ストレスとホメオスタシス【後編】です。前回は生物学的な基本的なホメオスタシスとストレスの構造性について書きましたが、
今回は「家族・社会システムとしてのホメオスタシス」、「三つの自己」、「オートポイエーシスな身体・心・環境・システム」について書いています。⇒ ストレスとホメオスタシス【前編】
生命とはつまるところ何なのか?という「医学的に見た生命の定義」にも触れていますが、生命の本質に関してはここで書いていることが全てだとは私は考えていませんが、ひとつの考察角度として参考になると考えています。
オートポイエーシスを創始したひとりフランシスコ・ヴァレラは、「生物の心がなによりもまず身体をコントロールするためにあり、心は動きをつくりだす組織」と述べています。
フランシスコ・ヴァレラは「身体性認知科学、現象学の自然化」の先駆者で、彼は「認知」を「身体としてある行為」と見る「エナクティブな認知科学」の提唱者で、
それは禅やナーガールジュナ(龍樹)の「中論」(中観仏教)にも通じるものがあります。また「ナラティブセラピー」「家族療法」などとも繋がっています。「身体性認知科学、現象学の自然化」に関する参考PDFを以下に紹介しておきますね。⇒ [PDF]生命と意識の行為論
家族・社会システムとしてのホメオスタシス
また、個の単位だけでなく、家族システム、大小のコミュニティ、社会システムはある種の均衡状態をめざす「有機的ホメオスタシス機能」を有しているといえます。
例えば「機能不全家族」の有機的ホメオスタシスは、家族の誰かを不均衡・不適応な状態に固定する歪んだ力学によって、「家族システムとしてのホメオスタシスを何とか保とうとしている」、とも言えるのです。
このため「不均衡・不適応な状態に固定された人」が治療・回復に向かうことは、「機能不全家族」の有機的ホメオスタシスにとって妨げとなるため、
例えば毒親による自立の妨害・束縛・干渉などによって邪魔されたり、逆にそうはならずに上手く自立回復出来ても、今度は他の誰かが不均衡・不適応な状態に追い込まれ固定化される役回りになってしまう、というような、「嫌な役の押し付け合い」みたいなことが起きたりするわけです。
なので「家族療法」の考え方では、「家族全体が患者的に扱う人」は、その家族全体の病理・問題を個人に自己責任化され押し付けられた「患者の役割」なのであり、
家族の問題を個人だけではなく家族全体に向け、誰かを不均衡・不適応な状態に固定する歪んだ力学そのものをバランス・調和することで、家族システムの有機的ホメオスタシスを健全な状態に戻す、というわけです。
「全体」を含めて「個」の問題も同時進行で変える、というわけです。そしてこれは「機能不全社会」の有機的ホメオスタシスの場合も同様です。
ですが、社会はより単位が大きく巨大で複雑な有機的連帯のホメオスタシスなので、「個」・「小」の単位のシステム対策に偏りがちなんですね。ただ、「個」「小」の単位のバランスを回復していけば、それは徐々全体に反映されてもいくので、決して無駄・無意味ではありません。
神経学者であるアントニオ・ダマジオは「自己」には三つのレベルがあると分析しています。➀「原初的な生物としての原自己」➁「情動・感情の中心性となる自己」➂「記憶・体験と未来予測から構築される自伝的な自己」の三つです。
このブログでよく使う言葉の概念にダマシオの三つのレベルの「自己」を当てはめるなら、その関係性は以下のようになります。
➀「原初的な生物としての原自己」⇒「無意識領域」に関係し、無意識領域を条件づけている。➁「情動・感情の中心性となる自己」 ⇒「自然自我」に関係。感性活動を条件づけている。➂「記憶・体験と未来予測から構築される自伝的自己」⇒「社会的自我」の元になるもので精神活動を条件づけている。
➀の「原初的な生物としての原自己」は「身体的自己」=「身体の無意識の中心性」と言うこともできます。生物学的な「ホメオスタシス」によって発生し支えられている、顕在化・意識化されていない前意識的な身体意識です。
ではこの三つの自己は、幼児期から思春期の過程でどのようにして発達するのか?これを脳機能の発達過程で見た場合の脳科学的過程を、PDF「赤ちゃんの脳と身体の発達」と、ナショナルジオグラフィックの「ティーンズの脳の驚異」からの引用・抜粋で見てみましょう。生命・人体の不思議を感じます。(^-^)
PDF⇒ 赤ちゃんの脳と身体の発達
以下「ティーンズの脳の驚異」より引用・抜粋
神経細胞(ニューロン)が隣の神経細胞へ信号を送るのに使う「軸索」が、「髄鞘」と呼ばれる脂肪質の絶縁体で徐々に包まれる。これにより、軸索を伝わる信号の伝達速度が最大で100倍も上がる。
その一方で、神経細胞が隣の神経細胞の軸索から信号を受け取るのに使う「樹状 突起」の枝分かれも進む。一つの神経細胞の軸策と、隣の神経細胞の樹状突起の問には「シナプス」と呼ばれる接合部があり、そこを通して信号がやり取りされる。
シナプスの中で使用頻度の特に高いものは徐々に連結が強化され、あまり使われないものは連結が弱まっていく。シナプスの「剪定」と呼ばれるこの作用によって、 知覚や複雑な思考の多くをつかさどる大脳皮質(脳の外側の層)は薄くなるが、その効率は高まる。
こうして脳全体が処理速度を大幅に上げ、高度に洗練された器官となるのだ。このような構造的な変化は、思春期を通じて続く。視覚や運動など基本的な機能を担う脳幹近くの後頭部から、より複雑な思考を担当する前頭部へと変化は広がる。
脳の左半球と右半球を結び、多くの高次機能に欠かせない情報伝達を担う脳梁は徐々に太くなる。記憶をつかさどる海馬と、目標の設定と物事の優先順位の決定にかかわる前頭葉の結びつきも強くなり、
記憶と経験を基に決断を下す能力が高まる。同時に、前頭葉そのものも発達して情報処理が速くなり、ネットワークも豊かになって、以前よりはるかに多くの要素を考慮して決断を下せるようになる。
生命とは自己形成・ 自己増殖する散逸構造体
「散逸構造」とは、ノーベル賞の受賞者イリヤ・プリゴジンが提唱した「非平衡開放系における自己組織化により生み出される動的で定常的な構造」です。
オートポイエーシス以前のシステム論の第一世代が「平衡開放系」、第二世代が「非平衡開放形、自己組織系」でありこれらは「開放系」をベースにするものです。
第三世代の「オートポイエーシス- 生命システム」では、第一、第二世代とは異なり、「閉鎖系」がベースの機械論的な生命観であり、以下のような概念にシンプルにまとめられます。
自己創出システムとしての「オートポイエーシス- 生命システム」は、➀ 自律性 ➁ 個体性 ➂ 境界の自己決定性 ➃ 入力と出力の不在、この4つの特徴を有したメカニズムによって、みずからの構成要素を自己創出し、統一体としての閉鎖系生命システムを創り出している。
オートポイエーシスが閉鎖系と定義されてはいても、生命の維持には「代謝」が必要で、物質・エネルギーの入出力が行われているわけです。ただそれを観察者側から見るのか、生物の内部から捉えるのか、の違いで「開放系」「閉鎖系」の表現の差異が生じているわけですね。
また、自然界のフラクタル構造とオートポイエーシスには深い関連性があるとも考えています。ではラストに「自然史 第5章」より引用・抜粋で記事の終わりとしますね。
「自然史 第5章」 より引用抜粋
生物では自分の体内構造としての情報を維持している。生命活動として多くの化学反応が体内で繰り返されているにも関わらず、代謝する事 によって自分自身を情報量に富んだ低エントロピーな状態に保っている。
こういった生命活動が可能なのは、生命が 常に外に開かれた開放系であるおかげである。反応する全ての物質を含んだ閉 じた系では、最もエントロピーの高い熱平衡 状態に向かって反応が進み、
まず 全体が等温に、そして成分も一様な状態に至る。一方、外界とエネルギーや物質のやり取りのある開放系では、熱平衡状態以外 にも定常的な準安定状態が存在し得る。例えば、 周期的に変動を繰り返す極限周期軌道(リミットサイクル)が現れる場合などである。
プリゴージン(I. Prigogine:1917-2003)らによって散逸構造と名付けられたこの熱平衡状態から離れた所での定常状態が生命現象の秘密なのである。
外界に向けて物質の出 入りに伴って、体内で生じた余分のエントロピーを排出する事により、自分自身を熱平衡状態からかけ離れた定常状態に保っているのである。
機械を動かすにはエネルギーの供給が必要であるが、生物ではさらに代謝と言うメカニズムを通して、体内エントロピーの維持を行なっている。
食事と排泄という日常生活の中で、発汗などで体内のエントロピーを外部に捨てているのである。それゆえ、生物は単独では存在し得ない。
生物とは常に エントロピーの捨て場である環境と共生した共生系(Symbiosis)なのである。そこで、「生物とは『マクロなシステムに、(生物学的な)秩序が自発的に出現する』こと。」であり、
秩序の自己形成こそ生物の特徴なのであるならば、その考え方をもう少し進めて、「生命とは、自己形成・ 自己増殖する散逸構造体」と考えられる。
ここで、生物には外界と内部を区別する何らかの境界が必要である事にも注意しよう。 また、生物は生命活動がその特徴であり、生物が何で出来ているかを問うていない事も強調しておく必要がある。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ http://www.astro.phys.s.chiba-u.ac.jp/~miyaji/class/shizenshi/sec5.html
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