今日は「琵琶湖国定公園 滋賀・京都の癒しパワースポット・温泉」の紹介と、記事の後半部で「宗教・思想」の効果と負の作用をテーマに書いています。
このブログは「心・精神の病気と健康」をテーマに「心理学」及び他の様々な角度から考察・分析しつつ、また単にそういう専門的・科学的な知識によるものばかりでなく、
感性的・実体験的なものを含めた考察も同時に行い、「心・精神の病気と健康」に役立つ情報の紹介や、癒しなどに関するテーマも扱っています。扱うジャンルが広くコンテンツ量が多いので、当然いろんな読者さんが来られます。
また一般の方だけでなく、スピ・宗教系の経験者で重度の心・精神の問題に苦しむ方などもこのブログの読者にいます。なのでそのあたりの内容を含む記事もたまに書いているわけですね。
本題に戻しますね。まず、「琵琶湖国定公園」に関する参考記事として、以下の記事を紹介します。
「ふるさと滋賀の自然とのふれあいコーナー」 より引用抜粋
琵琶湖国定公園は、昭和25年7月24日に、わが国の国定公園として初めて指定されたもので、県の国定公園の区域面積は95,958ha、全面積は97,601haとなっています。
この公園は、琵琶湖を中心に周辺の野坂山地、比良山地、比叡山地、伊吹山、霊仙山の各地区、そして琵琶湖に隣接した賎ヶ岳・余呉湖地区、彦根城・荒神山地区、高島地区、西の湖・繖山地区、瀬田川・宇治川地区などに分離した形で公園区域が指定されています。
原始景観とみなされるものが少ない琵琶湖にあって、奥琵琶湖の断層崖景観や湖と山塊がおりなす閉鎖景観は、神秘性と荘厳さを秘めた湖景観として特筆されるべきものです。
また、高島地区は、湖岸までせり出したランドマーク的な山塊と湖水面との一体性がよく保たれており、湖岸に発達した立派な松並木との連続性も見逃せない景観的特性をもっています。– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ ふるさと滋賀の自然とのふれあいコーナー
伊吹山
伊吹山は、古来から霊山として「神聖なもの」として崇められてきた「日本百名山」のひとつで、薬草・様々な植物の宝庫でもあり、 滋賀県・岐阜県・愛知県で350校以上の小中学校の校歌で謡われるという特別な山のひとつです。伊吹山もまた、「心のふるさと」であり「原型シンボル」のひとつなのですね。
以下の紹介の外部サイト「伊吹山豆知識」では、伊吹山の誕生、 ヤマトタケルノミコトにまつわる話、 大地に書かれた「五芒星」、
松尾芭蕉「奥の細道」と伊吹山、東西文化の分岐点としての伊吹山、他、シンプルに伊吹山という山の重要性 と神秘な歴史がまとめられています。
その中から「大地に書かれた五芒星」の部分を引用紹介します。これは昨日書いた記事とも関係するものなので、昨日の書いた記事リンクも紹介しておきますね。
過去記事 ⇒ 山陽・伊予地方(岡山・愛媛)のパワー癒しスポット・温泉磐座・山が結ぶレイライン
「伊吹山豆知識」 より引用抜粋
大地に書かれた「五芒星」
伊吹山の地層が形成されたのは、日本全国がまだ海の底にあった古生代(約2.5億年前)の海底。 古生代末期~中生代初期の大造山運動により、日本の大部分とともに海上に姿を現しました。 その後、衝上断層しょうじょうだんそう(=押しかぶせ断層)が起こり、山頂付近は石灰岩で覆われました。伊勢神宮・熊野本宮大社・伊弉諾神宮・元伊勢 外宮豊受大神社・伊吹山を線で結ぶと、地図上に奇麗な『五芒星』が浮かび上がる。
近畿の主要神社を結ぶと『五芒星』が浮かぶ この五芒星は、中心に奈良の「平城京」があり、平城京を守る結界と言われている日本のレイラインと言われています。さらに、伊吹山の東には「富士山」、西には「出雲大社」があり、この3点は一直線で繋がっています。 伊吹山は底知れぬパワーを感じさせてくれる「霊峰」なのです。– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 伊吹山豆知識
花の百名山 伊吹山
竹生島
「霊島・竹生島」は神が住む島と伝えらます。竹生島を含め、琵琶湖周辺の中でも、最も私が好きな場所が「湖北地方」です。このあたりの景色・気の質が好きで、 過去に何度も訪れたお気に入りの場所でもあります。
「湖北地方」は「北近江」とも呼ばれ、戦国時代の史跡が多い歴史的にも重要な場所であり、そしてオオワシやオオヒシクイ、コハクチョウなどの越冬地としても知られ、美しい四季の姿は現在も人々を癒し安らがせる人気スポットとなっています。
琵琶に浮かぶ笙の島 竹生島 (2007年作)
石山寺・鞍馬寺・上賀茂神社
京都・滋賀の有名な神社仏閣は昔はいろんなところに行きましたが、中でも石山寺・鞍馬寺・上賀茂神社によく行きます。空間が広く清浄でゆっくりできるからです。
清水寺や下賀茂神社なども昔はよく行きましたが、私は鞍馬寺・上賀茂神社の方が清浄で強い自然の生気が感じられるから好きなんですね。
「石山寺 (社)びわ湖大津観光協会」 より引用抜粋
西国三十三所観音霊場第十三番札所として、また近江八景「石山の秋月」としても名高い寺院で、全国でも類を見ない巨大な硅灰石(天然記念物)の上に建てられている。奈良時代、聖武天皇の勅願により良弁僧正が開基。東寺真言宗大本山。
平安時代には、石山詣が盛んで観音堂に参籠し、一夜を過ごすことが流行りました。特に清少納言や和泉式部などが石山寺のことをその作品に描いており、女流文学の開花の舞台となりました。
中でも源氏物語の作者として有名な紫式部は、この石山寺に参籠し、十五夜の名月を眺めたとき源氏物語の構想を思い起こしたとされています。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ 石山寺 (社)びわ湖大津観光協会
石山寺
2014.7 京都 鞍馬寺 奥院へ山歩き
詳細情報 ⇒ 京都観光Navi:鞍馬寺
京都 上賀茂神社 世界遺産 JAPAN kyoto kamigamojinja Picture
詳細情報 ⇒ 世界文化遺産 上賀茂神社
京都の温泉
京都の温泉で泉質が良くて値段と施設のコストパフォーマンスが高いと感じたのは、ホテル京都エミナース 京都竹の郷温泉ですね。湯力があり、湯上りも気持ち良い泉質なので、おすすめです。
ホテル京都エミナース 京都竹の郷温泉
竹の里で知られる京都洛西の「ホテル京都エミナース」敷地内に2種類の温泉が湧く。大浴場、露天風呂をはじめ、ぬる湯38℃、座湯、立湯など10種類の浴槽があり、全て天然温泉をたたえている。
浴槽のお湯は全て天然温泉。カラン&シャワーの半分も含め、全浴槽で天然温泉のお湯を使用しています。 単純温泉とナトリウムー炭酸水素塩泉の2つの泉質成分と、硬度が15~17mg/lと「きわめて軟水」に分類される湯水のため、
お肌がスベスベ、 ツルツルになりなす。15坪の大浴場、脱衣室、180席の休憩室も広々としてゆったりくつろげます。
営業時間:日帰り 10:00~23:00(最終受付22:00) 宿泊者 10:00~24:00
入浴料金:大人830円 子供520円 (土日祝 大人1,000円 子供620円)
⇒ 天然温泉 竹の郷
「宗教・思想」の効果と負の作用
当ブログではスピ・オカルトの批判的な記事などもたまに書いていますが、スピの人たちが嫌いなわけではありません。私自身が感性的に多くの体験を持っていますし、そういうひとたちの感覚がよくわかるから書いているんですね。
スピ・オカルト系で心身のバランスを崩す人は、シンプルに、彼等・彼女たちの感性が敏感すぎるだけ、ということもよくあります。そういうケースでは、「気にし過ぎない」ことが「自然に出来る」ようになれば、それだけで問題の殆どが解決したりすることも多いです。
そしてあまりに敏感すぎて上手く適応できない、という最初の「ちょっとしたつまづき」から居場所がなくなり、そこからどんどん深みにハマって脱線していったりする、という人も結構いるんですね。
中には「そのまま帰ってこれない人」になることもあります。なので「心・精神の病気と健康」のテーマのひとつのジャンルとして書いているわけです。
生死、存在、生命の発生に関する科学的な解明はまだまだ部分的であり、全容は解明されてはいません。輪廻は絶対あるとか絶対ないとか、いうのは「感性的な見解」に含まれます。
私自身の生死、存在、生命に関する「感性的な見解」に関してはほんの極一部しか書いてはいません。そのスタンスは今後も変わらないでしょう。
今日は、輪廻があるかないかなどの水掛け論ではなく、そのような思想の影響・作用というものをみてみましょう。禅・仏教文化は「物語の形」として「輪廻の世界」を有しています。
この「輪廻思想・物語」の面白いところは、「貪・瞋・痴」の過剰な働きが生み出す世界を「六道輪廻」の転生というイメージ力を用いることで、例えば欲の暴走が生む「地獄と餓鬼の意識世界」の現象化を諭す、などの「物語効果」です。
もう一つは、あまりにも過酷な現実下に置かれ、どうやっても変えられない運命の負の作用が強すぎる時、その破壊作用から自我崩壊を守る(一時的な)保護の作用などです。
ストレス回避の方法には様々な種類があり、逃避的で依存的な回避方法もあれば、退行的で創造的な回避方法、自立的で挑戦的な回避方法、忘却的で楽観的な回避方法、受動的で全てを受け入れる回避方法もあります。そのどれを選ぶかは自我の状態、心身の状態、環境にもよります。
逃避的で依存的な回避方法と聞くと何の長所もないように聞こえますが、これがすべて悪いわけではありません。これらの回避方法は一時的、あるいは使い方のバランス次第では長期的に有効であることもあります。
「物語効果」は、たとえば「日本昔話」や世界の童話・絵本など様々なものがありますが、単純な正論や理屈を聴く・聴かされるよりも深く印象化され、理論的な言葉よりも深い心理作用があります。なので、使い方を間違えなければ本来はとても深く優しい知恵が込められていると感じますが、
同時に、一部の原理主義的・根本主義的な盲信者のように、その「物語世界」を何もかもそのまま真実・現実として同化・自我肥大し、社会に向けて投影活動をするだけならば、幻影・妄想の人格異常者の道へと突き進むことになるでしょうし、
またそれが権力や支配、搾取のためのマインドコントロールと結びつけられると、本来の文化的役割・健全な作用を全く持たない、「特定の人物・組織の我欲と自我肥大の野心成就」のために悪用されてしまいます。
それはインドではより巨大で深刻な社会構造となっていますし、日本でも「カルト系の新興宗教や思想組織」において、「特定の人物の我欲と自我肥大の野心成就」のために悪用されてしまうことが起きています。
まぁこれもキリスト教や神道も含め、権力や支配、搾取のためのマインドコントロール・大衆の扇動目的や、「特定の人物の我欲と自我肥大の野心成就」のために悪用される時、宗教や思想は、その健全な役割と作用を失い「負の作用をもたらす心理操作のツール」と堕してしまうわけです。
共産主義にしてもそうですね、「理論・思想だけ」を見るならば長所や優れた点もあるわけです。「思想そのものが有害で危険性だけしかない」というものは非常に少ないわけで、もしそうであるならば多くの人が同化・盲信したりしないのです。
多くの人が同化・盲信する背景には、それなりの長所や良い効果も含まれているからであり、単純にいきなり物凄い洗脳やマインドコントロールをされて一気に信じるわけではないのです。
マインドコントロールは長期的な過程で徐々に浸透する同化作用と、「意図的な価値や意味のすり替え」によって認知ラベリングが変更されることで起きるもので、通常よりも深い認知バイアスがかかっているわけですね。
ですが「思想そのものが有害で危険性だけしかない」ものは、非常に特殊な猟奇的個性を持っている人や、独裁的な権力統制下に置かれているような社会・組織以外は、通常はそれに簡単に同化したり盲信状態になったりしないものです。
大抵の場合、思想や宗教には長所・短所・良い効果・悪い効果の両面があるものであり、一方だけをとって全否定は出来ないんですね。
例えば悲惨な事件をおこした人物が、アニメやネットが好きだった=アニメやネットは有害、というくらいに短絡的で一方的な思慮に欠けた結論です。そして宗教・思想に限らず、長所・短所・良い効果・悪い効果の両面があるものは世の中多いのです。
なので問題が起きた時、関連があるものを何でも結びつけて短所だけをピックアップして長所は全く見ない、という姿勢は過剰反応の一種であり、
そのような排他的な潔癖性による過剰反応は世界を狭くし発想や創造・言論の自由を奪い、みなを拘束的にし、それが集団ヒステリー化すると、「社会的な狂気性」に向かう危険があるわけです。理性の狂気はカルト宗教と変わらないほど常軌を逸することがあります。
とはいえ、思想や宗教がイデオロギー化して「権力・支配」「自我肥大欲求の強い人間」と結びつく時、理想とは全く違った方向性へと進んでいくわけです。
なので、どのような人間がそれを扱うのか、どのような社会状況・意識状態の人とその思想が結びついた時に負の現象となるのか、どのような人間たちがそれに関わり同化するとき、本質が大きく歪むのか、
そして「人間の自我運動はどのようなパターン性を持っているのか」ということに対する深い理解もなく、安易に盲信すること・過剰に否定することは、どちらも危険性・問題をはらむものであるわけなんですね。