今回は、「赤ちゃん学」・「原始反射」についてと、その統合のためのエクササイズ・本・専門サイトに関連するテーマがメインです。
まず「原始反射統合」は医学的・科学的なエビデンスはなく、代替療法的なものの一種に含まれるだろうと思われる分野ですが、
例えばヨガや気功や太極拳は「身体的自己の不調和」の回復、「自然自我」の癒しと調和に繋がるもの、と私は捉えていますが、「原始反射統合」はどうなのか?
まず「代替療法」は「治療そのものではない」という前提を理解しておくことは大事です。そして「代替療法的なるもの」も一枚岩ではなく、色々なものがある、ということですね。
主観的・感覚的・感性的なこのテーマを新年の最初に持ってきたのは、ブログ読者のよちさんの同テーマに関連する精力的な探究アプローチが私の考察テーマとタイミング的に一致し、自然に立ち上がりました。
※「原始反射統合」をこの記事で紹介していますが、そのままただ紹介するだけで「批判的検討は全くなし」という状態では誤解や否定的な影響を与える可能性もあるので、そこを考慮し修正して再更新しています。
「原始反射」や「キネシオロジー」だけでなく、他の身体感性のテーマに関しても、記事テーマに加えていこうと思います。
ただこういう「補足的なもの」は、主観的・感覚的・感性的なテーマであって「個人差」「相性」があります。そして捉え方にも差異はあります。
なので、盲信・過信はせず、基本はまずは医師への相談をベースにしつつ、無理や負担(金銭面・時間面・体力面を含む)にならない程度に、お金や時間は最小限にして自分にとって相性の良い代替医療を試してみる、くらいの「のめり込まないゆるい感覚」でいいと思います。
ただ、心理系・精神医学系の学者・専門家もまた絶対的な善ではなく、アカデミックなものが絶対的というわけでもなく、「今のところ平均的には一番まとも」という程度であり、
そして「全ての人にとってそれが一番いい」とはかぎらず、「それ以外の選択は全部駄目」と断じるような絶対価値も権限もありません。現時点では相対的により正確で優れているから推奨する、というだけです。
また見方を変えれば、より強い立場で権威の優位性を盾に一般人を欺き、もっとも巧妙な嘘をつき、パターナリズムで断行されてきた「間違った処置による患者たちの不遇の歴史」を考えるのであれば、
公的資格を与えられ、システム・制度の中で広く行使されてきたそれらの作用の負の一面、その「実体的な欺きの総量と被害額」は、彼ら・彼女達が己が優越性から蔑視する「トンデモさん」以上に大きい、ともいえるでしょう。
まぁ同じことをやっても力関係で印象が全く変わるのはこの世の常ですが、「自分がやるならOK、人がやるならNG」ってまずは影響力の最も大きい科学界こそ深刻に向き合うべきでは? と思う今日この頃です。
〇 嘘の多元性 科学者は嘘をつく・権威主義的な学者・専門家を疑え
原始反射(Primitive Reflexes) とは?
基本的な概念の参考 ⇒ 原始反射(新生児反射)
「原始反射の残存」が、生きづらさや学習の困難につながっている、そして原始反射の統合をすることでそれを取り除く、というようなことがいわれていますが、
これは医学的に正式に認めらているわけではなく、そういう風に捉える専門家もいる、という狭い意味ですが、まず、関連する動画と記事を紹介しますね。
原始反射の影響について
説明発達障害児子育て応援ラジオ 虹色子育てのワンコーナー虹色子育て講座よりUPしています。番組ブログはこちら⇒ http://ameblo.jp/nijiiro-kosodate/
作業療法士さんのいる教室 まーぶる株式会社はこちら ⇒ http://www.marble555.jp/
「LITALICO発達ナビ」より
〇 モロー反射とは? モロー反射が見られる期間、疾患や発達障害との関連についてご紹介します!
原始反射残存の原因には、ストレスや運動不足、アレルギー・過敏症などがあげられていますが、そして「原始反射が統合されずに残存してしまうと色々な症状が出る」という捉え方があり、
例えば幾つかあげると「感情のコントロールが出来ない」「集中できない」「集団行動が難しい」「「姿勢がフラフラしがちだったり、動きがきこちない」という症状や、
空間認識力の低下によって「転びやすい、物によくぶつかる」などの現象も生じてくる、といわれていますが、その仮説自体は面白い部分もあると思いますが、
その因果関係や効果が医学的に確認されていない以上は、治療の技術として汎用化したり、治療効果があると断定して勧めるようなことは出来ない性質のもの、と捉えています。
〇 そもそも「恐怖麻痺反射」って何だ?:原始反射統合を唱える不穏な動きについて
民間療法的なるものと専門家による治療
私は「代替医療」=「医学的治療」とは考えませんが、身体エクササイズの中には「主観的・感性的な効果が感じられるものがある」ということは個人的に確認していますし、「ナラティブな意味」ではそれら全てを肯定してもいます。
後、「スピリチュアル的なもの」に関しての捉え方ですが、例えば東洋医学で「邪気」が病気の元になっている、というような表現をよくみかけますが、これは、イメージ的なもの(それ自体は客観的実在ではない)を仮設定し、それを使って無意識に働きかける、という効果です。
イメージ自体は嘘というよりも「虚」なんですが、「虚」を上手く使えば形而上的な作用は生じるわけですね。そこから穏やかで副次的な形ではあれ形而下(身体)にも作用することがある、という効果です。
つまり医学的には「邪気」などない、という事実判断・常識は共有しているわけですが、「邪気があるかないか」を問うのではなく「何をもって役に立つか、立っているのか」の価値基準がそもそも異なるもの、ということですね。
※ ただ、これが「医療行為と同等のエビデンスと効果のある治療」という文脈で語ってしまうならば「NG」でしょう。
「スピリチュアル的なもの」というのは、EBM(根拠に基づく医療)の目線でみれば、形而下(肉体面)に対して、身体医学的には効果は認められない、は多くの場合事実であっても、
NBM的な目線、形而上(メンタル面)には癒し・リフレッシュ・心の支え・動機づけなどに繋がることもあるので、別の面での効果や役割は生じている(また人によってはその形而上の作用が形而下にも強く作用することがある)、といえるので、
「個人差」を含め、「存在そのものを全否定はしない」というスタンスです。身体医学はEBMがほぼ全てであっても、「メンタルなもの」というのは還元主義的なものだけではない複雑系であり、身体医学とは質が異なるわけです。
例えば仏教やキリスト教なども「スピリチュアルケア」「精神的な救い」の側面から捉えるなら、それ自体は医療行為ではなく科学的エビデンスはなく身体医学的な形而下への作用はなくても、形而上への作用はある、わけですね。
そして「占い」もエビデンスなんてないし、まともな人生相談とはほど遠いにもかかわらず、結構な料金をとられます。神社の開運・厄除け系のグッズやら○○祈願だって何千円、何万円なんてザラです。
人は必ずしも事実や現実やエビデンスなどの「実」だけを食べて生きているわけではありません。そこから外れた「虚」の中にある非現実性が時に心に力を与えたり仮の支えになることもあります。
それは多くの場合一時的な作用で本当に現実を変えることはないでしょうが、「主観的なもの・感性的なもの」が情緒面・行動面そして日常に良い形で作用し調和的なものであるなら、特に否定する必要はないと考えます。
「赤ちゃん学」の本紹介
ではラストに関連外部記事の紹介と本の紹介で記事の終わりとします。今回紹介の本は「赤ちゃん学」の第一人者であり小児科医で保育学者の小西 行郎 氏の著書「発達障害の子どもを理解する」、「赤ちゃんと脳科学」 です。 ⇒ 赤ちゃん学とは
以下の記事に出てくる「彼」とは小西 行郎 氏です。
「どこかのお医者さんのブログ〜文部科学省社会技術研究開発センター 」 より引用抜粋
(前略)
「子供は育てるもの」ではなく、「育つもの」であり、「子供は作るもの」ではなく「授かるもの」であり、親だけにその養育の責任をおしつけるのではなく、社会全体で育つ環境を作ることが大切であると強調する。また、障害児は矯正するのではなく、あるがままを社会が当然のように受け入れるようになることのほうが重要だと。
彼が現在の考えに至ったのは10年ほど前のオランダ留学であった。それまで「赤ちゃんは生まれた時は白紙の状態.人が教育しなければだめになる」と信じ、そのように診療も行っていた.
留学先では、プレヒテル教授の指導を受けた。かれの指示は、毎日ビデオで赤ちゃんの動きをただ観察するようにということだけであった。そこで彼は「そのままで姿で見る事の大切さ」に気づいた。赤ちゃんの手足の動きは原始反射だけではない.
原始反射が形成される前にいわゆる揺らぎ理論に基づく自発的な動きがあることを発見した。外界から積極的に介入しなくても自然と発育していくのである. – 引用ここまで- (続きは下記リンクより)
引用元⇒ どこかのお医者さんのブログ〜文部科学省社会技術研究開発センター
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