の中のどの発達段階で「固着」するかによって、その後のパーソナリティ形成への影響がそれぞれに異なるのですね。
例えば、 口唇期に固着⇒ 愛情欲求が非常に強く依存的。肛門期に固着⇒ 強迫的な性格、自己制御の過剰。几帳面・頑固。男根期に固着⇒自己顕示的で攻撃的。ヒステリー。 などです。
本能的な欲求が阻止されることによって、リビドーの抑圧体験が起き不満足状態になると、リビドーは満足な状態へ向かおうとしますが、
そこで現実の状況・環境が継続的に満足を与えずリビドーの抑圧状態が続くような場合、「今・現在よりは満足 を得られていた体験・記憶」へ向かうことでその不足を補おうとします。
そして、「今・現在よりは満足 を得られていた体験・記憶」への移行先というのは、「過去のリビドー固着点」に辿りつきます。これを「退行」と言います。
ですが、完全に全的に過去の状態に退行するのではなく、また病的であってもなくても、フロイトは基本的に「エスと自我と超自我」の「三つの力学」の中でのリビドーの運動として人の発達を捉えている(これは「力動的心理学」とも言われます)ので、
「リビドーを制御・抑圧しようとする社会的な力学である超自我」と、「リビドーをそのまま満たし解放しようとする自然本能的力学であるエス」の狭間で、「自我」は葛藤しながらバランスをとりつつ徐々に成熟する、という構造そのものは「健全」なわけです。
なので、「リビドーの抑圧」それ自体が単純に問題なのではなく、その「経験」が三つの力学のバランス状態を崩し「幼児期におけるリビドーの固着点」に向かう=「退行」することが問題で、例えばそれが「神経症」などを引き起こし、具体化した形となって現れる、というわけですね。
病的な自己愛
そしてナルシズムに関しては、「a 口唇期、b 肛門期、c 男根期、d 潜伏期、e 性器期」の中で一次性ナルシシズムは「a 口唇期~c 男根期」のあたりに強く見られるものですが、
「性器期」が大体中学生あたりから成人期までで、「自体愛」⇒「自己愛」⇒「対象愛」へ向かう発達段階の中で「思春期~成人期」は「自己愛」⇒「対象愛」へ向かう途上にある期間であり、
この時期にリビドー発達が障害されると、「幼児的退行」での内面化によって自己没入し、陶酔的に自分自身の身体や精神を愛する『病的な自己愛』が発現する、というわけですね。
そしてこの思春期から成人期にかけて生起する病的な二次性ナルシシズムは、自己耽溺し、他者に共感性がなく無関心であるだけでなく、社会・周囲からの孤立感や疎外感を、「分裂」と「脱価値化」の防衛機制によって意識外に排出してアンバランスな自我状態を守ろうとするため、
自分を認めない者、賞賛しない者を徹底的に切り捨て排除する、というような自己中心性の強い過剰反応になって現れたりもするのです。
そしてこの「二次性ナルシシズム」が自己愛性人格障害の主要な力学なんだ、ということですね。フロイトのおさらいはここまでです。フロイトの精神分析の限界に関するテーマで書いた過去記事を以下に紹介しておきますね。
今回のテーマ内容とは重なりませんが、物理学者で脳科学者の小泉 英明 氏の著書「脳の科学史 フロイトから脳地図 MRIへ は脳科学の全体性が学べる本で、そしてフロイトの意外な一面など、興味深い内容となっています。
詳細はpart2で書くので、今回はサラッと書きますが、コフートの場合、「自己愛」=「未熟で病気」ではなく、コフートの発達段階では「自己愛」は「在り続けるもの」です。
「自体愛」⇒「自己愛」⇒「対象愛」に向かうフロイトの理論とは異なり、コフートの場合は「自体愛」⇒「未熟な自己愛」⇒「成熟した健全な自己愛」へと向かうもので、
これは体験において、そして感覚において、そして分析的にみても、私は自己愛の捉え方はフロイトよりはコフートの方に近いです。
もちろん、全く同じではありません。part2以後も、このテーマを含んだコフート以外の別の角度からも記事を書きていきますね。
コフートの「健全な自己愛」というものは、「他者からの承認・賞賛・肯定」を求める、つまり「自己への愛のベクトル」も否定しないんですね。
それを過剰ではなく「適度」に求めつつ、「他者(対象)への愛のベクトル」も同時に存在し、これによって自己と社会をバランスしながら存在意義を高めていくという、そういう「健全な自己愛」を人は生涯にわたって持ち続けていく、というのがコフートの方向性なんですね。
コメント
全てを理解したわけではないですが、コフートさんの説は僕にも受け入れやすいモノです。
その健全性が損なわれている状態を近年の自分自身に観ることが出来るものなのですが、其れが何処へ退行していっているのか?は、解らないけど、アンバランスな排他的な方向へと自分が流れていた事は、確認できます。