日本的倫理や日本的価値観云々を言う前に、まず日本の倫理観、日本的価値観っていう何か絶対的なものがどこかにあるわけではありません。まずはそれを明確にしておきましょう。
日本も時代によって倫理の基準や価値観は幾度も大きく変わって今日に至っています。何をもって日本の倫理、日本的価値観とするかを過去の日本に求めるのならば、どの時代のどのあたりの倫理観や価値観を日本の倫理観・価値観とするか?ってことであり、
だから結局は相対的なものなんですね。そして今の日本の倫理観・価値観あるいはモラルは、戦後の欧米の文化の流入によって欧米化されたものですから、それはどうなのか?ってことですね。
欧米の文化の流入によって「欧米化された日本文化」の影響を受けた現代の若者のモラルや倫理観は、本当に低下しているのか?ってことです。
マスコミ・メディア関係者などはとかく今の若者、時代の倫理観がどうたらこうたら云々を過剰に語りますよね。「昔の日本はよかった、今はなっとらん」的に。本当ですかね?
例えば犯罪白書を見れば、我が国の悪質な犯罪は、記録史上最低と言えるほど減ってるし、日本の少年・若者の性犯罪被害は凄まじく減ってます。
少年による強姦は、昭和40年前後はなんと4,000人前後という凄い数です。あれ?昔の日本人はもっと倫理観あったんでは?と疑問に思いますね。
が、「日本的な倫理観を忘れ欧米化した最近の若者は動物的でなっとらん」のはずの少年・若者による強姦は、52年には1,000人を割り、平成8年はなんと過去最低のたったの227人でした。あれっ?て思いませんか?
「最近の若者は倫理観がなっとらん」と声高世代の方が酷いじゃないですか?強姦どころか殺人やら他の凶悪犯罪だってそうなんですよ。
そして最近増えている高齢者の犯罪は、単に「犯罪数」ではなく、「犯罪率」も高いです。だから高齢者の数が増えたから相対的に多いという理由にはなりません。
さらにこれだけではありません。 猟奇的な事件、身内殺しも昔の人の方がずっと多かったって知ってますか? 犯罪専門の方がちゃんと調べて語ってることですよコレ。
(まぁ私は「昔は全部ダメ、今は昔より全部良い」とは思ってはいませんが、今回はそういう角度からは書いていません。)
昔の日本家族は素晴らしかった、昔の日本人には倫理観がもっとあった、そういう偏った決めつけはどうかなぁとは思いますね。やはり情報化社会化によって、そういう否定的な情報に多く目が触れやすくなった、というのが大きいと思います。
実はこれって犯罪だけでなく「地震」「天災」とかもそうなんですね、東北大震災の後、日本では確かに凄い数の余震が続きましたが、実は大きな地震の数や天災の数と言うのはそれほど極端には変わってないんです。
異常気象は確かに増えてはいますし温暖化も進んではいますが、地球の歴史、マクロな次元で見れば特段に珍しいことではありません。最初から自然界とはそういうものです。
ですが最近、人が集まる場所での地震や天災が続いて、世界中に情報が飛びまわるわけですね、そして何度も何度もそれを見るわけです。
そして「最近極端に地震や天災が増えた、地球はどんどんおかしくなってる」という印象を人は持つようになります。
確かに温暖化で気候は変化はしていますが、「地球の自然界が時に大きく変化していくこと」それ自体は温暖化があろうがなかろうが止められず、
地球誕生からずっと起きていることであり、仮に人為的な温暖化現象を止めることが出来たところで、人類がどうであれこの先も大小の変化していくでしょう。地球環境の変化は当然、何にもおかしくはないのです。
そして地球にも年齢があるために、人類がどうであれいずれは全生物が住めなくなります。滅亡もまた当然、何にもおかしくはないのです。
人間が体感する自然の変化は、大自然界の巨大な運動の極一部の現れに過ぎない程度のものであり、
そのことと、たかだか地上の一生物に過ぎない人間の営みを勝手に結び付けて、終末論的な雰囲気に流されるような人とかも続出したりするわけなんですが、人間側が自意識過剰で勝手に特別な存在と思い込んでいるだけなんです。
あまり情報の印象ばかりに流されていると、情報ヒステリーになりかねません。ある意味それも、モンスターペアレントとは違う意味で、「情報モンスター」と言えるような人々なんでしょう。⇒ 犯罪理解のために
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