第1段階 初期マインドフルネス
初期マインドフルネスによって、固定化し硬直化した「囚われの自我」の核力を弱め、部分に分離した自我を存在の全体性へ向けて、全体性への気づきを広げる準備します。マインドフルネスに関しては以下の記事を参考にどうぞ。
マインドフルネス 前篇 「東洋の脳トレ」 認知療法(MBCT)・ ストレス低減法(MBSR)
例えば「トラウマ」などがある時、そして狂信的な特定の思想や宗教教義への観念的な過剰な囚われがある時、その観念の塊、過去の記憶が強力に「現実・今」に投影された「分離的な自我意識」を経験し、それによって認知が条件づけられるために存在の全体性と世界の全体性を分離的に認識します。
「初期マインドフルネス」によってまずはそれ「囚われの意識の枠付け」を外すようにするのです。ただ、それだけでは無意識へのアプローチは出来ません。
ですが、囚われを外すことで「トラウマ」や「負の記憶」との強い結びつき「脳内ループ」を弱めるわけですね。それは第一段階です。
この段階では自分を責めたり他者を責めたりせず、そして意識に立ち上ってくるものをコントロールしたり抑圧したりせずに、否定も肯定もせずに「ただありのままを見つめる」訓練をします。
そして自身の表層意識の内的運動の全体性に気づくことで、自身の部分への過剰な囚われを理解出来ると、楽になるんですね。
これが自分だ!と思っていたものは、存在の全体性ではなく「過去」=負の記憶の投影であり部分への囚われから生じる自分でしかなかったということです。
激しい負の記憶があって心身が著しく不安定な人や、マイナスな感情の悪循環のループに陥ってストレスを感じている人、そして毒親やカルトなどの洗脳を受けて意識が激しく条件付けられているような人は、まずこれをやってみることをお勧めします。
この段階では過去の囚われの記憶や無意識への積極的なアプローチはしないことです。
この段階で「過去の囚われの記憶や無意識」への深いアプローチをしても、単に過去の意識に引き戻され再び同化してしまうだけだからです。初期マインドフルネスは、「極端な囚われを外すもの」だとお考えください。
まず「過去から現在への無意識的な投影」と、「過去への同化」から離れることが必要なのです。無意識へのアプローチをするのはその次の段階です。
第二段階 ① フォーカシング
以前このブログでも紹介した、来談者中心療法の創始者であるアメリカの臨床心理学者のカール・ロジャーズの共同研究者の一人に、「ユージン・ジェンドリン」という人がいます。
ユージン・ジェンドリンはカウンセリングの成功要因を探る研究で、クライエント自身が「心の実感に触れられるかどうか」が大事である、ということを発見しました。そこから彼は、体験過程理論を構築して「フォーカシング」という具体的な技法を提唱しました。
フォーカシングでは「 漠然とした、しかし直接的に感じられる身体の感覚 」を「フェルトセンス」と呼び、それを明確化するプロセスによって、「自己の内面に存在する言語化・ 概念化が難しい心の動きにスポットを当てていく技法」です。
これは一見すると第1段階の初期マインドフルネスに似ていますが、よりアクティブな洞察的要素が加えられたもので、「無意識へのアプローチの前段階」になるものですね。「フェルトセンス」を見つけるのに適した東洋的技法、それが禅・ヨガ・気功・タオなどに含まれているのです。
まずは初歩的な技法・エクササイズをしながら自身の体の感覚に注意を向けます。そうやって徐々に身体意識の感覚を高めていくと、様々な「フェルトセンス」が見つかります。初歩的な技法・エクササイズに関しては以下の記事を参考にどうぞ。
● 胃腸と丹田 心・無意識の調整と健康のエクササイズ
● 心身の癒しと健康・元気回復のためのエクササイズ「ヨガ+体幹トレーニング」
● 「うつの人」・「心身の元気がなく疲れた人」のための気功と禅の瞑想
● 認知行動療法 マインドフルネス 後編 方法・実践 メンタルヘルス
「フォーカシング」の詳細は下記リンク先を参考にどうぞ。
第二段階 ② 「イメージ」を使う無意識へのアプローチ
第一段階の「初期マインドフルネス」がある程度出来るようになって、「自己の囚われの傾向」が理解出来るようになったら、「フォーカシング」を徐々に深化させることによって無意識へと徐々にアプローチしていきます。
そして「フォーカシング」は「自己の内面に存在する言語化・概念化が難しい心の動きにスポットを当てていく技法」ですが、この感覚をさらに深めて無意識へとアプローチするために「イメージ」を使うというわけです。
何故「イメージ」を使うのか?イメージというものは深い領域から意識に投影されてくるものもあれば、「雑念的な浅い領域のもの」もあります。ですがどちらにせよ、イメージが記憶や無意識と関係したものであることには変わりないです。
例えば認知療法では、思い込みや現実のギャップを思考認識し、現象に対する固定的で否定的なものの見方や考え方や現実の受け取り方を柔軟なものの見方へと変えていくわけですが、その思考の修正方法はコトバで伝えられます。
人から人へコトバで伝えられるわけです。「コトバなんて非力」と思っていても、人の思考はコトバとイメージで出来ているのです。
なので思考の成分であるコトバとイメージという「内的運動」が変化すると、ものの見方が変わり、同時に現実の受け止め方も変わる、つまり精神の運動の仕方が変化するのです。
第二段階では、「まだ残っている潜在的な負の記憶」との同化を弱めていきつつ、そこに「自身を調和的に自己実現させるための記憶」を追加していくことを行います。
何故それが必要なのか?「囚われを外す」だけで良いでないか?と思うかもしれませんが、これは癒しにはなりますが、存在の個性を肯定的に開花させるには「囚われを外す」だけでは不十分なのです。
そのためには、「プラス方向・全体性への調和へと進むための心理的な動力源」を持っていなければいけません。
また潜在意識に※負の形状記憶(※ スキーマ的なものを形成する力学の比喩的表現)が残っていると、肯定的な形状記憶を作る際に葛藤を引き起こし、邪魔・妨害されるのです。
つまり潜在能力を引き出す際に、負の形状記憶が再び強く作用することで、内的な自己との戦いになってしまうわけです。なので、第二段階では負の形状記憶を取り除きながら、同時に肯定的な形状記憶に置き換えていくことを行います。
無意識にアプローチする方法
「無意識」にアプローチするには幾つかの方法がありますが、通常は「顕在意識が感じる限界」=「顕在意識がこうだ!と決めつけている自己像」を条件付けているのが無意識であるため、
無意識の全体性を顕在意識で直接見る・知ることは出来ません。(部分的に知ることは出来ますが。)つまり簡単にはアプローチが出来ないわけです。そこで最初は「イメージ」を使うわけですが、
それが例えば、前に書いたユングの「アクティブイマジネーション」や「東洋の古来からあるイメージ療法」です。
そして東洋の古来から存在するエクササイズには、この「イメージ」を使う無意識へのアプローチ方法が豊富に存在するわけですね。
無意識からの作用を「イメージ」という形に置き換えて、そのイメージとやりとりすることで、アプローチを段階的に深めていくのです。ですがそこには落とし穴や危険があるので、それはまた次回に書きますね。
2月1日 記事更新 「瞑想」の落とし穴や危険
⇒ 自立的な自己回復へ 「治療」 「自己実現」と「自己超越」の瞑想の原則
「変える・変わる」ということ
よくこういう人がいます「私は変わらない」。ですが私はそれを聴いてこう思います。あなたが「私は変わらない」という時の「その私」は、そもそも「あなたそのものの全体」ではない。
それどころか、存在の全体性として見れば、あなたも私もすでに何度も大きく自然に変化しているのです。存在・現象、自と他は絶えず変わり続けているのであり、変わらないものなど存在していないのです。
「変わらないと思っているもの」というのは、「ものの見方」という一部の思考のパターンや、先天的なシンプルな気質などであり、そしてそれは「あなたという存在の全体性ではない」のです。
先天的なシンプルな気質は本質的なものなのでまず変わりませんが、「ものの見方」という一部の思考のパターンは後天的な記憶・情報がひとつの観念を形成している(フレーム化)だけなので、ほんらいは十分に変わる、「変えられる」性質のものです。
「私=自我」は本来何の絶対性も持たない、から「変わらない私」というような絶対的な固定自我など最初から存在してはいないのです。自我の本質は、錯覚と思いこみの力で形成された無常なものに過ぎないのですね。
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