今年もゆっくりマイペースですがよろしくお願いします。
まず二つの動画を紹介の後、「管理人から読者様へ」で、「大事な人を守りたい・理解したい時」、そして「理解不能に思える人への接し方」に関する極シンプルな記事を書いています。
では、お気に入りのちょっとふざけたお笑い動画を紹介。
【東方MMD】青娥にお友達が出来ました
昨年はあまり記事を書けなかったため、一昨年の補足的な記事が多く、去年書いて下書きのままの記事も残っている状態です。まずはそれを随時更新する予定です。
その後の方向性としてはようやく今年から少し変わっていきそうですが、「心・精神」というメインテーマの基本的なところは変えません。
人によっては「感情」の処理の問題に苦しんでいたり、そういう内容のコメントをもらうこともあります。(現在は基本的にコメントの殆どは非公開で、読んではいますが個人的応答などのやりとりはしていません。)
基本的に、コメントにはある程度の類似性があります。(たまに意味不明な妙なコメントもありますが。)なのでそういう問いかけに対して私が返答できるものや、参考になりそうな情報の紹介などを含めて、
ブログ記事でテーマを決めてまとめて書くようにしています。その方が多くの人にとって役に立つ可能性があるのではないか?と考えているのと、私自身の使える時間・余力の問題もあります。
本当に大事に思っている恋人やパートナーがいるなら、「守りたい・理解したい」そのようなことは誰もが一度は思うことでしょう。
例えば私の父は医師で、母とは数十年のベテラン夫婦なわけですが、今でも「相手にわからないことがある」といいます。
互いに意見を言い合ったり感情表現をして、たまにケンカもして、そうやって数十年、山あり谷ありの人生の紆余曲折を共に協力して過ごしてきた夫婦であっても、
それでもなおかつ「わからないこと」があるわけですね。父・母に限らず、まぁ人間なんてそんなものなんです。そして年齢の変化で心・精神・肉体の状態は刻々と変わりますし、変化しないものなんて何もないのです。
「絶対」「完全」「永遠」がひとつもない中で手探りで、変化と共に関係性の中で人は生きていくんです。そのひとつひとつの過程が仮に他者には無意味なことであっても、自身はそれに意味を与えて生きているわけです。
そうやって他者には決してわからないところまで互いに理解や信頼を深めていくんです。そういう気持ちがある時、「理解する力」を誰もが持ちます。
長く良好な夫婦関係でシンプルに大事なことは「互いが自然体であれる関係性」ですね。それを「二人で見出していくこと」でしょう。
とはいえ人それぞれに自然体の質は異なり、性格・気質・能力そしてその組み合わせの相性も異なるため、それぞれの関係性の中で当人たちが試行錯誤して取り組むことだと私は思いますね。
人の数だけ「現実」があり人生があるように、その多元的な質の全体性に対して「方法」を画一化・均一化することは出来ないでしょう。
ですが、人間の心の問題とか人間関係のトラブル、そして苦悩・喜怒哀楽は、多くの共通点・普遍性があることも事実であり、
だからこそ人は互いに共感できるものがあるわけで、本当に心・精神が根本から何もかも異なるのであれば、共感も理解も不可能でしょう。
また私たちの生物学的なシンプルな構造性・機能は殆ど変わらず、ヒトという同種の生き物として普遍性があることも事実です。なので、「私たちはみな違うがみな同じである」ともいえるんですね。
昨年、「全く言葉でコミュニケーションが出来ない障碍者」の介護の現場で、二十年以上の月日をかけ日々直接の観察を通して一人一人の障碍者の詳細な日記をつけながら、相手を少しづつ理解していく専門の方の話を聞きましたが、
こういう地道な過程を大事にする、それは本当に大変で凄いことです。そしてこれぞプロだなぁと思いました。
その方は言っていましたね、「理解したい」という気持ちがなければ、いくら専門職で現場で十年以上とかやってっても理解できないままだ、と。これが本質じゃないかな、と私は感じます。
相模原事件の容疑者に一番欠けていたのもそこです。「現場を数年程度経験した」というだけで「私は誰よりも本質を知っている」、そういう単純に白黒思考出来るものではないんですね、世界はもっと複雑です。
後ですね、本やネットも補足としては役に立ちますが、人間を理解するのは、実際に会って五感全てで相手と接するのと、文章だけで判断するのとでは全く情報量が違います。
特に相手を「視覚」と「聴覚」で捉えていない状態では、圧倒的に情報量が不足します。
文章だけで得られる情報でもその範囲での分析などは出来ても、やはり、ヒトを理解するのは、目で見て、声を聴いて、五感・全身で相手を感じながら様々なタイプの人を見ていくのでなければ、
「無意識に人をパターンに当てはめていくだけの状態」になり、それでは逆に多くを見落とし・決めつけてしまい「理解の断絶」が生まれるでしょう。
目で見て、声を聴いて、五感・全身で相手を感じながら、同時に「理解したい」という心のベースがそこにあるならば「知識」は役に立つでしょう。
そうやって人は少しづつでも全く異なる「理解不能に思える人」も深く立体的に理解できていく、とそう私は思いますが、理解不能レベルの質によっては、理解よりもまず現実的な対応が先に必要になる場合もあるでしょう。
ただ「直接の対面」においても、特定の宗教観念やイデオロギー、潔癖過ぎる価値観への囚われがあったり、心・精神のバランス異常があって特定のバイアスが強化され過ぎていると、対象の捉え方は大きく偏るんですね。
なので対象の全体性を出来る限りそのまま捉える・感じるには、そのような「盲信・囚われ・極端な偏り」が少なくバランスしていることが大切だと思います。
以下に紹介の情報は「同性愛」に関するものですが、これは他の場合にもあてはまることは多い、と感じますね。
話せば偏見は解消する!?フロリダ州の同性愛に反対する人々に個別訪問で10分間対話する実験。これだけで十分に人の態度は変わり、その効果も継続するそうです。先週の『サイエンス』誌より→https://t.co/ATX6HEkAXY(やっぱり顔を合わせた1対1の会話は大切なのですね)
— 池谷裕二 (@yuji_ikegaya) 2016年4月12日
ではラストに、「ルパン三世×名探偵コナン」メインテーマまぜて歌ってみた を紹介し、記事の終わりとします。
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