鬱は精神科医なら常に正しく見分けられるか?というと実はそんなに簡単ではありません。誤診もあれば細かい見落としなども実際にあるわけです。(しかし精神医学も日々進歩していますので、今後は徐々に減っていくだろうとは思います。)
何が正しい診断なのか?という以前に、「うつ」の線引きが難しいし、うつには様々な種類があり、その原因も複合的だったり個人差もあり、治療もまだまだ途上の段階だからです。
最近、「新型うつ」という言葉などが広く知られるようになってきましたが、鬱と鬱でないものを見分けることって何を基準にすればいいんでしょうか?というような疑問・質問がアチコチで発されており、混乱が見受けられます。
それが他の病気によって引き起こされた「うつと良く似た症状」なのか、思い込みの激しい人やちょっと神経過敏な人が誇大に感情表現をしている姿なのか?はたまた意図的な達の悪い演技や仮病なのか?
鬱の認定は様々な角度から注意深く観察する事が求められるし、鬱でないものを鬱と認定して治療してしまうことも事実として存在するわけで、
また逆に本当に重い鬱症状なのにそれを鬱でないと認定して放置してしまえば、これも当然治るはずもありません。
そして鬱は目には見えない複雑な病気であるからこそ、専門家達の理解力や診断能力は随分と個人差があるなと感じますね。
やはり専門知識だけでなく豊富な臨床経験と観察力、立体的・総合的な理解力が求められるものでしょう。
ではまず、鬱にはどんな種類があるのでしょう。以下にそれぞれ分類分けしてまとめてみましたが、その前にまず「うつ病/抑うつ状態/抑うつ気分」の違いを概念的に整理するため以下の参考動画を紹介します。
この動画は精神科医の松崎朝樹 氏によるものです。
「メランコリー親和性性格」、「執着気質」、「循環気質」の人がなりやすいもっとも知られた二つのタイプの鬱
ナシア・ガミー著「気分障害ハンドブック」より
『 平均的な発症年齢は、双極性障害で19歳、単極性うつ病では30歳』『30歳でうつ病になった人が将来的に躁/軽躁病になる確率は10~20%』、『12歳でうつ病になった人がその後も単極性である可能性は50%』『若年発症のうつ病は双極性障害である率が比較的高い。』
大鬱(うつ)病
最もメジャーな典型的なうつです。このタイプはイメージしやすいと思います。昔、うつと言えば殆どがこの大鬱病のイメージだったんですね。ただ最近では鬱の捉え方そのものが変化してきています。
真面目で几帳面な性格の人を「メランコリー親和性性格」と言います。大鬱病に特徴的なものです。「完璧主義」「人に気を遣う」「責任感が強い」などの「執着気質」と定義されています。
「メランコリー親和型」を「うつの病前性格」ではなく「日本人の特性ではないか?」と考える精神科医もいます。
以下、追加更新ですが、「メランコリー親和型」に関する専門家による記事を紹介します。
「メランコリー親和型性格とうつ病」より引用・抜粋
(前略)日本ではテレンバッハを論拠に「メランコリー親和型性格が発症するうつ病こそ本来のうつ病、内因性うつ病だ」とも言われるようになりました。しかし、それは虚像だったのではないか、と私は思います。
論拠となっているはずのテレンバッハの『メランコリー』も、翻訳で意図的に好ましい表現に変えられており、また翻訳されたものを見ても、日本で広まった“メランコリー親和型性格”とは相当に異なることが明らかです。
そもそも、テレンバッハの対象としたのは入院した重症のうつ病であり、日本の“メランコリー親和型性格のうつ病”とは違います。言ってしまえば、日本のうつ病はテレンバッハを(意図的に?)読み違えて広まってしまったのです(声の大きい人が広めたと言っては語弊があるでしょうか)。
“メランコリー”の読み違えが広がった時代的背景
当時の日本は高度経済成長の時期であり、都会の企業は終身雇用制でもあり、みんなで一丸となって頑張ればそれだけ報われた非常に特殊な時代。多くの都会人が(後天的な)メランコリー親和型性格であったのだとも言えるでしょう。
皮肉っぽく表現すれば、当時の“現代型うつ病”がメランコリー親和型うつ病であった、ということ。日本人好みする性格だからこそ非難の的にならなかっただけなのかもしれません。
結果的に、このうつ病が中心に据えられたため(精神神経学雑誌. 1975:77;715-735)、そうでない性格の患者さんが発症するうつ病は「本物ではない」というレッテルを貼られてしまったのです。
だからこそ、少し前に流行した“新型うつ病”という表現など、さも本来のうつ病とは異なるものとして、ともすれば侮蔑的に扱われたのでしょう。
精神病理学の先生方に怒られてしまいそうですが、日本はメランコリー親和型の呪縛からそろそろ解き放たれてもいいのではないか、と私は考えています。
引用元➡ メランコリー親和型性格とうつ病
これは躁鬱病と呼ばれるものですね。抑うつ状態と興奮状態の真逆の波が来ます。これは私がなった鬱のタイプです。これは大鬱病よりはわかりにくいですが、その他の鬱と比べて、やはり極端な反応を見せるのでわかりやすい方だと思いますね。「循環気質」の人がなりやすい鬱です。
参考動画 ⇒ 双極性障害と自殺につき3分半でネット授業
関連記事(追加更新) ⇒ 疾患喧伝と精神医学 相関関係・因果関係と疑似科学
「循環気質」の人とは?
循環気質というのは精神科医クレッチマーの分類による気質のひとつで、「同調性が高く親しみやすい。陽気で活動的な躁の状態と憂鬱で優柔不断な鬱の状態との間で気分が変動したり、一方に傾いたりする。」 という気質です。
日常的には、「多弁で賑やかで社交的であり、リーダーシップをとるタイプでもあるが、同時に内面はさびしがり屋で気分の浮き沈みが周期的に現れるような人」ですね。
※躁状態の強弱の症状で「双極Ⅰ型障害」と「双極Ⅱ型障害」に分類され、「双極Ⅰ型障害」は入院治療「双極Ⅱ型障害」は通院治療が必要とされる。
注意して見てればわかりやすい鬱 – 気分変調症
気分変調症 「慢性うつ病性障害」
大鬱病に比較して軽症のうつ状態及び身体の不調が2年以上続く慢性のうつ病と言われています。いわゆる「神経質な人」に多く、小さな事を気にして悩むタイプの性格に多い。
症状としては、食欲減退、過食 不眠、過眠、気力低下、自尊心の低下、集中力の低下 決断困難、絶望感など。
ナシア・ガミー著「気分障害ハンドブック」より
『 単極性うつ病への効果が証明されている精神療法には、認知行動療法(CBT)と対人関係療法(IPT)の2つがある。精神療法だけで治りやすいのは初めてのうつ病であり、3回以上繰り返されたうつ病では薬物療法が必要なことが多い。』
この二つが今「新型うつ」などと呼ばれているものでこの言葉はメディア用語で医学的な用語ではないですが、「本当にこれって鬱なの?」と疑問視されているものです。若い世代に多いタイプのうつです。
いわゆる「情緒不安定タイプ」に多く、人間関係の不信感や、関わる環境・状況によって気分が左右されやすい性格の人に多いともおわれています。
また抗鬱薬があまり効かないことから、「心の未成熟度の問題ではないのか?」、「パーソナリティー障害の一種では?」「発達障害?」とも指摘されていたりもするが、完全には確定はしていない。
これらは「鬱ではない」と断定する医師もいれば広義の鬱の概念に含む医師もいて、今後どのように定義が明確になるのかを待つしかないでしょう。
ここで精神科医の松崎朝樹 氏による動画「非定型うつ病[臨床]過食や過眠がうつ病で起きるのか精神科と精神医学のWeb講義」を紹介します。
また、「体の姿勢」「食事」などの日常的なバランス異常から生じる「抑うつ状態」と、「従来のうつ」をハッキリ分けて考えている医師もいます。その辺りも以下にまとめてあります。
仮面うつ病
大鬱病の初期症状のひとつと考えられている症状で、自律神経失調症と似ていて分かりにくい鬱病のひとつ。 仮面うつ病は精神的な抑うつ症状は隠れているが、それが身体に先に現れてくる。 そして労倦怠、不眠、めまい、食欲不振などの身体症状を起こす。
微笑みうつ病
大鬱病の初期症状のひとつと考えられている症状で、抑圧されたストレスがあっても、周囲に心配をかけまいと、あるいは気づかれないように無理に作り笑いを浮かべ、そう振る舞うことを続けるうちに進行していく鬱病です。
季節性うつ病
これはうつ病なのでしょうか? 生物学的な季節性の鬱症状が現れるタイプで、
心の病や継続的な症状がずっと続くのとは異なるため、他のうつ病とは少し異なります。冬の期間だけ鬱的な症状が現れ、春になると自然に治っていくタイプのものです。夏に起こるタイプのものもあるようですが夏タイプは非常に少ない。
○ 免疫と交感神経と副交感神経のバランス うつと自殺の複数の要因・瞑想の注意と危険性
○ 「うつの全体像を知る」おすすめ本 - 鬱は医師と病院だけで治すものではない
2016年8月31日 追加更新
○ 季節性感情障害(SAD)と月病と自殺 夏季うつと六淫
他にもあり! うつ病かと思ったが…
鬱が全て脳や心の問題か?というとそれだけではありません。他の疾患や、環境・栄養・身体のバランス問題で「鬱的」な症状が出てくることがあります。関連記事を三つ紹介しておきますね。
○ 本当にうつ? それは男性更年期障害(LOH症候群) かも 元気がない男性のためのエクササイズ
○ 「眼精疲労」「顎関節」「首のコリ」から「抑うつ状態」になるケース
男性よりも女性に多い「甲状腺機能の異常」による「うつに似た症状」のケース
甲状腺機能亢進症(バセドウ病) は双極性障害に似た症状、甲状腺機能低下症(橋本病)はうつに似た症状が出ることがあります。
これに関して簡単に説明している二つの動画と、治療に関する外部サイト記事を紹介しておきますね。
○ 慢性甲状腺炎(橋本病)/家庭の医学動画版 ミルメディカル
○ 橋本病など甲状腺機能低下症の治療。レボチロキシン(チラーヂンS®)の内服
○ バセドウ病に対するアイソトープ治療とは? - たった一回の服用でバ
セドウ病治療が完了する治療方法
薬剤惹起性うつ病
疾病の治療を目的として投与された医薬品により、「薬剤惹 起性うつ病」を発症する場合があります。インターフェロン製剤、副腎皮質ステロイド薬などの服用により起こることが知られています。
参考PDF ⇒ 重篤副作用疾患別対応マニュアル 薬剤惹起性うつ病
他にも「鬱」に似た状態になる仕組みを精神科医・心療内科医の廣瀬久益氏が解説の動画を参考に紹介します。
タンパク質不足・うつ病かと思ったが…(1/3)
※動画の続きは以下のリンクから御覧ください。
⇒ タンパク質不足・うつ病かと思ったが…(2/3)
鉄不足・うつ病かと思ったが…(1/3)
※動画の続きは以下のリンクから御覧ください。
⇒ 鉄不足・うつ病かと思ったが…(2/3)
⇒ 鉄不足・うつ病かと思ったが…(3/3)
私の場合
私は循環気質で、十代後半~二十代にかけて強迫性の状態が出現し「適応障害」のような状態をしばらく経てから躁鬱状態となり、それは徐々に悪化し、
その不安定状態からの試行錯誤の過程で脱線してさらに悪化し 、統合失調症?解離性障害?のような妄想(霊的体験・神秘体験を含む)を発症した過去がありますが、
これは今思えばそうだったんだなぁということで、私は病院にいったわけではありませんので、過去を振り返っての症状の自己診断ですが、
今よりも昔はそういう人って多いんじゃないでしょうか? 今は障害の概念もより細かく明確化しているから発覚しやすくなっただけで、
例えば発達障害でも「重度ではないグレーゾーンな人」であれば該当しそうな人は結構いたように思います。
そして「そのまま一般人に混じって何とか生きてきたが中年の年頃になって発覚した」っていうような人も実際にいるわけです。
私は自力で少しずつ安定化させていったのです。自力で安定化するための参考になるかもしれないことは当サイトでも全て書いていきますが、これは私の体験談なので、「こういう方法もあるのか」くらいの気持ちで参考にして下さい。
サイトでは様々なプロの専門家の記事やサイトも紹介していますので合わせて読むようにしてくださいね。
私が精神の障害のような症状が強く現れたのは随分と昔のことであり、世間はまだ「うつ」ということがそんなにメジャーな感じではなく、
「うつかもしれないから精神科に行ってみようかなぁ」というようなそんな気軽さなんてあの時代的には一片も存在してなかったですね。これは単に性格や根性の問題だろうと思っていたんですね。
私自身は「適応障害」の状態を数年経て躁鬱の特徴である強い抑うつ状態と興奮状態が交互に現れるようになり、
一日中寝ていて全く起き上がれないような心身双方の無気力感に満ちた状態が続いたかと思えば、妙に興奮して「多弁」「自信過剰」で「突拍子もない異様な行動」が続きました。
真夜中に歩きまわるようなことを繰り返し、さらにしばらくするとまた全く何も出来なくなりました。とにかく何もする気力が湧かず果てしない虚無感が漂い、
また集中力、注意力の欠如と処理能力の低下がハッキリと現れ、自身の頭が以前に比べて異様に悪くなったように感じ、そのことにも幻滅感が強くなっていきました。
また「このままじゃ駄目だ、何故こんな風にしか出来ないのだろう?」という強迫観念的な焦りがいつもあり、強い卑屈感とその反動のような異常な自信とハイテンションが繰り返されました。
だが結局どうしても何かに継続して集中する気力が起きず、こんな自分であるから、もうこの先は人生に良いことはないだろう、という深い絶望感に苛まれていました。
「自分自身が生きて存在している事が恥ずかしい」というような、激しい自己嫌悪がありました。
その時私はまだ若くて20歳になったかならないかくらいの年齢で、本来は健全な状態であれば一番元気なはずのその時期に、そんな未来への絶望と虚無感を強く深く感じていたわけですね。
異常な自信とハイテンションが起きてくる時以外は、まるで底なしの深海に住んでいる生き物の気分のようでもあり、
時間の流れから弾かれ取り残された影のような存在、そんな虚無の空間に佇んでいるかのようで、それは何とも表現が難しい感覚でした。
こういう状態は、現在であれば「鬱」であることは誰もが気づくでしょうが、私は全てが「自分自身の心の弱さ、心の問題、情けなさ」だと考え、
約3年~4年程、ずっと自己を責め続けそこから悶々と抜けだせず、ただその状態の中で無気力にもがいていました。
あの頃は何でも根性や気合い、精神論で解決する体育会系的な時代で、私のような症状の若者は、「性格的に駄目人間、クズ、甘ったれてる」か、「男として弱く情けない奴」って言う風に、有無も言わさずにまとめてバッサリ斬るような感じの時代であり、
周りだけでなく「私自身」が自分をそうやって見つめていました。そしてそうやって見つめ続けることでさらに病状は悪化し、さらなる精神のバランス異常へと発展していきました。
鬱の症状と並行して、やがて霊的な現象や神秘体験などが起き始め、段々と妄想などの症状が色濃くなっていきました。今思えば、あの時私はもう精神が本当に壊れ始めていたんですね。
ですが、私自身は身内に助けてもらおうという選択肢は存在しなかったんですね。 私にとって家族は、こういう私を理解出来るとは到底思えなかったんです。
その時は誰であれ出来れば知られたくない気持ちの方が強かったです。社会的な人間失格者と決定されてしまうような気持ちで、そう思われたくなかったので、何とか必死でそれを隠そう無理していましたね。
これも「今思えばそういうことを自分はしていたんだなぁ」と思えることなわけで、その当時は瞬間的に「自己防衛」しているわけで、周りにはそう見せた方がいい、と無意識的に選択していたのです。
そして勿論その後の人生は良くなることなく、さらに加速的に悪くなっていき、藁をもすがる思いで手を出したことで騙されたり、様々な失敗を幾度も繰り返し、まさにボロボロな社会的廃人状態になっていきました。
私の十代後半~二十代はそうやって暗い闇の中と異常なテンションの中をカオスのまま通り過ぎていきました。約十年弱続いた破壊的な期間でした。
そこから五年かけて大体普通の人くらいまで戻し、(とはいってもこの時期もかなり不安定でした)さらにそこから5年をかけて、私の年齢の平均以上に体力・活力・気力・健康状態を高め安定させるところまできました。
私は自力でやってきたので、全て試行錯誤の連続で回り道・遠回りしながら回復してきたので、ここまで来るのに、20年以上もかかったわけです。
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