日本古来から続く日本人の感性  アニミズムとシャーマニズム

 

今日も昨日に引き続き「禅と瞑想」の心理学的な検証がテーマです。日本古来から現代まで続く日本人の感性には、アニミズムシャーマニズムという二つのものが今もなお生き残っています。

そしてユングの元型は人間の無意識に存在する普遍的なイメージやパターンを表し、元型には「影、アニマ・アニムス、自我、自己、老賢人、グレート・マザー」などがあります。

これらは、人間の心理的発達や個性化の過程において重要な役割を果たします。また、これらの元型は、神話や芸術作品などにおいてさまざまな形で表現されます。

アニミズムとシャーマニズムは世界各国に現在も存在しますが、アニミズムとは、自然や無機物にも霊魂や霊が宿っているという信仰です。シャーマニズムとは、シャーマン(霊媒師)が神や霊と交信する宗教的実践です。

もちろん文化のすべてを元型という要素のみで語ることはできませんが、今回、これをユングの元型と関連付けて考えてみました。

アニミズムやシャーマニズムにおいても、元型と類似した神話や象徴が見られます。例えば、日本では八百万の神々や自然物に宿る精霊が信仰されており、これらは自然界に存在する無数の力や生命を表す元型として解釈することもできます。

また、イタコや卑弥呼などのシャーマンが神や霊と交信することがあり、これらは内なる異性像であるアニマ・アニムスの元型として解釈することもできます。

ではユングの元型とは一体何なのでしょうか?それは生物学的にはどのようなものになるのでしょうか?

ここで、「元型」の大元は「遺伝」レベルに大枠として初期設定化された、生物学的な観念の原初のシンボルと仮定してみました。

原初的な観念が、生命体の初期設定として必要な理由は、出生後のその種や民族の特性と環境にスムーズに最適化されるための、生物学的必要性があるからと言えるのではないでしょうか?

赤子の意識は、「完全ゼロの無の状態」ではなくて、ある程度大まかな心象の枠組みが先にあることで、驚くほどのスピードで学習し、複雑な情報を関係付けながら記憶体系化し、成長して行くことが出来るように配慮されているのではないでしょうか?

もし赤子の意識が「完全ゼロの無の状態」からのスタートであれば、人間としての在り方を学ぶことは赤子にとって恐ろしく困難なことになり、またそれを赤子に教える事も恐ろしく困難になるでしょう。

そして遺伝子の中に生物学的な初期設定が存在するとして、それが具体的な元型イメージとして意識に作用するのは、やはり「脳」の働きによるものでしょう。

脳というのは、ポール・マクリーンの脳の三層構造説で「新哺乳類脳・原始哺乳類脳・爬虫類脳」という三つの区分けの定義が存在しますが、(これは現在は科学的に否定されています。)

この否定された古い脳科学的な理論に基づけば、左脳と右脳に分かれた新哺乳類脳はヒューマンブレインと言われ、間を間たらしめているものされ、

原始哺乳類脳は感情や情動と関係しアニマルブレインと呼ばれ、そして感覚、自律系、生命活動などの自己保全の目的の為に機能するものが爬虫類脳と呼ばれ、これはフェアリーブレイン(妖精脳)などとも呼ばれます。参考 ⇒ 続・脳科学と心の臨床 (64)

しかし、「新哺乳類脳・原始哺乳類脳・爬虫類脳」という区分け自体が科学的に否定された以上、それを「顕在意識・潜在意識・集合的無意識」の働きとリンクさせることは無理があります。

顕在意識・潜在意識・集合的無意識という風に定義すると、何だかブツ切りな三つの意識空間のように感じさせますが、ブツ切りでなくこれら全てひっくるめて「ひとつの意識」と考えた方がよいですね。

脳が様々な部分器官に分かれていても、それは全体で一つの脳であるのと同じ意味で。

そしてユングは、『あなたが無意識を意識しない限り、それはあな人生を支配する。そしてあなたはそれを運命と呼ぶ』と表現しています。それは現代風に置き換えるのなら、「脳と心の関係を理解する」とも言えるのかもしれませんね。

 

日本古来から続く日本人の感性

発達した現代社会においても日本的な自然観の心象風景の中には、元型が生きている。

それは日本的自然観、詩や芸術の世界にも色濃く投影されており、またジブリ作品の「もののけ姫」「風の谷のナウシカ」「千と千尋の神隠し」などにも色濃く投影されています。

また、「犬夜叉」のような霊的な能力を持つ主人公が登場する日本のアニメはかなり多く、そこにもアニミズムとシャーマニズム的な世界観が含まれています。

伝統宗教というのは、民族的な元型・観念としても機能を果たしてきたと考えられます。それは集団社会で生きる人間存在にとって必要なものであり、また個人にとってもそうなのでしょう。

それは必ずしも伝統宗教組織に属するという事を意味しているのではありません。民族的な元型・観念を、個人が無意識的に共有しているという意味も含んでいます。)

日本人は無宗教の国とも言われますが、古来から続く日本人の感性は、元型から生まれる日本的自然観が共有されており、それは日本人にとって文化の深くに根差すものであり、形なき宗教の役目を果たしているものと言えるでしょう。

昨日は古神道のことを少し書きましたが、日本古来の神道で言うところの「穢れ(けがれ)」は、「キカレ」「気が枯れる」という意味があり、

気が枯れる = 「穢れ(けがれ)」によって心身は弱くなる = 元気を失う、という捉え方は、気功の「元気」の概念でも同様であり、「元気」=  元の気 が欠乏してくると、人は体から湧き出るような元気を失う、ということです。

幼子が生まれた時か持っているあの元気を「先天の気」と呼び、呼吸や食事から得る天地の気を「後天の気」と呼びます。他にも、古神道の一つである神奈備や磐座という山岳信仰と仏教が習合した修験道には、道教、陰陽道などの要素も入っていますね。

そして、これら様々なアニミズムとシャーマニズム的なものを結び付ける、日本独特の文化の根底にあるものが、日本的な元型のひとつなのでしょう。

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