今日は「発達心理学」という角度から、人格障害がどのようにして起こるのかをみてみましょう。
親の意識的・無意識的な働きかけのうち、子供に根深い影響を与えるのは「無意識的な負の作用」です。
そしてこの「無意識的なもの」は本質にかかわる部分であり、それを指摘したりつき見つめることは親にとってもきついことで難しいことなので、
子供側はよく理解できていて親側・大人側にそれを訴えても、なかなか正面から受け止めてはもらえず目を背けたり逆切れされたり過度な反応をされやすいんですね。
生まれながらに人格異常という、先天的な機能疾患や遺伝性の心・精神の病の人は少ないでしょう。そしてそのような場合は、ここで書くこととは別の医学的アプローチが必要でしょう。
今日書くのは「後天的な否定的影響」の結果、顕著な性格の問題を形成してしまった人格障害のケースです。
これはそういう家庭ならみながそうなるということではなく、バランスが崩れた時、あるいは偏った時、通常の家庭よりも「陰影」が深く大きくなりやすいということです。
よくカエルの子はカエルとか、親の顔がみたいとか、子は親に似るとか言いますが、常に「子の状態≒親の状態」が成り立つのではなく、そういう場合もあるがそうでない場合もあるわけです。
例えば成育環境が温室環境で過保護・過干渉である場合、それは子供にとって生き物として欠損とも言える「錯覚」が生じてしまうことがあるんですね。
『そういう親がいて当たり前、思い通りになって当たり前、気持ちよく快適で当たり前、そうでないのはおかしいのだ』という、与える存在や完全防備の保護環境が当たり前という錯覚です。
ですが「不自然過ぎる環境設定」では「変容性内在化」が生じず、ナルシシズム的な自己・誇大自己が温存されやすくなります。なので、「親の人格自体が」というよりも、「子への関わり方・環境設定が問題」と言った方がよいでしょう。
とはいえ、関わり方に問題がある背景に、親の理解力の欠如やエゴや人格の要素が絡んでいる場合も確かにありますが、どんな親であれ、子供を完全に全て理解できる親などいません。何が絶対に正しい完璧な教育・人生なのかを知っている人などいません。
もしそういう人がいたら相当に思い込みの激しい人か、ウソつきなのでしょう。私たちに明確にわかることは、何が大きく間違っているのか、大きく脱線しているか、有害なのかということと、
ある状態・状況においてどのような働きかけが有効で、どのような良い作用があるのか、ということを知る、という程度のものなのです。
例えば虐待や過保護が健全な教育ではないことは明確な事実であり、共感的態度や信頼関係が良い作用になる、ということも明確な作用なんですね。関連記事を二つ紹介します。
ですが実際には、原則以外の部分ではみな手探りで、不安と希望を行ったり来たりしがら育て見守るしかない、公式通りにはいかないのが、教育の現実、いや人生そのものでしょう。
「遺伝的な負の要因」+「環境の作用」
先天的な機能異常はなくても、遺伝的な性格傾向という条件付けを、私たちは「何なりもって生まれてくる」こともありますが、それが決定的な否定的影響をもたらす場合もあれば、そうではない場合もあります。
「人格」は先天的な「気質」のみで構成されるものではなく、それをベースに「後天的な教育・条件づけや経験」などによって個人と環境の内外の相互作用によって形成されていきます。
今回は「親の働きかけ」をメインのテーマにしていますので、社会要因や個人の気質の問題には触れませんが、それは他の記事で書いているのでそちらを参考にどうぞ。
補足として、遺伝的な要素・個の気質の差異について書いた記事を以下に紹介しておきますね。
「遺伝的な負の要因」+「環境の作用」、この二つが合わさることが心・精神の深刻なバランス異常を現実化することは、科学的にも解明されつつあります。以下はその参考PDFです。
参考PDF ⇒ 思春期のストレスは神経エピジェネティクス機構の障害を引き起こし、成体の行動パターン・神経系を障害する
もうひとつ、自我が確立・統合される過程での危機を発達心理で考察した補足記事を追加で紹介しておきますね。➡ アイデンティティと発達理論 バランスと危機と多元性
そして両親・家庭の機能不全度が高くなるにつれて「先天的なもの」に加えて、子供の心に否定的な負の影響による「後天的な不調和な記憶体(スキーマを作る力学の比喩的表現)」が、心・精神の原型として出来てしまうのです。
それが、子供の態度やその後のパーソナリティの質となって表出してくるのです。人格障害とまではいかなくても、その前兆としての心・精神のバランス異常化に「アダルトチルドレン」という概念があります。
今回は「もう少しキツイ機能不全家族」も含んだものがテーマですが、アダルトチルドレンも「機能不全家族の作り出す子供の心・精神のバランス異常」であることは同じです。
アダルトチルドレンの参考記事 ➡ 子供の無意識の成長 「不幸にする親」が無垢な愛情を歪ませる過程
よく知られたアメリカの⼼理学者サイモンズによる「サイモンズ式分類」では、親の養育態度と子供の性格形成の関係性を四つパターンに分類しています。
それが、「残忍型」「無視型」「かまい過ぎ型」「甘やかし型」です。実際には「親だけ」が性格形成を決めるのではなく、子供の側の遺伝・先天的な要素や、親以外の環境要因など複合的な力学もあるでしょうが、
「サイモンズ式分類」はとてもわかりやすく「後天的な親子の不調和がもたらす基本性格への影響」を説明しています。
そして「残忍型」には、身体的虐待、性的虐待、ネグレクト、心理的虐待も含まれている場合もあります。無視型は、「必要な愛情を与えない」ことで、逆に「過剰な甘えと依存」を子供の心に生起させます。
子供は必要な時期に、シッカリと甘えさせてもらった子供の方が自立しやすいのです。(ずっと甘やかすという意味ではなく)
そして甘えが必要な時期に全く無視された子供は、一見そのほうが甘えをあきらめてシッカリ自立しそうですが、むしろ愛情の飢餓感の記憶が深いレベルに残ってしまうこともあるのですね。
「かまい過ぎ型 ・甘やかし型」は、冷たい「残忍型 ・ 無視型」よりは一見マシに思えますが、そのレベルによってはむしろ前者のほうが酷くなるケースもあります。
まぁ一言でいえば、「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。
私は「自我」にせよ「人格」にせよ、それ自体で存在する静的な実体とはとらえていません。相互作用で形成される運動性、その動的な状態の部分の傾向性を相対的な基準で定義したもの、という捉え方です。
「人格障害(パーソナリティ障害)」というものは、かなり強い否定性を持つ言葉ですので、誰も彼もが機能不全家族だったら人格障害になる、という単純なことをここで言いたいのではなく、
遺伝・機能不全の強弱の度合、その環境の影響を受けた期間、それらは人それぞれで多元的であり、そして家庭以外のその他の影響なども多元的です。
また逆境がプラスに働いて能力が伸びたり、心・精神がより強く豊かになることもあり、絶対に機能不全家族だから駄目とか、絶対に人格障害だから駄目ということはありません。
そういう経験を経て、心・精神への理解力が深まったり、さらに心が広がり可能性が高まることは実際にあるのです。
病気とか何らかの異常性が全て否定的な意味合いしかないか?といえばそうではないように、病気によって何かを理解したりを学んだり発見したり、それを生きる力や能力に変えたり、というようなことは実際あるのです。
そういう重要なポイントを押さえた上で、このブログの記事を参考にしてもらえればと思います。
パーソナリティ障害のタイプ
機能不全状態というのは家族だけに限りません、所属するコミュニティ、学校や職場や地域・社会などミクロからマクロなものまでを含み、これらの複合的な負の力学が個の人格形成に作用しています。
人格(パーソナリティ)障害のタイプの説明は以下リンクよりどうぞ。
● 自己愛性パーソナリティ障害 ● 反社会性パーソナリティ障害
● スキゾイドパーソナリティ障害 ● 回避性パーソナリティ障害
以下のリンク先の記事も参考にどうぞ。
◆ 境界性パーソナリティ障害(ボーダー)とアダルトチルドレン
◆「社交的 内向的」・「美徳 健全」の文化的相違– 人格障害という言葉への疑問 part2
「繊細チンピラ」「クレーマー」に関しては、人格障害というほどのものでない場合がおそらく殆どでしょう。
◆ SNSで他人の発言を勝手に自慢だと受け取ってブチ切れる“繊細チンピラ”が増加 ⇒ http://girlschannel.net/topics/46144/
まぁ「繊細チンピラ」という造語は、「ネトウヨ」と同じ次元のネットスラングで、否定的ラベリングの一種なので、
「ネトウヨ」と同様に基本的にはあまり好きな言葉ではないですが、ネットでネタ的な動機で造られたものであっても、「繊細チンピラと揶揄させるある種の特徴」が、慢性化し人格化・行動化ている人がいるとするなら、
それは繊細チンピラと表現するよりも、「受動攻撃性パーソナリティ障害(PAPD)」の可能性も考えられます。参考 ⇒ 受動的攻撃行動
まぁパーソナリティ障害とか何とか障害とか、そういう固い専門用語を使って特殊におおげさな感じにせずとも、「ルサンチマン」の屈折型の一種、というくらいの捉え方であれば、よくある現象・状態ともいえるでしょう。
これは「ストーカーとラベリングされている人たち」にだって、実際のところ強弱のレベルは人によってかなりバラツキがあると思いますね。
ストーカーの中にはガチで危険度の高いヤバい人もいるだろうし、ほんのちょっと人よりも執着気質なだけとか、情熱の空回りや不器用さなどから生じた表現などもいっしょくたにされているケースも多々あるでしょう。重度の場合は、自己愛性・境界性・妄想性・反社会性のパーソナリティ障害などが考えられます。
「加害的対象」を「見る側」の方にも捉え方にそれぞれのバラつきがあるので、「見られる側」と「見る側」の双方の観念や感性の組み合わせによっても評価は揺らぐわけで、つまりこういうものはそもそもが相対評価であるわけです。
さらに「相対評価」の条件も多元的です。ある行動を「点」「単一の要素」だけで捉えるのか「線」「立体」で「複合的な要素」で捉えるのか、あるいは短いスパンで見るのか長いスパンで見るのかの時間軸の差異によっても見え方は変ります。
「クレーマー」に関しても(多くはストレスのたまった普通の人)でもその中には「一部」、人格障害レベルの人も混じっている可能性はあるでしょうが、
基本的に私は、それよりももっと弱い意味での「性格やストレス、感情のバランスの問題」というくらいの感じで扱っています。
「メンヘラ」もネットでは随分と酷く侮蔑的に書かれていますが、幅広い意味での「心・精神の病の人」のことをさす言葉で、いろいろな心・精神の病を含んでいるので一言でこうだとは言えませんが、特徴的だと感じるものは「強い依存性」です。
おわりに、過剰なクレーマーとして近年話題になった モンスターペアレントの赤裸々な実態を特集した記事を紹介しておきますね。➡ http://www.j-cast.com/2008/04/12018756.html?p=all
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