「灯台もと暗し」ということわざがありますが、私たちは「目に見えるハッキリした対象・結果」だけに注意をひきつけられやすい生き物です。例えば「マインドコントロール」という言葉。こういうものはカルト宗教や特別な犯罪などだけで行われていると普通はそう思いがちです。
そして暴力や詐欺などもそうです。 ですが、より大きく巧妙で、すっぽりと私たちを覆っている巨大な悪意や支配原理や人心操作などは、あたかもそれを「当たり前のこと」として受け入れやすいですね。
カルトに巻き込まれた人がその構造に気付いて縁を切り、そういう閉じた世界を完全に離れることが出来ても、それは一つのマトリックスを抜けたのに過ぎません。
ここで、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏(オランダのジャーナリスト)の著書である「人間を幸福にしない日本というシステム」の冒頭文を紹介します。
「この人生はどこかおかしい」と、多くの日本人が感じている。居心地の悪さを感じている日本人の数は、実際、驚くほど多い。そしてこの不満は、あらゆる世代、ほとんどの海草に広がっている。
その不満の原因は、人間誰しもがしょいこむ個人的問題や家族にまつわる厄介事だけではない。周囲の社会の現実(リアリティ)も、なにかモヤモヤとした不満の原因になっている。
なぜ、この国には学校嫌いの子供がこれほど多いのか? なぜ、この国の大学には、表情が暗く、退屈そうで、なんのりそうもないとすら見える学生がこれほど多いのか?
なぜ、この国の女性は世界一晩婚なのか?そして、なぜ結婚しないと決めてしまった女性の数も驚くほど多いのか? また子供を産まないと決めた女性も多い。なぜか? ー 引用ここまでー
「人間を幸福にしない日本というシステム」という本は、日本の政治や社会について、客観的なデータや証拠に基づいて分析しているのではなく、著者の主観や偏見によって書かれているという批判があります。
しかしそれは別にこの本だけにかぎりません。しばしば欧米の知識人たちは日本の政治や社会について、西洋の価値観や基準によって判断しているという傾向があり批判されています。
この本では、日本の政治は民主的ではないとしていますが、それは西洋の政治システムと比較してそう言っているだけで、日本独自の政治文化や歴史への軽視の傾向がみられます。
日本人の幸福を西洋人の幸福と同じように定義していますが、それは日本人の価値観や生き方を尊重していないといわれても仕方ありません。
そして日本の政治や社会について現在では時代遅れになっているという批判にしてもズレています。 この本が出版された後、日本では多くの政治改革や社会変化が起こりました。
例えば、官僚の権力や役割は減少し、政治家の主導性やアカウンタビリティーは向上し、また、日本人の意識や行動も多様化し、職の流動化や市民活動などが増えました。 このように、この本が指摘した日本の問題点は、現在では解決されたり、改善されたりしているということができます。
よって著者の主張の方が「時代遅れ」といえそうです。
とはいえ日本に問題がない、というわけではありません。日本は世界トップクラスの自殺率(若者の自殺率はトップ)、そしてGDP3位でありながら全く心も生活にも余裕や豊かさを感じず、国民の幸福度はかなり低い状態です。
しかも未来を担うはずの若者の日本社員の仕事のヤル気のなさ先進国28ヵ国中でダントツの最下位。
参考 ⇒ イジメと闘争社会の心理 part2 -世界に評判がいい日本人 良い子は善人?幸福?
社会システムというものは何のためにあるのでしょうか?それはそこに暮らす人にシステムが仕え支えるのが本来の形です。システムが人に仕えるからこそ人はそこで支えられ生かされる。
ですが現代は「人がシステムに仕えている」状態ではないでしょうか? 上手くいってる人たちの影では、使い捨てのようにこき使われた挙句にリストラされても退職金も雀の涙。そしてを除けば最後は見捨てられたような孤独な老人になって終わり、そういう流れも存在します。
庶民が社会的な失敗やミスをすれば、再チャレンジできるシステムなど殆どなく、手厳しい先細りの現実が待っていますが、官僚や既得権益者、権力者たちはどうですか?
彼らはつるんで癒着して金と権力にものをいわせて身内をかばい、都合の悪いものは隠し、手厚い保護を受けて安全無事に天下り、
仮に失敗してすっぱ抜かれても頭を数回下げて辞めるだけでよく、庶民からは考えられないような高額な退職金と再就職先までガッチリ用意されている。その金はみな我々の税金です。
私たちは騙されていませんか?あたかも「弱者を守るシステムそのもの」が税金の無駄使いように印象操作されていますが、もちろん無駄に使われている部分やそれを悪用している人々もいるのでしょうが、
それはシステムの悪用という話であって、システムそのものが悪いということではありません。
たとえば生活保護の不正受給の問題ですが、不正受給は実は0.5%に過ぎないんですね、世間ではやたら不正受給、不正受給って大騒ぎして「負の同調圧力」を作り出していますが。
不正受給の実態やこの問題に関連する記事を以下に幾つか紹介しておきますね、参考にどうぞ。
〇 生活保護予算の99.5%は適正に執行されている。「不正ゼロ」主義の問題点
〇 『本当に困っている人』だけを選別しようとすると、かえって救えなくなる――。
〇 生活保護受給者の自殺率が2倍以上高い、その理由に迫る
〇 「生活保護バッシング」がやまない本質的理由
そもそも弱者を守るシステムは、「未来のあなた」にとってのためでもあるんですよね。いつ何時あなたが弱者の立場になっても、それを守ってくれるはずのシステムというのが本来のシステムの役割なわけですから。
年金も雀の涙、老後の保障、弱者復活の道もない「使い捨ての切り捨て型システム」、それが一部の庶民の置かれている状況であり、
いい加減、弱い立場の庶民同士で争うのは終わりにしたほうがよいと思いますね。 そういう印象操作に惑わされず、変えるべきは社会や組織の上部の在り方・システムです。
毒親とカルトは同じマインドコントロールを使う
毒親と呼ばれる人々は、基本的に社会の支配原理や権力者の姿、彼らのやってる搾取の構造や人心操作・印象操作・同調圧力とよく似た手を使います。
というよりも、カルトや過激な新興宗教も毒親も、社会の負の力学が生み出した小さなモンスターで同じ穴のむじなです。
何故、カルト信者が組織を「心身共に」出ることができないのか? そして何故、毒親とわかっていながら簡単に心身共に抜け出せないのか?
その理由は人それぞれにあるたしても、おそらく傾向として、そこを出ても「ラベルが違うだけの同じ原理の世界」があると感じているからでしょう。
「その場所を抜け出てもその先が見つからない」、カルトを抜け出ても、また違う名前のカルト(カルトとは呼ばれていない)があるだけのように感じているからではないでしょうか。
そこを「心身共に出た人」というのは、社会に出たから心身が元に戻ったわけではなく、その人を受け入れてくれる人・場がまだあったからであり、あるいはそれを見つけることが出来たから心身共にそこを出れた、というだけでしょう。
「そうでない人」の場合は、外に出ていても心はまだ「その中」にあるのではないでしょうか?
では何故、彼らはそういうカルトのような人・組織に吸い込まれたのでしょうか? それも人それぞれでしょうが、その傾向として考えられるものをシンプルに見た場合、
おそらく熱心な人ほど、その人が関わっている現実の「人・社会」に何らかの意味で深く幻滅していたからじゃないですか?
では何故幻滅したのでしょうか?それは社会のシステムと上層部の在り方・価値観によって強化された「不調和な社会と人の生き方」に迎合し、今後ずっとそうやって流されて生きる人生を送っても、
「その先にある不毛」が「今見えている」ことからの「冷めた気持ち」が根底にあるからでしょう。
そしてそれは毒親の問題、機能不全家族にしても本質は同じものでしょう。だから彼ら・彼女たちは家庭も社会も捨てたくなったのではないでしょうか。
ですがこれってカルト信者や毒親に育てられた人だけが感じることでもないですよね。潜在的にはもっと遥かに多いんじゃないですか?同じようにそう感じる人々は。
自殺者の中には、カルトに入るのと似たような心理状態で社会に幻滅して生きることを辞める人々が数多くいると推定できます。
信仰動機にもいろいろあるし、苦しみから入るタイプとは異なる人々もいますが、「苦しみからカルトに入る人」の中には、「自殺的な心理状態で何とか生きようとした人」がいるということ。
その場合、「潜在的な人々」の中でより精神的に追い込まれた人や、疑問が強かった人、そして現実に深く失望し見切りをつけた人が、たまたまカルトに出会い、「自身の居場所・生きる目的だ」と感じたのでしょう。
ですがそこもまた社会と同じ支配と抑圧の階層構造のカラクリがある場所に過ぎず、しかも閉じた世界のその領域はさらなる過剰な支配が待ち受けている異常空間だったというわけです。
これはある意味、集団的な自殺行為、集団的な精神病理の表れであり、その背景に「社会の病理」があるわけですが、自殺同様に「自己責任」ということで片付けられるわけです。
毒親とカルトはよく似ています。まず極めて閉鎖的で濃い関係であること、そして力関係が違うこと、そして依存なくしては生きていけない状態である(あるいはそうなるように追い込まれている)こと、
そして徹底的な価値観や正しさの植え付けがされていることで、見た目以上の束縛が強力に働いていること、などですね。
以下の二つの心理学的な概念も、毒親を見ていくうえで参考になるので簡単にまとめて紹介しておきます。
ストックホルム症候群/ 愛着理論
愛着理論は、心理学者であり精神分析学者でもあるジョン・ボウルビィによって確立された。発達心理学者のメアリー・エインスワースによる1960年代から1970年代の研究は、愛着理論の基本的な概念を確立した。
「安全基地」という概念を 提案し、また幼児における愛着行動のパターンを分類し、「安全の愛着」、 「回避の愛着」、「不安の愛着」の3つに分けた。
4つ目の愛着パターンは、「混乱の愛着」であるが、後で発見された。1980年代には、愛着理論は、大人にも拡大された。
愛着行動の一要素として含まれる可能性があるのは、全ての年齢における同僚との関係、性的吸引力、幼児や 病人や老人がケアを必要としていることなどである。
● ストックホルム症候群 | ・1973年8月に発生したストックホルムでの銀行強盗人質立てこもり事件において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。 また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったほか、 1人の人質が犯人に愛の告白をし結婚する事態になったことなどから名付けられた。 (中略) ストックホルム症候群は恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞 的心理操作 (セルフ・マインドコントロール)であるため、通常は、人質 解放後、 犯人に対する好意は憎悪へと変化する。 参考 ⇒ ストックホルム症候群 |
● 愛着理論 | ・愛着理論(あいちゃくりろん、Attachment theory )は、心理学、進化学、 生態学における概念であり、人と人との親密さを表現しようとする愛着行動 についての理論である。 子どもは社会的、精神的発達を正常に行うために、少なくとも一人の養育者と親密な関係を維持しなければならず、それが無ければ、子どもは社会的、 心理学的な問題を抱えるようになる。 参考 ⇒ 愛着理論 |
それでは記事の最後に、この生きづらい世を生きる若者へ、アマザラシの『ラブソング』、「愛の歌」でしめたいと思います。
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