本物の悪霊の実在   

 

お久しぶりです(^-^) 季節は徐々に夏に向かっていますね。新緑の草花や木々の生気の強さが日々増してきています。まだまだ記事更新のためのまとまった時間が作れない日々なのです。今年は週一くらいの更新ペースが限界でしょうね。

 

今日は「ユーモア・ジョーク」と、「病的な精神世界・オカル」の内容を含んだテーマ記事の更新です。後、記事の後半で、管理人よりブログ読者様へ、を追加しています。

 

記憶があまり定かでないのですが、以前「すべらない話」で、ある無名のお笑い芸人に物凄く運の悪い男がいて、その人があまりに運が悪いので、有名な占い師・霊能者?に診てもらったらしいのですが、霊視の結果、背後霊が物凄い数憑りついていて行列になっていた、という話しで大笑いしたことがあったのですが、

 

行列が長すぎて後ろの霊が見えないほどだったとか、背後霊が順番待ちしていたとか、そんなようなツッコミにウケました。

 

今日は「悪霊」の動画を紹介します。心の弱っている方は見ないでください、物凄い悪霊が出てきますので、あなたが憑りつかれるかもしれません。 笑

 

 

まぁ「ユーモア・ジョーク」のテーマ記事なので冗談メインですが、「見えないもの」や「現象」をオカルト的知識に囚われて意味解釈せず、悪質な霊能者やらスピ系ビジネスの詐欺的搾取の罠に囚われないように、

 

そしてオカルト脳のように現象を短絡的にパターン解釈せず、霊能者やらスピ系ビジネス・グルビジネスの連中の妄言や思い込みなど大笑いしてふっと飛ばしてやりましょうね。

 

ここからは真面目な話になりますが、悪霊など実体として存在はしませんが、たとえば統合失調症以外でも幻覚妄想は生じます。

 

その場合は通常の「思い込み」とは次元が異なり、主観的に「事実」のようにしか感じれない脳の状態が生じているので、笑って済むような次元ではありません。シッカリとした医学的治療がまずは必要でしょう。

 

また昔、「悪魔付き」とか「悪魔払い」とかいわれた現象の中には、一部本当にそう風になる異常現象が存在しています。そしてこれも「脳」の病気であることがわかっています。

 

それが『抗NMDA受容体脳炎』という病気ですが、当然これも笑って済む病気ではなく「医学的治療」が必要です。以下に外部サイト記事を紹介しています。「脳に魔物が住みついた」 名もなき病を乗り越えた先に、女性記者が見つけた“生きる意味”

 

 

 

このブログは様々なカテゴリーがあり、多くの理論的な記事がありますが、理論系の長文記事は読む側も大変でしょうけど、書くのも大変なんですね。

 

このブログのテーマは「心・精神」であり、それは抽象的で複合的でかつ立体的な奥行きのあるテーマなので、そういうものを考察し、それを読み物として具体的な表現に落とし込み、

 

さらに特殊な感覚人だけでなく、今このテーマに関心のある方々や、様々な心身の不調に悩んでいる一般の人々が理解できるように伝えるという作業は、なかなか難しくて凄く時間がかかるんです。

 

適当に感覚だけで書いていた方が遥かに楽で、私もその方が労力が少なくて済むのですが、沢山の方々がこのブログを読んでくださっているので、

 

やはりシッカリした具体的で現実的な分析記事と、情報の提供、そして心・精神のブレやすい人々が短絡的に思い込んで妙な方向へ脱線しないために、理論的な固い記事ももっと充実させていこうと思います。

 

私は人生を楽しく、そして無意味な無理をせず、というスタンスが好きです。でもそれは、単に「楽な方」に逃げる、という意味ではありませんし、感性的・抽象的な理解というものも、捉え方次第では脱線します。

 

よく見られるケースが、「具体的・現実的なことでシッカリ出来ない・上手くいかない」というそのコンプレックスから、あいまいなもの、思い込みの抽象世界で自己を特別化し、者と差異化して優越感を得ようとすることで現実的なコンプレックスを解消しようとするタイプです。

 

これは自己愛性パーソナリティ系の人々によくみられる逃げ方で、現実では満たされない闘争心・プライドを、例えば「スピ的」な格付け意識などに向けて、我々は特別な者達、みたいな、まぁたまにみかけるあの残念な人々ですね。

 

これが何故よくないかというと、具体的・現実的な事を中心にしている人は、問題も具体的に見えるので解決しやすいのですが、

 

自己愛によって思い込みの抽象世界で防衛する人々は、問題も抽象化し解決しにくいんですね。そしてそれもまたその人々の「無意識的な自作自演」でもあるわけです。

 

具体的・現実的な事を中心にしている人は「解決したい」が本心なので具体的・現実的に考え具体的・現実的に行動しますので解決も起きやすいし、具体的・現実的に解決します。ですが、抽象・幻想世界で防衛する自己愛タイプの本音は「解決されたくない」なのです。

 

何故なら抽象世界で防衛する自己愛タイプにとって、解決されてしまうと「自分の現実と向き合うしかなくなる」からなんです。

 

だからどんどん現実とズレていき、解決が難しくなる、そしてますます「抽象世界で防衛する」、というスパイラル傾向に向かい、「現実に戻れなくなる」わけです。

 

まぁこれが「ありのままの現実」からの逃避の結果です。そしてその結果、「ややこしさ」という自己愛の自作自演の防衛の壁自らが阻まれるパラドックスに閉じ込められるわけです。

 

もちろん、抽象的な領域は存在し、抽象的なものを考察する知能には個人差がありつつも存在し、またそれを深く感じる感性も個人差はあります。

 

それは私にとっても、そしてそのような感性が発達した人々にとっても、そうではない人々にとっても、本来はとても大事で創造的な意味のある素晴らしいものなのですが、まずはそういうことばかりにとらわれるのではなく、具体的な事・現実をシッカリさせてくださいね、

 

それが出来ない人は逃げで抽象的な領域へ向かうことが多く、その場合は脱線しやすいので。また具体的な事・現実をシッカリ出来ていても、経験知や理解力が足らず、元々の心の傾向や、現在の認知の傾向に歪みがあれば頭の良い人でも結構簡単に脱線しやすいので、

 

そういう領域の危険と罠、そして無意識の錯覚と同化に関することを理論的に押さえておくことも大事です。人間の脳には元々「無意識的に現象内にパターンを見つける」という能力があり、それは具体的な事・現実では上手く作用しますが、

 

同時に、抽象的な現象に対してもパターンを見つけたがります。そこで短絡的に「このパターンには合理性がある」という、あるひとつの角度から見た理由だけで、「これは何か真実っぽい」って決めつけて飛びつく人もいますが、

 

落ち着いて深く広く多角的に考える習慣を身につけましょう。そうすれば、結構いい加減なものである、ということが発見できますので。これは別にオカルトやスピに限った話ではありません。学者や専門家にも多いですよ。

 

例えば心理学・精神医学・社会学のような、複合的で抽象的な領域を含んだ現象を定義するような分野の専門家は、「複合的で抽象的な現象」に対するある種のパターンを分類する時に、このような思い込みや決めつけがよく見られるんですね。

 

学者であれ一般人であれ、「盲信」「決めつけ」は別の事実他の角度から見た対象の姿への理解と発見を見逃します。

 

まぁ信じやすい人は「素直」でもあると言えるのですが、「本当にその現象はその角度からしか説明つかないのか?」とか「そのパターンはそんなに信頼性の高いものか?」ということを複数の角度からジックリ見ていない時、人の思考・感性には柔軟さ・広がり・深さがないんですね。

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