身体と社会のあいだで揺れる人間存在

 

前回は「言葉・意味と創造のあいだで揺れる人間存在」でしたが、今回は「身体と社会のあいだで揺れる人間存在」がテーマです。これは別々というよりも繋がっています。

 

マックス・ウェーバーの理解社会学では、「社会的行為」とは「他者の行為に意味を見出し、それに向けて自らの行為を方向づけること」と定義されます。

つまり「社会」とは、単なる人の集まりではなく、相互に意味を読み取り合う関係性のこと。

 

「社会」をどう切り取るかには必ず価値判断が介在します。ウェーバーはこれを「価値関係性」と呼び、研究対象の選択そのものが価値に依存していると指摘しました。

つまり「社会」を語るとき、私たちは同時に「何を重要とみなすか」という価値的基準を選び取っている。

 

「社会」は 意味(相互解釈のネットワーク) と 価値(何を重視するかという秩序) から切り離せない。したがって「社会」を語るとき、私たちは同時に「どの意味を重視するか」「どの価値を前提とするか」を選び取っている。

これは「社会」という概念が常に多元的で、単一の定義に収まらない理由でもあります。

 

 

身体と社会のあいだで揺れる人間存在

 

近年の大規模研究では、運動がうつ病の改善に有効であることが繰り返し報告され、たとえば2018年のSchuchらによるメタ分析(26万人超、49研究)では、定期的な身体活動を行う人はうつ病発症リスクが17%低いと報告されました。

The Lancet Psychiatry(2018, Chekroudら)による120万人規模の調査では、週3~5回の運動を行う人は「気分が落ち込んだ日」が43%少なかったとされています。

 

日本うつ病学会の治療ガイドライン(2012年改訂)でも、週3回以上、中等度の有酸素運動を一定期間継続することが軽症~中等度うつ病の改善に有効と明記されています。

最新の日本うつ病学会ガイドライン(2024修正版・2025年総会報告)でも、運動は「軽症~中等度うつ病の改善」だけでなく「維持期の再発予防」にも有効と位置づけられている。

つまり、運動は確かに「抗うつ効果」を持つことが科学的に裏付けられています。

 

ではなぜアスリートもうつ病になるのか

ここで矛盾が生じます。アスリートは一般人よりも運動量が多く、栄養管理や健康管理も徹底しているのに、うつ病を発症する例が少なくありません。

国際オリンピック委員会(IOC)のメンタルヘルス声明(2019年)では、エリートアスリートのうつ病有病率は一般人口と同等かそれ以上であると報告されています。

 

しかしそもそも「運動=万能の予防薬」ではありませんし、うつはひとつの力学だけで引き起こされるものではありません。

アスリートは過度の身体的ストレス(オーバートレーニング症候群)や慢性的な疲労にさらされます。
さらに、競技成績や評価をめぐる社会的プレッシャー、引退後のアイデンティティ喪失など、心理社会的要因が強く作用します。

 

前回、「意味と価値を生きる人間」ということを書きましたが、人間は「身体」だけの存在ではありません。

アスリートの場合、身体的には健康であっても、「勝敗」「記録」「評価」といった社会的価値の文脈で生きざるを得ません。そのため、運動自体が持つ抗うつ効果を上回るほどの心理社会的ストレスが加わり、うつ病が発症するのです。

 

巷では「健全な精神は健全な肉体に宿る」とか言われますが、「健康な肉体」を持つサイコパスもいれば、「健康な肉体」を持つ詐欺師もいます。人間性というものは「身体」の状態だけでは測れません。

だから「病んでいる身体に豊饒な精神が宿っている」こともあるのです。

しかし、この言葉の本来の意味は文脈が異なっています。古代ローマの詩人ユウェナリスの言葉「Mens sana in corpore sano」は、実は「健全な精神が健全な肉体に宿るべきだと神に祈る」という文脈であり、身体と精神の調和を願う祈りでした。

つまり『体が健康なら心も自動的に健康になる』という考えではなく、体と心の両方のバランスを大切にしようという姿勢を伝えていたのです。

 

 

仮に一切の身体的暴力がなくても、人はパワハラで自殺したりイジメで自殺もしますし、自殺はしなくてもPTSDになったり、PTSDにならなくても何らかのストレス反応が生じてきます。児童に対する「心理的虐待」もそうです。

 

fMRI研究では、言語刺激(例:「侮辱的な言葉」)が扁桃体や前帯状皮質を活性化し、実際の身体的痛みと同じ神経回路を部分的に使うことが確認されています。

これは「言葉の痛み」が脳にとって「身体的痛み」と同等に処理されることを意味します。

 

2025年『Psychological Medicine』誌に掲載されたブラジル・サンパウロ大学の縦断研究では、児童期に心理的虐待を受けた子どもは思春期まで右海馬の容積が一貫して小さいことが示されました。

海馬はストレス応答や記憶形成に関わり、PTSDやうつ病患者で萎縮が繰り返し報告されています。

 

Tomodaら(2011, Biological Psychiatry)の研究では、「ゴミ」「生まれてこなければよかった」などの暴言を浴びて育った子どもは、左上側頭回(聴覚野)の灰白質容積が平均14%増加していました。

これは過剰な神経結合が刈り込まれず、言語処理に余計な負荷がかかることを意味します。

 

そして、厳格な体罰や心理的虐待を受けた若年成人では、感情制御や意思決定に関わる前頭前野内側部や前帯状回の容積が10〜20%減少していることが報告されています。

これらの領域は「自制心」「共感」「社会的判断」に関わり、慢性的ストレスで機能低下が起こる。

 

また、子どもが家庭内DVを「見聞きする」だけでも、視覚野(舌状回)の容積が平均16〜20%減少することが報告されています。身体的暴力よりも「言葉によるDV」の方が脳への影響が大きいケースも確認されています。

 

「言葉」の作用が「身体」に影響を及ぼす、これは人間の場合は脳科学的に「観察可能な次元」で起きていること、なんですね。

「心理」は「言葉」「意味」「価値」と結びついている、そして人間は心理と身体が相互作用した生き物であるということを裏付けています。

 

 

身体の病と精神の病の質的差異

「身体の病」と「精神の病」の影響の仕方や現れ方には明確な違いがあります。

がんや慢性疾患、身体障害などは(一部を除き)多くの場合、直接的に自己認識を変えるわけではありません。(しかし、痛み・疲労・機能制限・社会的役割の喪失などを通じて、心理に二次的な影響を与えます。)

 

うつ病・統合失調症・双極性障害などは、脳の機能や心理的処理に変化をもたらし、感情・思考・行動のパターンを直接変えることがあります。

感情調整の困難や認知の歪みは、対人関係や社会的役割に直結し、自己認識や社会的機能の変容として現れます。

したがって精神疾患は「心理 vs 生物」という二分法ではなく、遺伝子・脳・心理・環境が相互に作用する複合的な現象として理解されます。

 

精神疾患の研究はここ数十年で大きく進展していますが、まだ「なぜ発症するのか」「どうすれば治せるのか」という根本的な問いには十分に答えられていません。

 

ここで動画の紹介です。

NEURO2024市民公開講座で、名古屋大学の尾崎紀夫先生による「精神疾患のゲノム解析からメカニズム解明・創薬:当事者・家族の想いを踏まえて」 です。

尾崎先生は、精神疾患の診断がいまだに症状ベースで行われている現状を指摘しつつ、ゲノム解析によって共通のリスク因子や病態メカニズムが少しずつ明らかになってきていることを紹介しました。

特に「2q11.2欠失症候群」の研究から、脳や心臓の細胞レベルでどのような異常が起きているのかが見えてきており、新しい治療薬の開発につながる可能性が報告されています。

 

また、患者さんやご家族から寄せられる「原因を知りたい」「副作用の少ない薬を開発してほしい」という切実な声を紹介し、研究者がその思いを受け止めながら基礎研究と臨床をつなげていく重要性を語っています。

精神疾患は「心理」以前に、脳や遺伝子レベルの仕組みと深く関わっていることを、一般の方にも分かりやすく伝えてくれる内容です。

 

  

 

身体の病は機能や生活に制約をもたらしますが、(一部の病を除き)多くの場合、その人の思考や価値観の核は保たれます。周囲からも「病気になってもその人はその人」と認識されやすいのです。

一方、精神の病は脳や心理的処理に直接作用し、世界の見え方や自己認識を変えてしまうことがあります。そのため「その人がその人でなくなる」と感じられることがあり、精神疾患は人間性の中核に迫る病として受け止められやすいのです。

 

身体障害は外見や動作の制約として「目に見える」ため、社会的に理解されやすいが、精神障害は「見えにくい」ため、周囲から「怠けている」「言い訳してる」とか、「○○不足」だと誤解されやすい。

この「可視性の差」が、障害者同士の間にも「自分の障害は理解されにくい/されやすい」という相対的な価値づけを生み、差別や距離感につながります。

 

さらに「男性」の場合は周囲からの共感的理解どころか、依然として「働いて収入を得る」「責任を果たす」という役割期待を強く負わされているため、病や障害によってその役割が果たせないと、無能で役立たずの邪魔者とされやすい。

そのうえ、精神疾患による不調が「努力不足」「責任逃れ」と短絡的に解釈されやすく、社会的に厳しい評価を受け、おまけに「危険な存在」と一括りに扱われたりすることもあり、さらなる悪循環に陥りやすい。

健常者に比べ、精神疾患を持つ人の自殺率は 数倍から十数倍も高いんですね。特に 統合失調症・双極性障害・うつ病 は高リスク群。

発達障害の人は、うつ病・不安障害・PTSDなどの二次的な精神疾患を併発しやすく、これが自殺リスクを大きく押し上げます。つまり「発達障害そのもの」よりも「併存する精神疾患+社会的孤立」がリスクを増幅。

人間はただ身体が生きているだけではない。「言葉・意味と創造のあいだで揺れ、身体と社会のあいだで揺れる存在」なんですね。

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