「虚無を生むもの」のテーマはまだしばらくは続きます。今回も「自我」に関する補足の記事ですが、今日は太宰治と三島由紀夫を中心に、自我の運動と自我の生む病理の構造を見てみましょう。
以下は 岸田秀 氏の「ものぐさ精神分析」 自己嫌悪の効用」より引用抜粋です。
自己嫌悪とは、つまり、「架空の自分」 が 「現実の自分」 を 嫌悪している状態である。自己嫌悪は一種の免罪符である。
自己嫌悪は嫌悪された行為の再発を阻止するどころか、促進するのである。ある 「欠点」 または 「悪癖」 などについて当人が自己嫌悪を持っている限り、その 「欠点」 や 「悪癖」 は 直らないと見てよい。(引用抜粋ここまで)
「右」と「左」の極端な社会的自我の分離活動の例として「太宰治と三島由紀夫」はわかりやすい例ですね。三島由紀夫は徹底して太宰治を嫌悪していましたが、これはよく、「同族嫌悪」と言われる心理であり、「同族嫌悪」は「投影」の一種です。
心理的に同族なら常に嫌悪するか?というと必ずしもそうではなく、同族だからこそ好感を持つこともあります。では、三島由紀夫は太宰治の何を嫌っていたのでしょうか? 彼の「同族嫌悪」の中身を見てみましょう。
三島由紀夫と太宰治、二人の人物の分離の基準点は同じです。それは共に両者が「弱い自然自我」を起点にしている、ということです。両者の自然自我は共に弱いですが自我の質が違います。
太宰治が陰性であるのに対し、三島由紀夫は陽性ですが、太宰治は本当の陰性ではなく、自我の中心には陽性を持つ陰性です。三島由紀夫も本当の陽性ではなく、自我の中心には陰性を持つ陽性です。二人の自然自我の分離性の歪みは、共に幼少期にルーツがあります。参考として以下のリンクを張っておきます。
⇒ 三島由紀夫
なので正確には「弱い自然自我同士の同族嫌悪」ではなく、「自らの正体を誤魔化している自己欺瞞性への同族嫌悪」であり、感性の鋭い三島由紀夫にとってはそれが嫌で仕方なかったのでしょう。
太宰治の自我の中心の陽性は「弱い自然自我」を肯定し、三島由紀夫の中の陰性は「弱い自然自我」を否定・嫌悪しています。太宰治は「弱さ」を肯定する延長上に自殺という表現をしたのであり、三島由紀夫は「弱さ」を否定する延長上に自殺という表現をした、とも言えますね。
ナルシズムと自我の病理
では何故両者は自殺したのでしょう? ここには共通の自我の病理があるんですね。
共に水と油の「美学」を持つ二人ですが、その美学は、自己欺瞞の自我の内的分裂によって生まれた「過剰な分離性を持つ自我」によって生じるナルシズムで、それが人格化したのがナルシストです。
太宰治と三島由紀夫はその究極へと突き進み、自我を支えられなくなった。そして「自我の死」を望んだ二人は、それを「存在の死」と取り違えてしまったのです。その錯覚の構造は、以下の過去記事を参考に紹介しておきますね。⇒ 自我は弱めるべき? 強めるべき? なくすべき?
ナルシストは分離した自我と存在の不調和状態から生じる不安定さ(傷つきやすい自尊心)を支えるために、「自己愛」を他者から備給する必要があり、「注目されることを過剰に求める」のです。それによって無意識的に自我のバランス制御をしている状態。
ナルシズムは、心理学での「分離」と関連した防衛機構であり、ナルシストは「他者及び世界、様々な複合的要素で成り立つ対象」といったものを、「よい面・悪い面が混合した立体的な全体性」として見れず、思考が一面に偏るのです。
対象を完全な白か黒に振り分け、「嫌な方=黒」は「投影」・「置き換え」によって意識の外側に排斥され、外的要因にされます。
だが「意識の外側への排斥」というのは「無意識化」のことであり、実際は自己の内部を分離・抑圧化しているだけであることには気づかない。そしてこの時、「嫌悪」によって分離・抑圧化するのです。
そして「好きな方=白」は、「分離した自我の安定強化」のために、「自信喪失や幻滅を避ける肯定的要素」として、受け入れられるが、分離の反動作用として過剰な同化が起き自我肥大をもたらすのです。
そしてナルシズムが「絶対的ナルシシズム」と化して宗教・思想と結びついた場合は、カルト系組織の教祖・絶対的指導者・盲信者の精神病理の一因にもなります。また思想と結びつかない個人の場合は、精神病質の一因になります。
ですが、「ナルシズム」というものは奥が深く、単純に「なければそれでいい」とか、そういうものではないのです。これが悪性となるか良性となるか、それも個の内的状態と外的環境の相互関係でもあるからです。
そのあたりにことを書くと長くなるので、今回はそれをわかりやすくまとめているサイトを紹介しておきます。⇒ 役に立つ心理学コラム さまざまなナルシズム
自己愛性のパーソナリティ
三島由紀夫も太宰治も共に自己愛性のパーソナリティですが、自我の中心・内的には「陽性の自己愛」=「自我分離した自己肯定」を持ち、外的には「陰性の自我肥大」へと分離化した自我運動が太宰治で、
自我の中心・内的には「陰性の自己愛」=「自我分離した自己否定」を持ち、外的には「陽性の自我肥大」へと分離化した自我運動が三島由紀夫ですね。
現代の精神医学で言えば、三島由紀夫は自己愛性パーソナリティ障害、太宰治は境界性パーソナリティ障害に分類されるでしょう。
ですが、この二人が描き出した対極的な陰陽の美学は、好き嫌いや賛否両論がハッキリ分かれ、精神病理があるとはいえ、傑出した、研ぎ澄まされた感性を持つものであり、日本文学史の中で見過ごすことは出来ない天才的な才能の表れです。
そもそも天才で普通の人格・精神状態の人ってむしろ少ないですね。
両者の強力なナルシズムの発達の背景には、他にも「その当時の社会と個の思想的世界観の相性」という力学もあるでしょう。三島由紀夫はニーチェ的な、そして太宰治はキリスト教的な世界観でその当時の日本社会を生きたとも感じますね。
先に紹介の岸田秀氏は太宰治の「人間失格」を次のように批評しています。
「この上なく卑劣な根性を「持って生れ」ながら、自分を「弱き美しきかなしき純粋な魂」の持主と思いたがる意地汚い人々にとってきわめて好都合な自己正当化の「救い」を提供する作品である。」
いや~辛辣ですね、三島由紀夫以上ですね、太宰の一面を看破していますが、彼の文学的感性の鋭さを含めるのであれば、「岸田さん、そこまで言わなくても~」とも私は思いますが(笑)
病的ナルシズムへの二つの対処
病的ナルシズムへの対処は二つの方法があります。ひとつは自我を弱め「悟り・気づき」の方向性へ向かうもので、これは現代ではあまり一般的ではない方向性です。
マイナーな方向性ではありますが、「悟り・気づき」の方向性へ向かう場合は、このブログの「禅・瞑想・マインドフルネス」のカテゴリーを参考にして下さい。もうひとつは「自己統合・社会的自己実現」へと向かう方向性ですが、こちらはより一般的でしょう。
自己統合もこのブログのひとつのテーマですが、ここではそれに関連する外部サイトの記事をひとつ紹介しておきます。⇒ 現代日本における意識の分裂について(5)日本的ナルシシズムの克服と自我の確立
では今回の記事のラストに、太宰治と三島由紀夫に関する二つの引用記事を紹介して終わりとします。
「太宰治と三島由紀夫」 より引用抜粋
(前略)
小説家の休暇という評論で、三島の太宰嫌いは有名とされている。太宰の入水自殺後刊行された、「小説家の休暇」にはこうある。
(中略)
私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強みになることぐらい知っている。しかし弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。ましてそれを人に押しつけるにいたっては!
太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。」
しかし、三島の晩年には太宰に対する感情が変化しています。昭和45年、一橋大学でのティーチ・インではこのように語っています。
三島:私は太宰とますます対照的な方向に向かっているようなわけですけど,おそらくどこか自分の根底に太宰と触れるところがあるからだろうと思う。だからこそ反発するし,だからこそ逆の方に行くのでしょうね。おそらくそうかもしれません。
また村松剛との会合で「お前も太宰と同じだ」と言われた三島は「そうなんだ同じなんだ」と言ったことも有名なエピソードらしい。– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 太宰治と三島由紀夫
「三島由紀夫」 より引用抜粋
「臆病者」
壮烈な死を遂げた三島は、日頃「尚武の精神」とか「文武両道」を強調していたが、さほど勇気のある男ではなかった。彼が金箔付きの臆病者だったという証言がたくさんあるのである。
(中略)
彼は「仮面の告白」に次のように書いている。「何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか?何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、肩が凝って仕方がないと言ったり、血痰が出ると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出たと言ったりしたのか?」
必死になって嘘をついたお陰で彼は、入隊を免除され帰宅を許された。 検査場の門を出るやいなや、三島は付き添ってきた父親と一緒に脱兎のごとく逃げ出した。
「さっきの決定は取り消しだ」と言われはすまいかと、父親の表現によれば「逃げ足の早さでは脱獄囚にも劣らぬ」勢いで、一目散に駆けだしたのだ。
三島の恐怖症については、空襲警報が鳴り出すと真っ先に防空壕に逃げ込んだというような逸話があるし、あれほど作品の中で海を美しく書いた三島が、
家族で海岸に出かけても海が怖くて泳ごうとしなかったという話にも現れている(夫人の談話)。
(中略)
三島は唯識論や臨済禅について作品の中で蘊蓄を傾けているけれど、彼ほど非宗教的な人間はいない。宗教的世界を理解するにはエゴを超えた超越体験が必要とされるが、三島は死ぬまで自我圏内を出る
ことがなかった人間だった。– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)引用元⇒ 三島由紀夫
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