昨日に引き続きこのテーマです。昨日は主に憑依に見られる意識と無意識の解離と別人格の表出をユング心理学メインに検証しましたが、それは個人的なものの範囲を超えた解離現象の意識のメカニズムであり、一般的なものではありません。
今日はそういう非個人的な領域を多く含む解離ではなくて、もっと個人的な、そして一般的で典型的な「解離」と「解離性同一性障害」という現象の心理学的な検証をまずはじめに行い、
そして次に、昨日に引き続き、憑依に見られる解離のメカニズムを検証します。
ではここで、精神科医によるサイト「岡野憲一郎のブログ:気弱な精神科医 Ken Okano. A Blog of an insecure psychiatrist」より、「解離と脳科学」、「ブロンバークの解離理論 」を紹介しますね。
解離と脳科学(推敲)1-6 下記リンク先にて
ブロンバーグの解離理論 1-8 下記リンク先にて
解離性同一症の診断は,Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition(DSM-5)の以下の基準に基づいて臨床的に行う:
2つ以上のパーソナリティ状態または人格がみられ(人格の破綻),自己感覚および主体性の感覚に相当の断絶がある。日常の出来事,重要な個人的情報,および外傷的出来事についての記憶(通常のもの忘れでは典型的には失われることのない情報)に空白がある。
症状によって,著しい苦痛が生じているか,社会的または職業的機能が著しく損なわれている。
また,症状が他の障害(例,部分的な複雑性発作,双極性障害,心的外傷後ストレス障害,他の解離症),アルコール中毒の作用,広く受け入れられている文化的または宗教的慣習,または小児では空想の遊び(例,想像上の友人)でうまく説明することができない。
解離性同一性障害は、解離と呼ばれるこころの働きが病的に作用することによって引き起こされると考えられています。解離とは、自分の感覚や感情、意識や記憶、自己同一性などが切り離されてしまう現象です。
解離は本来、ストレスやトラウマから自分を守るための自然な防衛反応ですが、過剰になると精神的な不調を引き起こします。
解離性同一性障害の発症の原因は明確には分かっていませんが、主な要因としては、幼少期(9歳以下)の心的外傷体験(特に性的虐待や育児放棄)、愛着関係の障害、解離が生じやすい元々の素質(自己暗示能力や想像力の高さなど)などが挙げられます。
幼少期は自我がまだ未発達であり、心的外傷体験を受けると、その記憶や感情を切り離して抑圧することで自我を保護しようとします。しかし、その抑圧された記憶や感情は消えるわけではなく、無意識下で独立した存在として発展していきます。これが別人格的なもの(交代人格)の形成につながります。
交代人格は、それぞれ異なる性格や記憶、行動パターンを持ち、特定の刺激や状況によって表に出たり引っ込んだりします。その際に本来の人格(ホスト人格)は記憶を失ったり意識を遮断されたりします。交代人格は2~10人程度であることが多いですが、100人以上存在する場合もあります。
交代人格は本来の人格と統合されない限り消えることはありません。また、交代人格同士も互いに認識しない場合が多く、内部で対立したり協力したりすることもあります。そのために日常生活や仕事に支障が出たり、精神的な苦痛を感じたりします。
このように解離性同一性障害は、心的外傷体験から生じた解離が長期化し、複数の人格が共存するようになった状態です。
憑依体質 意識と無意識の関係と治療・回復のプロセス
脳科学的にざっくりとまとめると、アドレナリンは「不安・驚き・恐怖・怒り」といった感情と関係があり、そしてセロトニンは「体温調節 ・摂食行動・性行動・攻撃性 ・睡眠・情動」などと関係していると言われています。
セロトニン神経系 、アドレナリン神経系、ノルアドレナリン神経系、ドーパミン神経系など中枢神経系の専門的な詳細に関しては、以下に紹介の外部サイトがわかりやすく丁寧にまとめていますのでお勧めです。⇒ 中枢神経系のおはなし
統合失調症はドーパミン過剰の状態であるのに対して、 うつ病に関係する神経伝達物質はセロトニンとノルアドレナリンです。
ノルアドレナリンが不足すると. 無気力、無関心、意欲の低下などのうつ病の症状となり. 逆に過剰だと. 躁状態になります。そしてドーパミン過剰の状態であれば「妄想や幻覚」などといった統合失調症的な症状を引き起こすキッカケになります。
このようににざっくりと定義することも出来ますが、まだ完全に究明されたものではなく医学的治療にもまだ「絶対に近いレベル」と言えるほどのものが確立されているとは言えません。
そもそも神経伝達物質のバランス異常が起こるのはなぜでしょうか?
これを飛ばして起きた結果の物理的領域だけを原因として、物理的にいじくりまわすだけでは根本的な解決にはなりません。
もちろん酷い症状を物理的に止めることはまず現実的な措置として必要です。 ですが何故そういう現象が次々と世界中で起こるのか?ということの理解も大切です。
「心」と「体」は密接にリンクしています。主に物理的な原因がメインの病気のように「体」の不調がまず先に起きて、その次に「心」に影響を与えるもあれば、
「心」の不調が蓄積した結果「体」に影響を与え、それがまたさらに「心」に影響を与えるという不調もあります。うつなどはその典型でしょう。
顕在意識と無意識の関係性というものは、心のバランスそのものです。憑依的な解離現象を例にとるならそれは顕在意識と無意識の境界が希薄化している状態とも言えます。
霊媒体質とは、霊的なものに対して感受性が高く、影響を受けやすい体質のことです。この体質は、先天的な素質や後天的な環境などによって形成されます。霊媒体質の人は、自我の統合力が弱いというよりは、自我の境界が曖昧であると言えます。
この状態では、無意識と顕在意識の間に明確な区別がなく、無意識の方に自我の中心があります。この時人の意識は太古の原初的な意識に近い状態であり、個性化が確立できておらず、より集合的な無意識の中に溶け込んでいる状態ともいえます。
ですので様々な非個人的な原像や霊的存在が意識に投影されます。
霊媒体質ではなくても憑依的な解離現象が起きることはありますが、その状態を観察すると、「顕在意識から活力が奪われている状態で、無意識の方に活力が流れ込んでいる状態」です。
無意識の方に活力が多く流れ込み、自我がそちらに同化したり一体化したりするのです。このような状態では現実の認識も基準がふらつき上手く統合が出来ないのです。
そして無意識が意識化されることなく自己統合されないまま活性化され続けることによって、「別人格的なもの」が育ってくる、という自我の内的な分裂現象が具現化していきます。
このように自我の不安定状態や分裂状態が起きることは、それが解決されないまま続けば心身に投影されます。それをどう受け止めるか?で決定的な差になるのです。
それをサイン・問いかけとして注意深く耳を澄ますか、それとも無視するか、あるいは新興宗教やオカルト、スピリチュアルな概念に置き換えて解釈してしまうか?によっても全く違った結果になるのです。
多くの場合それは「無視」されています。それによって後に身体にまで影響が出てきます。そして一部は病院で治療します。そしてさらに一部は、それを別の者へ「転移」させます。
例えば特定の誰かや、昔であれば(現在も一部は存在する)宗教的な呪術的「救済者」などへの全面的な依存になったりします。
集合的無意識の代表者としての呪術的「救済者」に自我の統制を委ねる、つまり自己の統合・責任の放棄に至る代わりに代表者に権威を与えるのです。おそらく太古の人類はこのパターンが中心だったのでしょう。
そして現代人が「解決の道」を見出せなかった場合、その一部の者が運悪くカルトや過激な組織などにつかまったりするとはいえ、その解決の道が社会にあるのか?というと、
近代合理主義において、それは個々に任せられた問題であり公式のものとしては現在は存在しないも同然なのです。
だからそういう呪術的「救済者」などに頼らなかった人も、結局、運良く自然解決に至れなかった場合は内的なバランス異常の放置の結果に心身の病へと至るしかないのです。
次回は、現代においてそのために何が有効なのか?どのようなものが今の社会には不足しているのか?という点を書いてみたいと思います。
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