「中二病・高二病・大二病・社二病」はどれも通常範囲であれば、多かれ少なかれ誰にでもあるもの(あったもの)で、全然問題ないものです。
そして通常これらは「○○病」とかいっても病気でもなんでもなく、またこういう概念は専門的に正式に用いられている概念ではありません。例えば子供がその時期(14歳頃)に、中二病的な要素が皆無というのであれば、私はむしろ逆に心配なくらいですね。
まぁ通常はあまり気にすることもないものだと思うのですが、過剰に病的方向性へと発達すると結構ヤバくなるケースも「一部」あるので、今回テーマにすることにしました。
※ 酷い悪化例: オカルト系のカルト宗教の盲信者とか悪質な霊能者に騙される人たち。現実と妄想の区別がつかないレベルの「大人の中二病」。
中二病
今回はお笑い動画を紹介しつつ、この心理を軽く考察することにしました。以下に紹介の二つのお笑い動画は、中二病の世界観・言葉を上手く使って構成されており、非常によく出来ていて大笑いしつつも、そのセンス・着眼点に驚きました。
シュールなネタなのに再生回数100万回突破で高評価5千超えのお笑い動画です。
中二病のキャライメージは、例えばアニメの世界と自己の同一化によって現実での生身の自己から逃避するというイメージとか、
スピ系の霊的世界・概念への自己同一化による逃避のイメージとかありますが、アニメってスピ・オカルトの概念を多用しているので、非現実的な世界観の元はむしろスピの方ですね。
「中二病」を、ヴァイラント(Vaillant)による「成熟度に沿った4つのレベルの防衛機制」でいうならば、レベル2の「未熟な防衛」の段階あたり、でもこれは「中学生くらいの年頃の子」であれば発達段階で通常よく見られる過程的なものです。
この場合、防衛機制の種類では投影(投影的同一化)がメインですね。ですが、大人になってこれが慢性化し現実と区別がつかないレベルであるとすると、それは「病的退行」の状態なんですね。なので問題があるとすれば「大人の中二病」の悪化したケースです。
次に紹介の動画は、一般人には理解しがたい「中二病言語」を翻訳するアプリのプロモーション動画ですが、これがなかなかよく出来ていて笑える内容であるだけでなく、微笑ましいホンワカした感じなので紹介することにしました。
この中二病言語翻訳アプリの動画のコメントもウケたのでピックアップ紹介しますね。
クックックッ…… これで力を持たざる者ともコンタクトが取れるというわけか……おもしろい… フフフ……時は来たぞ……同志よ。これで「言語境界線」は消え、我らの「聖声」は届くだろう…
「中二病」と思われることを意識しすぎた結果に「裏中二病」になるケースもあります。
中二病的な要素が強いクラスメイトを過剰に意識・嫌悪するあまり、「中二病的な行動」と認定される恐れのある行動すべてに対して拒絶し行動が起こせなくなる心理です。これは過去記事で別のテーマで書いてきたように、深層心理学的に見るとわかりやすい反応です。
「ふつう」という均一化した場の同調圧力による抑圧、それに無理に過剰適応しようとした結果、裏中二病の次の段階である高二病では、無意識の反動から「アンチ中二病」の観念でキャラ作りを強化し始めます。
これは「おれは中二病の奴らとは違う段階にいる」と「思いたい、見せつけたい心理」でもありますが、
しかし高二病にかぎらず、「マジョリティ側の普通さ」による過剰な同調圧力によって、その場のマイノリティは全て「変・異常」という決めつけからの排他性・蔑視観に発展することもあります。
これは高二病とは違いますが、同質の防衛機制が働いているとはいえるでしょう。そして中二病~高二病で作用している防衛機制は主に「投影」ですね。
大二病
中二病、高二病のような他人への皮肉によるキャラ作りを否定することで「おれは中二病、高二病の奴らとは違う段階にいる」、というキャラ作りを強化して優越しようとする姿のことを大二病と言う。
つまり大二病は結果としてアンチの心理が一周して「丁寧な中二病」になってしまってるパラドックス状態だともいわれますが、
これをヘーゲルの弁証法での「テーゼ」⇒「アンチテーゼ」⇒「アウフヘーベン」⇒「ジンテーゼ」で言うのであれば、「テーゼ」=中二病 「アンチテーゼ」=高二病でしょう。 そして大二病は「アウフヘーベン」の段階ですね。
この過程を経て「ジンテーゼ」へ向かい、それがまた次の「テーゼ」となって、また「アンチテーゼ」⇒「アウフヘーベン」⇒「ジンテーゼ」...そうしながら成長していく、という「終わりなき学びの過程」の1部分を切り取った姿に過ぎないのです。
※ ある命題(テーゼ=正)、それと矛盾する命題(アンチテーゼ=反)、もしくは、それを否定する反対の命題、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)。
※ 「アウフヘーベン」は否定と保存の両面をあわせもつ言葉で「否定の否定」です。
大二病は発達心理学でいうモラトリアムの期間に生じるものであり、若者によくある心・精神の「ゆらぎ」のひとつです。
この「ゆらぎ」は否定的なものだけではなく肯定的な要素も含まれていますが、否定的な一面だけを抜き取ったものがネットスラングで、本質的にはこれも深刻なものではなくアイデンティティの確立の途上でよくある現象です。
なので「常軌を逸した方向性に向かうような特殊な場合」を除いて、基本的に「おおらかに見守る姿勢」でよいと思いますね。
ところで「大学デビュー」というのは、思春期の成長過程で健全な「ゆらぎ」が抑圧化されていた人が、大学生になって一気に解放される時に見られる現象のひとつですね。
◇ 関連外部サイト記事の紹介
〇 「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由
哲学的な固い文章が続いたので、ここでちょっと休憩です。笑いながら中二病を健全に卒業するためのアニメ『中二病でも恋がしたい!』の紹介です。
〇「中二病」から世界へ!人気アニメ監督が語るアニメーションの可能性
〇 TVアニメ『中二病でも恋がしたい!戀』公式サイト
社二病
社二病に関しては以下に紹介のサイトの記事がよくまとめてありますね。「社二病にかかって欲しい」「早めにかかっておき、治したほうがいい」という目線が単に否定的なものではなくて共感できたのでここで紹介します。⇒ 社二病のススメ
社二病もモラトリアム状態の一種で、「意識高い系」とか言われているのはモラトリアム状態の側面をネガティブに捉えたネットスラングですが、これもアイデンティティの確立の途上でよくある現象なので、大二病と同じく基本的に「おおらかに見守る姿勢」でよいと思います。
このような現象を考察する際は、否定・肯定は盲目的に過剰になって病的なものにエスカレートしてしまわないように、「アウフヘーベン」の目線が必要ですね。
そして弁証法的に考察するならば、「全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す」ので、「生み出したもの」と「生み出されたもの」は互いに対立しあう。そしてそこには本質的な意味での優劣関係はないのです。
そしてこの両者は、同時に、まさにその対立によって互いに結びついているわけです。これを「相互媒介」といいますが、弁証法的考察とういうものは、東洋の「陰陽思想」の相互作用に似ていますが、本質が違います。
陰陽思想の場合、相反する二つの作用は本質的には対立するものではなく、全体を調和・循環させるための二つの原理的な作用と捉えます。
弁証法的考察は西洋二元論の葛藤を調和させるように一見するとそう見えるのですが、西洋の思考法というものは「対立的関係性」を明確に意識した姿勢であるため、
相反する二つの作用が調和に向かうのではなく、むしろその葛藤によって引き起こされる質的変化によって発展へと向うと考え、
「常に連関と相互作用で絡み合い変化し続ける全体運動」として世界を捉えているです。この考え方は、西洋で生まれた発達心理学の中にも見られます。
記事の最後になりますが、中二病のような現象を起こす「思春期」の意識の内側を深層心理学で考察した岩宮 恵子氏 という心理学者の方がいて、「フツーの子の思春期―心理療法の現場から」という本を出しています。内容がとても良いのでおすすめです。
〇 岩宮恵子 関連記事 ⇒ 岩宮恵子 (2013) 『好きなのにはワケがある ― 宮崎アニメと思春期のこころ』ちくまプリマー新書
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