変化する時代 増えている若者の「うつ」

 

私が十代・二十代の頃は、心身の不調の判断の際に「うつ」という選択肢は全くといっていいほどなかったですね。もちろん「うつ」という病気自体はそのずっと以前に既に精神医学的には広く知られたものだったのですが、

「一般人の感覚」と言う意味で、当時の社会にはそういう概念は広まってはいなかったので、「うつ」のような人がいても「元気無くて暗くてしゃべらない人」とか、

逆に双極性タイプなら「何かハイテンションだったり物凄く落ち込んだり、浮き沈みが極端に激しい人」という感じというくらいに扱われていたというのが日常的な光景ではなかったでしょうか。

「CHUNICHI Web」 より引用抜粋

若者の「うつ」は今(続編) 仕事と休み 偏ってない?

休職のち復帰 男性の経験
富山市の食品関係の団体に勤める男性(40)は30代のころ、抑うつ状態になり、1カ月半休んだ。きっかけは数値目標が達成できず、会議で度々「責任を取れるのか」と詰め寄られたこと。

挽回しようと夜も休日もがむしゃらに働いた。次第に不安で眠れなくなったが、「まさか自分が」「うつになるなんて恥ずかしい」と思い込み、誰にも相談できなかった。

ついに限界だと思ったのは、5カ月後のある朝。入り口で立ち尽し、職場に入れなくなった。
– 引用ここまで-

引用元➡ 若者の「うつ」は今(続編) 仕事と休み 偏ってない?

以下は外部サイトの記事からの引用・抜粋です。

専門医は語る「うつ病経験者が欧米より少ないのは、患者医師に診断を迫るような国民性でないから」

うつ病になった人が仕事中に多く起こした行動 〇 単純作業に時間がかかる 〇 ミスが増える 〇 同僚をける  〇 物事を決められない 〇 日常的に遅刻する 〇 職場で泣き出す 〇 締め切りに遅れる 〇 職場で居眠りする

引用元 ⇒ うつ病になった人が仕事中に多く起こした行動

 

双極性障害(躁うつ病)

私の場合は、カテゴライズするのであればおそらく双極性タイプのうつの可能性があると考えていますが、もともと子供の頃の気質タイプが明らかに活発な循環気質だったので、さらに周りには理解されにくかったですね。

周りだけでなく自分自身も活発で元気な「自己イメージ」があったので、数年前と比べて心身の何かが大きく変わったような違和感」を感じても、それが双極性タイプのうつの始まりだったとは考えてもみなかったんですね。

日常的な世間の大まかなものの見方と同様に自身の姿を定義し、結局そのままずっとそれが何かを「知らないまま」過ごしていたんです。そして仮にそれを誰かに話したところで、やはり同じ苦しみを体験した人にしかわからないことがあります。

今回は誰にも理解してもらえず「双極性障がい」で孤独に苦しんでいる人向けに、ノーチラス会を紹介します。以下の記事の後にホームページをリンクしているので、参考にどうぞ。

 

NPO法人ノーチラス会

ノーチラス会は双極性障がいに関わる全ての人々の希望になるべ  常に努力を続けております。

ノーチラス会は、当事者、ご家族、医療者、福祉関係者、科学者、出版社、マスコミ関係の方など多方面の方に会員となっていただき、  皆様の知恵とお力を結集して活動を行っております。

具体的には、相互扶助活動(定例会など)、レクレーション事業(作り物くらぶ、喫茶、各種催しや研究所の見学など)、

毎月の会報の発行、相談事業(無料電話相談、無料電話ピアヒアリング、面接での相談、談話室など)、啓発事業(講演会など)を行っています。
NPO法人ノーチラス会

私がうつ状態だったことを自らに再定義したのは、年老いた母が酷い鬱になり死にかけ、それをなんとかしようと、精神科医やら心療内科やらいろいろ、そしてうつや精神障害の専門書やらを読んだり、医師の話を聴いたりしているうちに、「あれっ」と思ったんです。

そしてあの頃の自分が完璧にうつ状態だったということに気づいたんですね。症状などを改めてシッカリ確認すると、結構ヤバいレベルだったと再確認したわけですね。

それどころか、他の障害なども当時現れていたことをハッキリと確認出来たんです。

当時の私としては「気合い・根性・性格」の問題という体育会系のスタンスが全てだったので、もう無我夢中で何が何だかわからない中でもがきながら十年が過ぎ、気づいたらそれはよくなっていたんですね。

私としては「病気」ではなく、気合い・根性で「性格」を叩き治したんだと思っていましたが、母の鬱を観察し、また母以外の知人の鬱、そしてさまざまな「この世界の実状」を知るに至って、「自分は自分の病気(バランス異常)を治そうとしていた」ということに気づいたんです。

よくよく考えてみると、私の性格なんてあの頃と今とどれだけ変わったというのでしょうか?わたしはあの時、自身の性格と格闘していたわけではなく、本能的に病気(何らかのバランス異常)と闘っていたんですね。

本能、そして自身の自然力だけでそれと向き合っていたんだと思います。

そしてただ「あの頃はいろいろ駄目だったけど、ようやく少しメンタルが安定してきたかな」と、まぁシンプルにそれくらいな感じの自己認識だったのです。

大鬱病の酷い症状のようにひたすら塞ぎ込んで寝たきりで全く動けないとか、余程死にそうな精神障害の重症者でもないかぎりは、

大体全部が「やる気の問題」というひとくくりの見方か、「性格の問題」で片づけられていましたし、自分自身もそうだと思っていたんですね。

ですが「自身の状態を知らないまま」という混乱状態での無我夢中さが、結局大きな失敗や問題を引き起こす原因にもなり、若い頃の私はそれで多くを失ったんです。

その逆に「知らないまま」だったからこそ、何か無性にそこから抜けだそうとして、手さぐりでいろいろ試して、そこから得たことも実際に沢山あります。

何だかこの人生は良いのか悪いのかさっぱりわかりませんが、その過程で「得たもの」を母や他の人に還元することで多少なりとも役に立っているならば、まぁほんのちょっとは良かったかなとも思えますね。

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