つまるところこのブログは、人間・生命とはどのような構造なのか?というところまで探っていく、行ける所まで行く、そういう巨大なテーマを扱うものなんですね。
当ブログは今年五月から立ち上げたので、まだ一か月も経っていません。今のところ記事の内容は精神医学と心理学が中心ですが、このブログはそれに止まるものではありません。
脳科学、生物学、物理学、などの西洋科学的な物質的人体観、精神観だけでなく、東洋的な人体観、精神観、そして私自身の人体観、精神観、さらに文化的な人間観、そして極ありふれた日常感覚の人体観、精神観など多岐の角度から書いていきます。
おそらく数年以上かけてようやくこのブログテーマの全体像がぼんやり見えてくるという、そういう長~い時間のかかるものとして今作成に取り掛かっているわけです。
精神医学と脳科学と心理学でどこまで人間がわかる?
残念ながら、精神医学と脳科学と心理学だけでは人間の全体性はわかりません。特に人間の心・精神の病気・負の部分に集中してスポットを当てる精神医学的な概念のみでは非常に不完全で曖昧です。
何故なら人間には可能性や能力の開花、自己実現や幸福など、正の方向性にも広がりがあり、また正とか負とかに簡単には分けられない様々な力学や作用があり、人間の心も世界ももっと大きく深く広いものです。
もちろん精神医学がデタラメとかいうわけではなく、真摯な研究や取り組み、分析や幅広い試行錯誤をなされている医師も存在し、この分野は現在進行形で様々な改良も行われており、
発展途上の段階でありつつも社会的役割とプラスの要素も大いにあるわけですが、 「信頼できる精神科医の3条件」をテーマにして書かれたPRESIDENT Onlineの2018.2.20の記事を追加で紹介します。
追加更新 ー ここから ー
「”持論”を押し付けてくる精神科医は要注意」より引用抜粋
精神医学の教科書には「人間を3つの要素の複合体とみよ」と書いてあります。それは以下の3つの要素の複合体としての「存在(Being)」と人間を理解せよということです。
■生物学的(Biological・脳を想定→主に薬物を用いて治療する)
■心理学的(Psychological・心を想定→主に言葉を用いて治療する)
■社会学的(Social・環境を想定→環境調整→休職や入院などを進言する)初診時は、この3つのうち、患者さんのどの要素が不調の主な原因なのかを探ることが重要になってきます。患者さんの不調の原因により、主な治療のアプローチも決まってきます。
ここではどの要素が原因かまだ不明のうちに、そのひとつだけに拘泥してしまう「ちょっと困った精神科医」をご紹介しましょう。
タイプ1:すべて脳に問題があるとする医師。特徴は内科的で切れ味がいい。しかし、心理的・環境的要因はほとんど考慮しません。「器質論者」とも言います。治療は薬物一辺倒になりがちです。
タイプ2:すべて心に問題があるとする医師。「あなたは、こういうストレスにさらされている」と唱えるので、「心因主義者」ともいえるでしょうか。どこにストレスがあるのかを必死に探そうとしますが、
人は多くのストレスにさらされており、簡単に見つけるけることはできません。しかしこのタイプの医師は「これがあなたのストレスですね」とすぐに決めつけがちです。
タイプ3:環境(社会学的要因)に問題があるという医師。家族や社会に要因があると考え、「あなたは悪くない。あなたの母親が悪い。上司が悪い」などと息巻くタイプです。
(中略)
3つの要素の不調を診たてるバランス感覚が大切ですから、こういう医師には要注意です。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)引用元⇒ “持論”を押し付けてくる精神科医は要注意
ー 更新ここまで ー
では心理学はどうかというと、人間の行動パターンや性格パターンというものは確かにある程度は心理学的な定義・分析は可能なんですね。
ある特定の反応パターンや調査のための実験や統計によっても、ある程度の確率で予測は出来るわけですが、やはりそれだけでは不完全なわけです。
現在は専門的な心理学は脳科学や生物学など様々な科学的分野とも結びついていますので、意外に深いところまで行動原理を探ることが出来るようにはなってきています。
では脳科学はどうかというと、確かに医学的な明確な実証及び生物学的な進化のプロセスなどからの合理的説明は明確で素晴らしいのですが、その人体観、人間観は単体的・物質的・部分的なものに止まっていますね。
そこに「複雑系、複合的な関係性の中で生きる社会的生き物としての視点」、「人文的な視点」そして「宇宙物理学的な生命・存在のマクロな視点」などを加えると、
「生命」「人間」というものの不思議さ・複雑さがさらに深まってきます。
たとえば人間が物質によって作られた生命表現に過ぎないのであれば、それ以前に、その元となる物質はどのように誕生したのか?そしてその物質を作りだした宇宙はどのように誕生したのか?「存在とは何か?」「生命とは何か?」に行きつくわけです。
「生命とは何か?」にしてもそれを突き詰めていくとよくわからないものなのです。
もちろん「根源」に向かえば向かうほど、生物学的な進化を分析する時のような科学的な実証のプロセスだけでは実証不可能な部分が出てきます。
ですが、東洋的なアプローチではそのような生命、人間の「力の源」にアプローチする独自の感性と伝統的技術があり、生命や人間の多面構造への知覚の方法を持っているわけですね。
精神医学、脳科学、心理学のアプローチは、現実の問題や社会的領域では役立つ部分は多いですが、もっと長期的な視点や、社会の外部における存在と生の領域が抜け落ちていると感じるわけですね。
よってこのブログでは、そういうアプローチも含めて今後ゆっくりと書いていく予定ですので、長い目でこのブログと付き合って頂ければ幸いです。
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