今日は幾つかのニュース記事と、二つの社会風刺の動画と、ひとつのユーモア動画を紹介します。その後に続けて「感情的抑止力」では人・現象の本質は変わらないというテーマで記事を書いています。
それではまずここで、コント集団「ザ・ニュースペーパー」の以下の風刺・ユーモア 動画を紹介します。とてもウイットが利いていてモノマネもバッチリです。
2013年の今年の漢字は「輪」ではなく「偽」にするべきじゃなかったのかと改めてそう思いますね。
論文データの改ざん、ねつ造の問題なんて、もう何年も前からずっと各分野の各現場で言われ続けてきた問題なのに、それに対して一向に本質的な対策をしてこなかったわけです。
「医師が選ぶ「今年の漢字」は「偽」、論文データ改ざんで2位はあの事件から「徳」」より引用抜粋
メドピア株式会社では、自社サイトの会員医師6万人を対象に「2013年 医師が選ぶ漢字」を募集。2657人の医師が回答し、論文データの改ざんに注目が集まったことから「偽」が最多となった。得票数は227票(8.5%)。
今夏にはスイス製薬大手の日本法人ノバルティスファーマの高血圧症治療薬「ディオバン」の臨床研究データに不正な操作があったことが判明。
「相次ぐ食品偽装問題と同じように、データのねつ造など医学系論文にも不正・偽装が話題となった(50代、消化器科)」
「論文データのねつ造で医学論文の意義が根底から覆されたような気がする(40代、集中治療科)」などのコメントが相次いだ。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)引用元⇒ http://www.excite.co.jp/News/column_g/20131230/Economic_30302.html
論文ねつ造事件の後に、今度は警察権力によるねつ造疑惑ですか、袴田さんは追い込まれ過ぎて既に精神がおかしくなっちゃてて、ねつ造ならば本当に酷い話です。
人を裁く時は公正さと慎重さがないと、見落としや判断の誤り一つで一人の人間の人生を抹殺しかねません。冤罪も結局、権力を笠に着て「一部の人間の思い込み」やメンツや都合や利害で一方的に進められる排他的な組織内での不正行為です。
国民の税金で支えられ公的な権限を与えられている人たちが、無力な1国民を一方的に追い込む姿は、「社会正義の面をした社会悪」そのものの姿ですね。
公的な権限を与えられている人ほど、公正に、慎重に、丁寧にシッカリと判断するという当然のことをしないと、信用なんて得られないでしょう。
次の動画は現代の「就活」を風刺したアニメですが、映像に迫力があってよく出来ています。
次はPeeping Lifeのお笑い・ユーモア 動画です。バカップルの姿を描いたPeeping Lifeの動画は幾つかありますが、私はこれが一番気に入っています。
「抑止力強化」のみでは人や現象の本質は変わらない
イジメの問題もそうですが、大津事件のように感情的に大騒ぎして個人攻撃しても結局一向に減りませんし、問題解決には殆ど繋がりません。感情的に集団ヒステリーになることで、むしろ違う方へ脱線していきます。
それは問題の根や立体性を全く考慮しないまま、枝葉を刈るだけの「感情的な抑止力強化」に満足している人が殆どだからです。
ですが中には、そういう事件をキッカケに深く立体的に考察する人もいるので、感情的な過剰な反応が全て無意味とは思いませんが、
「感情的抑止力」だけが過剰になって「本質は同じまま」であったり、逆に他の良い要素が見落とされたりすると、さらにタチの悪い別の形の問題に変質していくことは実際に多いです。
仮に社会システム上の問題点がメインである場合は、感情論よりもシステムの更新・変更も同時に必要です。そうでないと自浄作用は非常に限定的で弱いものになるからです。
今回の記事テーマは社会的逸脱行為に関する社会学・心理学的な角度からの考察ですが、刑法学的な角度から「抑止力」を考察している立命館大学教授で刑法学者の生田 勝義 氏の参考PDFを紹介しておきます。⇒ 刑罰の一般的抑止力と刑法理論
感情的な抑止力強化の方向性は、違反者への過剰な排斥・憎しみの増大及び重罰化へと向かいやすくなります。ただ恐怖や圧力で押さえつける過剰な規範主義の場合、人は「表面的には道徳的になる」が、その反動で「潜在的にはより不道徳になる」という心理パラドックスがあります。
そしてその潜在的な不道徳さが裏で人格化し、見えないところで密かに陰湿な形で現象化し始め、やがてそれが増殖して別の社会問題へと発展していくわけですね。
これは社会問題が、「社会及び組織の機能不全」と「個人の意識の状態」の両方の相互関係で起きていることだからそうなるのです。過剰に個人の自己責任に帰結してしまうと、「社会及び組織の機能不全」が見過ごされやすくなるわけですね。
現実に、アメリカ式の勧善懲悪的なやり方の過剰さとその結果は、以下に紹介の記事内容にあるように深刻な悪循環を生み出しています。
「米国は増大する「監獄コスト」をどうすべきか」より引用抜粋
米国の人口は世界の5%に過ぎないが、囚人の数は世界全体の25%を占める約220万人に上る。1980年時点の5倍に増えており、米国内の成人の100人に1人が投獄されている。
この比率は世界最高で、西欧やその他の民主主義国の5〜10倍に当たる。社会的、経済的なコストも同様に高い。
ここ数十年で囚人数が膨れ上がったのは、犯罪防止のため懲罰的な対策を強化したためだ。警察人員の増強費などとは別に、州立刑務所や連邦刑務所の年間予算だけでも20年前の120億ドルから600億ドルへと急増した。
最も残念なのは、厳罰主義の利点が具体化してこなかった点だろう。投獄率が上昇しても犯罪率はほとんど低下していないうえ、再犯率も驚くほどに高い。
最近の米司法省の報告によると、元受刑者の3分の1以上が出所の半年以内、3分の2以上が3年以内に再逮捕されている。
雇用や住宅供給、医療、教育などの面で、出所した元受刑者は大きな壁に突き当たる。出所者の少なくとも半数が、精神疾患や中毒症状でさらに苦労を強いられるという。
しかし、社会復帰を導いてくれるようなサポートのネットワークを持つ者は、非常に少ない。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
よりミクロな社会問題ですが、毒親問題も似ていますね。親の問題や家族の機能不全には目がいかず、問題児の意識ばかりに視野が固定され過剰に自己責任化されてしまうことで、本質的な原因、他の力学はそのまま継続されてしまうということです。
また問題児の悪い面ばかりに焦点化し過ぎた場合、良い面や可能性などは全否定されたりします。
これは「抑止力」や批判が悪いということをいいたいのではなく、怒り・嫌悪などの自然感情や批判・反対活動も時と場合によって必要なものですが、問題への対応として、感情的抑止力の強化だけでは、対応としてあまりにも不十分という意味なんですね。
なので、事件・社会問題をキッカケに、冷静に深く立体的に考察する人がもっと増えることが望ましいと思います。
教育問題も似ていて、怒るときにはシッカリ怒ることも必要でしょう。あまりにユル過ぎ甘過ぎでも問題は出てきます。
ですが、締め付けや抑圧に力を入れ過ぎ、上から子供を押さえつけて「表面だけ良い子」にさせてきた結果、内的には未熟で機能不全状態のまま成長してしまい、結局そういう子供は大人になってから様々な深刻な歪みが出てくるケースが多々あります。
何故なら本当に良心が育っているのではなく、『外的な圧力への恐怖や不安で「良い姿」を外に合わせて表現する』ような自我の傾向になりやすいからです。
そして過剰になり過ぎずに、内的な状態を調和のとれた状態になるように育てるならば、最初は多少のミスや失敗はあっても、徐々に自発的に考え、歪みや不調和を内省するシッカリした自我を形成していくでしょう。
一度出来てしまったものを「本質から変える」ことは大変ですが、それをしないのであれば、毒親問題同様に機能不全社会の問題は姿形を変えながら、ずっと未来にまで変わらず引き継がれていくでしょう。
「急がば回れ」です。「表面的抑圧」をどんどん強めていく方向性は、潔癖症的で神経症的な精神を量産し、その結果は、過剰な同調圧力・クレーム社会に皆ががんじがらめになっていく方向性であり、
それでは創造性も許容量も人は失い、どんどんギスギス・ピリピリして、いずれ精神的な限界点がきます。それよりも、本質的なところから少しづつでも変えていく方が人も社会もずっと元気で良くなると私は思います。
ただこの場合、「黙って大人しく従う行儀の良いイエスマン」が大好きな「自己肥大者」「権威・権力・組織の上部」ほど嫌がるだけでなく、
既にがっちり抑え込まれて抑圧的に生きている人は、「周囲を抑圧的なあり方に同調化させることが社会正義」と思い込んでいることも多々あるので、簡単には進まないでしょう。
コメント
この問題、僕は考えたとしては『 信 賞 必 罰 』で、在った方が、在り方の自由を個々が選択していけるのではないか?と、行った考え方なのですが、そして 法 ではなく、 同調圧力 による統治?の様な在り方が強すぎる?と、少なくとも僕は感じていて、其処に生き辛さを、感じている部分が多々あり、と、言う感じですね。
しかし、確かに、吹き上がりやすい処にルサンチマンをなで下ろすための、適法はなんだかなって?感じでもありますね。
と、動画面白かったです。