毒親と虐待、そしてその歪んだ働きかけが、本来は「善でも悪でもない無垢な子供の意識」に否定的な作用を与え、子供はアダルトチルドレンとなっていき、
その自我のアンバランスな発達によって生まれる内的な不調和はその後、無意識的に外側に投影されますが、そのことによって生まれる外側との摩擦で、学び修正していく人もいます。
また、アダルトチルドレンであることが全て否定的であるとも限りません。その内的な不調和による葛藤をどのように元の調和の状態に回復し戻していくかによって、人それぞれのプロセスになるからです。
このブログでよく書きますが、高いものは低いもので支えられ、光は闇に支えられている。ポジティブで突出した素晴らしい活動や能力を才能を発揮する人々は、恵まれた人や健全な環境の支えがある人ばかりではなく、
一見そうは見えなくても、それを言わないだけで、実際には過去に闇や影、負の記憶を持つ人が意外に多いのです。それを乗り越えていく力がそのままその人の力になるんですね。
どうすることもできない重い荷物を背負ったことがない人、不毛な永遠の闇のような負の意識に飲み込まれたことがない人は、そしてそれを乗り越えたことがない人は、
光が何故そんなにも輝いているのか、他者の温かさや優しさに何故そんなにも素直に感謝できるのか、何故、そんな否定的な辛い状況下で一生懸命に生きれるのか、それがわからないままなのです。
大人・社会のエゴが子供を歪める
人は生まれたばかりの頃は、みな無垢なる存在です。そして見捨てられ虐待されて堕天使になる子供もいれば、虐待されて殺されるまで天使であり続ける子供もいます。
比喩がちょっとキリスト教的ですが、私はキリスト教信者ではありません。そして一旦堕天使になってもそこから調和を回復出来れば、他の天使以上に輝くんですね。
ですが、回復できなければ、そしてそのための適切な最低限の環境・条件を完全に失ってしまうならば、イビツなまま輝く堕天使たちはやがてその光を失い不毛な闇に飲み込まれていくのです。
巨大化した社会のエゴと集合的な無意識の負の影響力が、それに巻き込まれた人の心を歪め、そして負の要素を自覚しない大人が無垢な子供たちにそれを投影しながらさらに子供を歪めるという悪循環の事実を、多くの人々は表面的には知りながらも、
それを本当に理解した上で、その負の力学を一つの現実レベルの問題として注意深く対処しようとする人は意外に少ない。
いつも表面的な対策や、その時だけの過剰な集団ヒステリーやクレーム的な同調圧力で騒ぐだけで、かえって問題の本質が見えなくなり、結局、一番必要な現実的な対策はスルーされるわけです。
本当に取り組むべき事は先送りし、それを現実レベルの問題として扱わないで、表面的なところだけを現実レベルで実行するんですね。
以下に紹介の動画はちょっと強烈ですが、このようなどこにも行き場のない悲惨な現実も、社会・大人のエゴが生み出しているわけです。
動画 ➡ 少年兵 戦場から子供を取り戻せ!~シエラレオネの場合~ 前編
この現実に比べれば確かに日本の子供は恵まれているでしょう。ですが、そういう安易な比較だけで「だから大した問題ではない」と言う風にすり替えることはできません。
親の虐待や社会の負の力学がもたらす作用、心・精神への破壊性は確かに相対的で強弱もあり、持って生まれた遺伝との絡みもありますが、
その環境ごとに置かれている現実・影響の質は異なり、負の力学の質も異なるわけですから、「そこで多くの人々が心・精神が壊れている」という現実があるのならば、
その力学の多角的な検証と対策が必要であることは言うまでもないでしょう。
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