心を楽にする言葉 と 清涼な歌声・音・日の光と風景

 

今日は私が好きな禅の言葉「日々是好日」、「行雲流水」、「本来無一物」、「善をも思わず悪をも思わず」、 「両忘」の五つを紹介します。 記事の終わりでは清涼な歌声・音・日の光と風景の動画を紹介。

 

日々是好日とは、「毎日が良い日である」という意味ですが、これは単に楽観的な態度を示すのではなく、どんな状況や感情にも動じず、そのままに受け入れて生きることを示します。

これは、禅の修行者が目指す「無心」や「悟り」の境地に近いものです。無心とは、自分の思考や感情や欲望にとらわれず、その時その場にあるものに集中することです。

悟りとは、自分や他者や物事の本質や真理を見抜くことです。日々是好日という言葉は、禅宗の開祖である達磨大師が中国の皇帝に問われた際に答えた言葉です。

行雲流水とは、「行く雲と流れる水のように」という意味ですが、これは単に自然に従って生きることを示すのではなく、自然の法則に従って自由に変化し、柔軟に適応することを示します。

これは、禅の修行者が目指す「自在」や「無碍」の境地に近いものです。自在とは、自分の心や身体を固定化せず、環境や条件に応じて臨機応変に対処することです。

無碍とは、自分や他者や物事に対する概念や判断や価値観を捨てて、そのままの真実を見ることです。行雲流水という言葉は、中国の詩人である李白が詠んだ詩から取られた言葉です。

本来無一物とは、「本来何もない」という意味ですが、これは単に虚無的な態度を示すのではなく、すべての現象や存在は空であり、本質的には何も持っていないことを示します。

これは、禅の修行者が目指す「空」や「不二」の境地に近いものです。空とは、すべてのものが相互依存して生じており、固定された実体や性質を持たないことです。

不二とは、すべてのものが一つであり、二つではないことです。本来無一物という言葉は、禅宗の祖師である黄檗希運が書いた偈から取られた言葉です。

善をも思わず悪をも思わずとは、「善悪の区別をしない」という意味ですが、これは単に道徳的な判断を放棄するのではなく、自分の心にある善悪の概念や価値観にとらわれないことを示します。

これは、禅の修行者が目指す「無心」や「不思議」の境地に近いものです。無心とは、自分の思考や感情や欲望にとらわれず、その時その場にあるものに集中することです。

不思議とは、自分や他者や物事の本質や真理を言葉や理屈ではなく、直接に体験することです。善をも思わず悪をも思わずという言葉は、禅宗の祖師である六祖慧能が書いた「壇経」から取られた言葉です。

両忘とは、「両方とも忘れる」という意味ですが、これは単に記憶力が低下するのではなく、自分の心にある主観的な判断や執着を捨てることを示します。これは、禅の修行者が目指す「空」や「不二」の境地に近いものです。

 

釈迦牟尼は「一切皆苦」を説き、この世は一切みな苦であると語り、人の世の苦しみの本質を見つめました。しかし同時にこのようにも語ったんですね。

ico05-005  世界は美しい、  人間のいのちは甘美なものだ

光にも闇にも囚われず、そこにあるありのままの存在を感じるならば、善とか悪とかを超えた生の美がただ輝いているのを感じられるのでしょう。

 

歌声・音・日の光と風景

清涼な歌声・音・日の光と風景の動画を3つ紹介。

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