「8月」というのは「7月」と何かがガラッと大きく変わる感じが昔からあり、やはりそれは「歴史」の厚みが作用しているように思います。
まず動画の紹介ですが、近現代史研究家の辻田真佐憲さんの「あの戦争」のテーマにおいて、「全体を見渡す」視点って、今の時代に特に大事かもしれませんね。
こういう取り組みはもっと増えてほしいですし、なにより「語り」がスッと入ってくる感じがいいですね。
一部の人文インテリが、気に入らない相手をすぐに「豚○○」とか「クズ化した○○」」そういった感じにレッテル張りしてコケ下ろす姿勢は、権威主義と自己愛の強さしか感じず、
信者を除いて、多くの人々にとっては何の学びにも繋がらないでしょう。
ではここから先、今回は「中心」と「周縁」、「内」と「外」の循環構造をテーマに考察しています。
「宗教」という概念は近代の新しい産物であっていろんな問題を抱えていて以下略という「宗教概念批判」のような問題は、「美術」という概念にもあったりする的な話でした。
— DJ プラパンチャ (@prapanca_snares) August 14, 2025
日本における絵画や彫刻、書、あるいは屏風・掛け軸・絵巻物といった造形文化は、生活や信仰、実用の場面と切り離せずに存在していた。
人々はそれらに「美しさ」を認めつつも、それを「美術」という抽象的・制度的な領域として扱ってはいなかった。
西洋的な「Art(美術)」の概念が輸入され、美術館制度や額装・展示という形式が広まると、それまで生活空間の中で享受されていたものが、鑑賞のために隔離された対象へと変化する。
「観賞者」と「作品」という二項対立的な関係が成立し、書と絵が渾然一体であった「書画」も、西洋的なカテゴリーに収められる過程で「書」は美術から切り離される。
「美術史」という語があらたに成立し、作品群の配列や評価が近代的枠組みに基づいて編成される。
これは↑のポストにあるように、「宗教」概念の近代的成立が抱える問題(宗教学における「宗教概念批判」)とパラレルに考えられられます。
つまり、「美術」という概念も歴史を整理し直す力を持つ反面、それ以前の実態をねじ曲げたり遮蔽したりしてしまう。
襖絵や屏風は住空間そのものの一部であり、掛軸や書画は四季の行事や客人を迎える場で掛け替えるなど、きわめて動的・実用的でした。このような「使いながら見る文化」が、「陳列され、鑑賞される作品」へとモードを変えるのが明治期の大転換です。
書のほか、工芸品や日常用具の中にある造形美も「美術」から外れる傾向が強まり、「fine art(純粋芸術)」と「craft(工芸)」の分断が持ち込まれました。
この線引きは欧米由来の学問や制度を受け入れる中で生じたもので、現在でも「工芸」や「書」は美術館の中で扱いにくい領域とされています。
明治以降に編まれた美術史は、西洋的な「絵画・彫刻中心」の枠組みを参照しながら、日本の過去を再整理しました。そのとき、例えば「仏像」は宗教的オブジェクトではなく「彫刻作品」とされる、といった再定義が行われました。
「民藝運動」に見る「中心」と「周縁」
「イオンモールだけが明るい地方都市に美術はない(大意)」という美術手帖の人の発信、どっちかというと東京もんの傲りにムカつくより、「誰かが美術という形にしつらえた美」しか美として受け付けなくなってる悲しみの方を強く感じるな。
ホッパーならきっとイオンモールも絵にするぞ。 pic.twitter.com/Don9iH1Wze— (@PKAnzug) August 14, 2025
「民藝運動」もまた価値の文脈、「社会」のフレームを離れてはいない。 ➡ 民藝とは何か 柳宗悦
日常的に使われるものに新たな美的価値を見出すことで、民衆の生活や伝統に根ざした工芸の意義を再評価し、民芸に独自の価値を設定したものです。
したがって、民芸運動は単に工芸品を評価するだけでなく、美の価値づけそのものに革新をもたらした新たな価値づけのひとつといえます。
柳宗悦がどれだけ「無名」「無想」「生活の中の美」を掲げても、それが社会的フレームの外部に純粋に存在することは不可能で、
美術館・市場・雑誌・評論といった制度的回路を通して価値づけされる時点で、すでに社会的枠組みの内部に位置する。
また、保存・収集・展覧のためには資金が必要で、その調達・分配は社会制度に依存する。「美」という概念も、その語彙や基準は近代の文化資本や教育制度に支えられている。
「価値/価値の外」の二項対立 「内」と「外」の循環構造
ある対象を「価値の外」と規定する瞬間、その対象は「外部である」というラベルを与えられ、
それ自体が「分類」「記号化」「命名」といった行為を通じて意味付けされ、結局は価値体系のマッピングに組み込まれるという回収構造。
そして、「価値/価値の外」という二項を立てると、この対立構造そのものが、何らかの価値基準を内包した思考の枠組みであるため、「完全なる外部」というものは、構造的に成立し得ない。
この構造は「○○/○○の外」という概念対立が常に「大きな包括的フレーム」を暗黙に抱えてしまう問題ですね。
さらに、「価値の外」を唯一無二の特別視する語りは、その唯一性が新たな価値として機能し、社会・文化的コードの中へ取り込まれてしまいます。
こうして「外部性」は内部化され、どんなに離れた領域を志向しても、結局は同一の価値回路の中で再生産されるということ。
柳宗悦なんかが主張した民芸品の美とかも、本人に悪意はなかったろうし、必ずしも嘘を言ってるわけでもないが、やはりコロニアリズムと同じものをそこに感じる。まあそういう視点がなければ残りもしなかったものが民芸品なので意味はあるわけだけども。
— Af (@Sz73B) August 15, 2025
柳宗悦が「凡庸の中の非凡」を見出した場面をたどると、その感性はやはり都市で教育を受けた高学歴知識人の視座と切り離せません。
柳宗悦の眼差しは、理念としては「暮らしの中に宿る美をすくい上げる」もので、それまで顧みられなかった無名の器や日常の造形が、「美しい」と公に語られたことで、生活文化が評価の舞台に上がった。
一方、舞台に上げるという行為そのものが新たな価値の枠組みを作り、そこに組み込まれていった――この二面性を同時に見ておくことが大事でしょう。
廃れつつあった技術や形が「価値あるもの」と認識されたから、「保存や記録の対象」になった。でも、その選定や価値づけの位置取は、結果的に「中心から周縁を眺める構造」になってしまう。
当事者が作った理由や機能とは別の審美的評価軸で分類され、制度化される。選び、命名し、保存する権利が中央の知識人や都市機関に集中する。
本来の使用場面や労働の背景よりも、「美しいもの」としての物語が前景化する。
柳宗悦は自ら工芸の制作者ではなく、蒐集家・思想家として理念を提示しました。そのため、現場の職人や作家からは「外部からの理念の押し付け」と受け止められることもありました。
「無名の美」という理念や、都市の鑑賞者が見出す価値は、どうしても“審美”に寄りがちですが、当事者の側にあるのはまず暮らしを回すための実用性です。つまり「目的思考」「役に立つ」という価値基準が前提にあるんですね。
私は柳宗悦氏を否定しているわけではありません、むしろとても鋭い視点の持ち主で、創造性が高く発想が面白い人だと思います。
また「価値」にせよ「社会」にせよそれ自体は否定しません。その構造や限界、あるいはそれに無自覚な場合に生じる問題を考察しているんですね。
「本質語り」の両義性
二項対立の自己言及性、「価値」と「価値の外」を言語化する行為自体が、価値プロセスの内側に留まる自己言及的構造を生む。
構造を無視してそれを語ることもできるが、枠組みを疑わずに外側を語る行為は、前提を隠蔽する「巧妙なポジショニング」にもなる。
これがアカデミアに特有の「無自覚な権威主義」として染みついていくと、「○○の外」をよく語る人ほど、「その前提」に気づけなくなって、
逆に、「社会」や「価値」の内部でそれを自覚しつつ語る人、目的思考で生きている人の方が、より純粋に「その外」に触れる可能性が高くなる、という逆説が生じてくるわけですね。
だから学問の外側で人は(非言語的に)それに触れていることがよくあり、しかもそれを「本質語り」の好きな一部の学者や専門家のように「語らないまま」それ自体を生きている。
以前、別のテーマでも書きましたが、「語らないままそれ自体を生きているものに触れることでしか伝わらないもの」を、「語ることで遠ざける、切断してしまう(ことに本人は気づいていない)」、そういう玄人の「本質語り」の両義性ですが、
何かを言葉で伝えようとすることが、その瞬間に生きた状態でしか届かないものを切り離してしまう。言葉が先立つことで、触れていた温度や匂いが失われ、「行為」へ向かう回路を閉ざしてしまうわけです。
一方で、「非本質的な語り」は、「中心」をあえて外す(そこは非言語的に触れるものだから)ことによって聞き手を「まずやってみる」「触れてみる」側へ押し出す力を持っています。
そこには「それ」を規定する枠がない分、聞き手は自分の手触りで続きを確かめるしかなくなるからなんですね。