知・情・意のバランス異常

 

久しぶりの更新です。夏休みをとっていました。今回は色々な人々に会い、自然にも出掛け、ゆっくりしてきました。様々なことを話し合う中で、見えてきたこともあって、それはまたいつか別のテーマとして書きますね。

 

今日は「知・情・意」をテーマに、そのバランス異常や、思考的理解と的理解の違いについて簡単な補足記事でを書いています。

 

これに類似したテーマの記事は以前にもいくつか書いていますが、現代社会は情報が共有化された効率とスピードの世界なので、情報を得、思考で理解すれば「それを知った・理解した」という事務処理型の思考人間・知能至上主義が蔓延しています。

 

単純な観念的・技術的な対象・物事であればそれでもいいのですが、理解の「対象」となるものが何でもかんでも単純な思考的理解のみで情報処理出来るようなものばかりではないわけです。

 

そして、「知・情・意」の三つの働きが調和バランスしている時の「理解」と、それぞれがアンバランスな状態の時の「理解」では、「同じひとつの現象・現実」を見ても、その「深さ・奥行・広がり」は全く異なるんです。

 

そして現代社会は「結果・数字・表面的印象が重視の成果主義・知能至上主義の効率化社会」であるため、西洋的な合理的思考がメインですが、それに偏ることによって、感性・全体的なものが見落とされ「知・情・意」の豊かさやバランスを失うがことはむしろ多いわけですね。

 

 

そして「理性は感情を押さえつけ抑圧しコントロールする高次機能であり、感情は原始的な劣等機能」というような意味の思い込みも見かけますが、そういうわけではありません。

 

理性は感情と組み合わされないと適切に機能しない、というだけでなく、感性の働きの表れのひとつである感情は、決してなくしてはいけない人間にとって大事な要素なのですね。

 

「30秒で読む「意思決定の脳科学」 より引用抜粋

脳外科手術で「感情的部位」を失った人は、一分の隙もない論理的な人間になるわけではなく、「決断を下せない人」になる。意思決定プロセスを脳科学で説明する。

古代ギリシャの哲学者プラトンは、人間の感情と理性の関係を「馬と御者」に喩えた。近代の心理学者フロイトは、「本能的な欲求(イド)が自我(エゴ)によって抑制される」という概念を打ち立てた。つまり、ずっと以前から、理性と感情は対立するものと考えられてきた。

こうした見方を神経科学的に解釈すると、的確な判断とは、合理的な前頭葉が、生物進化の早い段階に出現した、感情をつかさどる脳の部位(脳の奥深くにある大脳辺縁系など)における「動物的本能」をコントロールするものだと思われるかもしれない。

しかし、実際はかなり違う。感情的な情報インプットが生み出す「動機づけ」や「目的」がなければ、効果的な意思決定は不可能なのだ。

脳神経科学者アントニオ・ダマシオの患者「エリオット」を例に取ろう。有能なビジネスマンだったエリオットは、脳腫瘍を切除するための外科術を受け、脳の「眼窩前頭皮質」を切除された。

これは、前頭葉と感情を結びつける部位だった。その結果エリオットは、映画『スタートレック』に登場するミスター・スポックのような、感情欠落した人間になってしまった。

しかし、感情を持たないからといって、一分の隙もない論理的な人間にったわけではなく、むしろ決断を下せなくなってしまったのだ。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 30秒で読む「意思決定の脳科学」

 

上記に引用の記事にありますが、「理性と感情は対立するも の」というのは、西洋二元論の哲学・思想・キリスト教の世界観、フロイトの精神医学の本質に見られるものであり、

 

精神性と動物的本能は対立するもの」「心と体は対立するもの」というような、存在理解の本質の部分に見られ、私はずっと前からそれに限界や違和感を感じていたのですが、

 

東洋的なエッセンスを取り込んで融合化したユングにしてもそうですね。参考になる部分や、理解が重なる部分ももちろん多々ありますが、そうでない部分も多々あります。どうも彼らは「自身を分離して一方を支配抑圧しなければ気が済まない人たち」のようです(笑)

 

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