ユーモアの源泉は歓びにあるのではなく、悲しみにある。天国にはユーモアはない。 ( マーク・トウェイン)
「ユーモア・ジョーク」のカテゴリー記事の更新です。「笑いは百薬の長」と言われます。そして健康に良いだけでなく「笑う門には福来たる」とも昔から言われてますよね。
「ユーモア・ジョーク」は、心身の病や健康だけでなく、人生の様々なことに効果があるわけです。たかが小市民の娯楽、されど小市民の娯楽である「お笑い」にも、他の感情にはない実に様々な良き心理効果があります。
今回はユーモア・ジョーク(ブラックユーモア・風刺を含む)の名言と動画を紹介します。
頭の固すぎる人は心身の病や健康の問題だけでなく、自己実現においても上手くいかないことが多いでしょう。緊張と弛緩はどちらも必要で、これもバランス感覚ですね。
弛緩ばかりで緩みっぱなしでもダメだし、緊張ばかりで力みっぱなしでも駄目ですよね。生真面目すぎる人というのは、心が固く力みっぱなしなのです。
こういう人の心の固さが突然壊れると、例えば生真面目すぎる人がたまに事件・犯罪を犯してしまうことがあるように、一気に脱線したりします。
逆に弛緩ばかりで緩みっぱなしの人も物事のケジメがなくなりやすく、不真面目さが過剰になれば、それはそれで大きなを失敗をしたりします。心と体はリンクしているので、心身共に緊張と弛緩のバランスが良いことが大切ですね。
ではまずアインシュタインの二つの名言を紹介しますね。
A を人生における成功と置くと、A= x + y + z 仕事が「x」、遊びが「y」で、「z」は口を閉ざし続けること。
「唯一の救いは、ユーモアのセンスだけだ。 これは、呼吸を続ける限りは なくさないようにしよう
以前、インディアンの文化には「お笑い芸人」に相当する役割を持った人が存在することを本で読んだことがあります。そして「お笑い芸人」に相当する役割を持った人は、厳格な儀式の最中にそれを茶化すことさえ許されているんですね。
もちろんそれは選ばれた人だけなれるのであって誰でも許されているわけではありません。
その役割は「笑い・ユーモア」でコミュニティーを優しく支えるだけでなく、権威や儀式というものを絶対的なものにしない、というコミュニティーのバランス調整の役割も持っているのであり、これは現代でいえば風刺・ブラックユーモアと同じでしょう。
以下に紹介のミスタービーンは、ロンドンオリンピックでも登場しましたが、映画『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』では、「エリザベス女王をぶっ叩く」というコメディが出てくるのですが、これなんてまさにそうですね。
脳というのはすばらしい器官である。 朝起きるやいなや働き始め、 会社に到着するまでは止まらない。(ロバート・フロスト)
話すことの逆は、聞くことではない。話すことの逆は、じっと耐えることである。(フラン・レボウィッツ)
平等の欠点は、誰でも自分より優れた者とのみ、平等になりたいと願うことにある。(アンリ・ベック)
子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ。(ブライアン・オールディス)
結婚は、デザートより前菜が美味しいコース料理である。(オーマリー)
つらい状況も笑いを通して方向転換させることができる。 何事にでも、貧しさにすら、ユーモアを見つけられたら、それを乗り越えることができる。 (ビル・コスビー)
成功は祝福せよ。 失敗の中にはユーモアを見出せ。(サム・ウォルトン)
笑いという心の化学
「笑い」というものは悲しみや劣等感、不安や虚無感を時に一瞬で吹っ飛ばしたり、怒り・嫌悪などの攻撃作用を優しいものへ転換したり、こだわりやかたくなさをスッと外したり、
まさにそれは心・精神の化学反応とでも言うべき特殊な感情を引き起こします。「笑い」という感情は特殊です。
怒りや悲しみ、喜びをハッキリと表現する動物は他にもいますが、笑いという感情をハッキリと表現する動物は人間だけです。これは人間が集団生活での調和をしていく中で、無意識的に生み出した進化した感情なのだと思いますね。
人を意図的に怒らせるのは簡単です、意図的に悲しませるのも簡単です。これは頭の悪い人でも良い人でも誰でも出来ます。
いくら知能だけが高くても、想像力・その状況に合わせた頭の回転・気配りが欠如していれば、やっぱり人を怒らせ悲しませることでしょう。ですので、人を意図的に喜ばしたり癒したり笑わせるのは、より難しいわけなんですね。
それが出来るということは、それだけの想像力・頭の回転・気配りがあるということなんです。まぁ笑いにも質の違いはあり、全ての芸人・笑いがそうだとは思いませんが、その種の感性・能力が非常に高い人たちですね。
コメント