存在論的に不安定な人間は、自己を充足させるよりも保持することに精いっぱいなのである。日常的な生活環境さえが、彼の安定度の低い閾値をおびやかすのである。(R.D.レイン)
自意識的な人間は、実際彼がある以上に、自分は他人の関心の対象だと感じている。(R.D.レイン)
今日は、だいぶ前に下書き状態のまま放置していた記事をスキマ時間で一気に更新です。
今回は「とても繊細な気質」を表す「HSP」に関するテーマで記事を書いていますが、遺伝的・脳科学的に考察した「気質と性格タイプ」と「環境」の影響、
そして「ポジティブやネガティブ」、「レジリエンス」に関連する内容も書いています。記事後半では、スピ系読者層向けの記事として「エンパス」についても少し書いています。
最近、張本勲氏がイチローの性格について、
「繊細で、神経質な人。WBCの時に打てなくて胃を痛めた。世界的な選手というのは、繊細でどちらかというと臆病な人が多い。」と語りましたが、これはとても的を得た観察力だなぁと思います。
「内向性、繊細さ」そして「臆病さ」というものは、それ自体は決してマイナスなものではありません。これはポジティブやネガティブも同様です。
⇒ 「楽天家リーダー」がチームを壊す 「究極の小心者」こそが人を動かせる理由
「内向・外向」に関しては過去にこのテーマを扱った記事があるので参考にどうぞ。
過去記事 ⇒「社交的 内向的」・「美徳 健全」の文化的相違
2018/2 追加更新 で外部サイト記事を以下にひとつ紹介です。とてもやさしくわかりやすく外向と内向の質の差を説明しています。HSPとも関連する内容なのでここで紹介することにしました。
友だちと話すのが疲れる「内向型人間」とは? 解説したマンガが話題に https://t.co/ZFcDHds4ls pic.twitter.com/5IVWcI4Py2
— BuzzFeed Japan (@BuzzFeedJapan) 2018年2月24日
遺伝とHSP
内向型=HSPではないですが、両方を含む場合もあるでしょう。しかし例えば、虐待とかACとかHSPとかいっても、それだけで「虐待はみんなこうだ!」「ACはHSPはみんなこうだ!」などひとくくりにはできないんですね。
そういうのは全体としてのヒトの姿の1部分であり1要素に過ぎず、ある角度から見た性格や気質の一部を表現したものに過ぎないので、全体としてのヒトの姿は本当に人それぞれです。
HSPの数だけ個性があり、ACの数だけ個性があります。「私はHSP」とか「HSPの人」などとカテゴライズして表現しますが、実際そんなに人間の全体性というものは狭く小さくもありません。
HSPとは、”Highly Sensitive Person “の略で「高い感受性を持つ人」という意味です。HSSとは“High Sensation Seeking “の略で「刺激を求める人」という意味ですが、
例えばその特徴が、発達障害(ASD)と被っているところがあるといわれ、(実際に一部混在していることもあるでしょうが)
しかしHSPの概念は医学的な正式なものではなく、この概念が使われる範囲は広く、アバウトで、ASDに限定されるものではないですね。心理学者の飯村 周平氏によれば、HSPを学術的に解釈するなら「環境感受性が非常に高い人たち」、とのことで、それ自体は生きづらさを表すラベルではない、ということです。
しかし、「ある特徴や特定の要素が似ている」といっても、その程度や質には幅があったりします。たとえば「易刺激性」や「感覚過敏」という言葉もそうですが、
「感受性が強い」という表現、その内容は多元的で、「易刺激性」=「些細なことですぐに不機嫌になる性質」とは少し異なり、もっと幅があります。
同じく、「感覚過敏」と形容される状態にも一様々な質・幅があり、それは全く一律な反応や捉え方の状態を表すものではなく、「HSPにおける感覚過敏さ」は発達障害における感覚過敏と一見似てはいるけれ違う部分もあり、特定の概念でひとまとめにはできないグレーゾーンを含んでいる、と思いますね。
最近のレビューによれば、自閉スペクトラム症(ASD)や心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの感覚過敏症状と環境感受性の脳領域の賦活化は、一部に共通点もあるものの、基本的には弁別されうるものだと指摘されています。例えば、環境感受性が高い人では、扁桃体(感情)、海馬(記憶)、島皮質(共感)などが賦活化する傾向がみられるのに対して、ASD者では不活性の傾向がみられるようです(Acevedo et al., 2018)。
ふーん、アブストすらまともに読めなかったけど、易刺激性ってのはうつ病ともADHDともOCDとも全般不安症とも独立して、一部の灰白質の容量減少と相関してるのか。
つまり、疾患非特異的とか横断的かもしれない?……病名と関係なく、易刺激性にはmajorやVPA、みたいな処方には妥当性があるのかもな? https://t.co/4XQmuE2Tqs— いえろき🦊 (@sunya_koryakuho) September 1, 2020
専門家によるHSP概念のバッシングや嘲笑を最近とみに見かけるが、これは当事者研究などの興隆に対するバックラッシュ=専門家よる権威復権の動きなのかもしれない。悩む当事者を叩くことは誰もしないが、心理的な特徴を捉える概念は専門家の文脈(エビデンスなど)で容赦なく批判される。
— 堀川聡司 (@satocerac) October 16, 2020
そもそも人間は「健常者でなければ全て障碍者なのでしょうか?」、実際は、明確に二種類の状態に振り分けられないグレーゾーンも広い、それが人間でしょう。
何でもかんでも医学的な区分けで「病気か健康か、正気か異常か、健常か障害か」で人間を二種類の状態のどちらかに分類しなきゃ気が済まない、というのも偏っていますね。
「HSPは人(私)の極一部」でしかなく「人(私)」というものはもっと様々な要素・記憶・経験の複合体です。これは「AC」もそうですが、この概念に捕われてそれをアイデンティティにして同化するのではなく、もっと大雑把で気軽なものと考える程度の「民間的な癒し」という感覚で良いでしょう。
ではここからHSPの要素である「多元的な繊細さ」に対しての幾つかの考察に入ります。あくまで仮説ですので悪しからず。 そして以下の「4つのタイプ」にカテゴリー分けしている人もいます。
➀ HSP ➁ HSS ➂ 非HSPで非HSS ➃ HSP&HSS
ではここから、ビッグ5による「遺伝と気質」でこの4つのタイプを見てみましょう。 「ビッグ5」に関する詳細は、過去記事も参考にどうぞ。⇒ 遺伝と環境で見る気質・性格・パーソナリティ
N:神経症傾向 E:外向性 O:開放性 A:協調性(調和性)C:統制性(誠実性)
「N/E/O/A/C」のそれぞれの要素が「高い=⇧ 低い= ⇩ 」
Nが 高い⇧ = 神経症傾向高 Nが 低い⇩ =神経症傾向低
Eが 高い⇧ = 外向性 Eが 低い⇩ = 内向性
Oが 高い⇧ = 独創性 Oが 低い⇩ = 平凡
Aが 高い⇧ = 協調性 Aが 低い⇩ =分離性
Cが 高い⇧ = 統制性 Cが 低い⇩ =衝動性
これをHSP・HSSの4タイプにざっくり当てはめた場合、
➀ HSP = N⇧ E⇩ O⇧ A⇧ C⇧
➁ HSS = N⇩ E⇧ O⇧ A⇩ C⇩
➂ 非HSPで 非HSS = N・E・O・A は高くも低くもない
➃ HSPでHSS = N⇧ E⇧⇩ O⇧⇩ A⇧⇩ C⇩(E・
O・Aは人によってばらつきがある)
セロトニン運搬遺伝子とHSP・HSS
「セロトニン運搬遺伝子」は「気分の浮き沈み」のコントロールに関連すると言われ 長いタイプ「L」、短いタイプ「S」があり、ヒトは2本遺伝子を持つため、SS型(遺伝子発現量が低くセロトニン再吸収が遅い)、LL型(遺伝子発現量が高くセロトニン再吸収が早い)、SL型(SSとLLの中間)の3種類に分かれる。
ですがこれが気質の全てを決定する、というほどの明確なエビデンスはなく、気質の部分的な要素ではあっても全体ではない、ということですね。これに関しては過去記事でも別角度で書いているので参考に。
例えば、脳科学者の澤口 俊之 氏の著書「モテたい脳、モテない脳」の中で氏は以下のように語っています。
日本人の遺伝子には、心配性遺伝子があるんですよ。不安遺伝子ともいわれてますね。心配性で、不安で、いろいろ思い煩う。
日本人の国民の九八パーセントが、そういう遺伝子を持っています。厳密にいえば、遺伝子というより遺伝子の組み合わせ、「遺伝子型」ですが。
「モテたい脳、モテない脳」より引用。
とのことですが、このブログでは心・精神を脳科学や心理学だけなく多角的に考察していますが、「人間」にしても「気質・性格」にしても、遺伝子や個体だけでなく、外部からの作用としての親・家庭環境・社会・他者、そして基層文化、ミームなどが多元的に作用している、と考えているので、
単一の要素・概念のみで人間・心・精神という複雑系の全体を説明はできない、という見方をしているためです。決定論的な見方はしていません。「遺伝子」も環境からの作用・影響を受けて変化するエピジェネティクスに関する過去記事も一つ紹介しておきますね。
〇先天的?後天的? エピジェネティクスと心・精神の病(自閉症・発達障害・他)
これらを踏まえたうえで話を戻しますが、「セロトニン運搬遺伝子」の仮説をHSP・HSSとの気質との関連性で考察してみた場合、
SS型≒ HSP、LL型≒ HSS、SL型≒ どちらでもない、そしてLタイプはさらに二つのタイプLa(セロトニン運搬力が高い)、Lg(セロトニン運搬力が低くてS型に似ている)があり、「Lg」≒ HSP&HSS 、ともいえますね。
SS型の人はリスクを冒す率が低く、SS型とSL型はストレスに対して脆弱で逆境に弱く環境に影響を受けやすいタイプの遺伝子とも考えられ、逆に相性の良いポジティブな環境に置かれればよく適応し、そこから多くのプラス要素を吸収でき豊かになる可能性も高い、ともいえますが、
過去記事や他の考察からの記事でも書いているように、私はこれが全体を決定しているとは考えず、影響を与える可能性のあるひとつの因子、という程度で考えています。
共感性とHSPの認知科学的考察
では次に、「共感性」という要素から、HSPを認知科学的に見てみましょう。共感性の多元性については以下の過去記事を参考にどうぞ。⇒ 共感の多元性と東西の自我の質的違い
図の引用及び参考 → https://www.iwanami.co.jp/.PDFS/01/0/0113720.pdf
HSP傾向が強い人ほど「情動的共感」が繊細で感度が高いと考えられるため、意識的だけでなく、無意識的な「感情移入」が生じやすく、心身に変化の波が生じやすいためにエネルギーを消耗しやすい。結果、「人疲れ」しやすい傾向性になりますね。
そして「バウンダリーが弱い場合」は「同期」が生じやすくなるので、相手の心・精神状態次第ではさらに不安定化します。そして、「HSS」には共感性がないというわけではなく、「行動的共感・主観的共感」を共に含んだ「認知的共感」は高い人が結構いると観察されます。
ただ、「情動的共感」は低い場合、HSP系の繊細な心身の変化には気づきにくく、非常に繊細なHSPから見ると、HSS系は「鈍感」「雑」あるいは「無神経で攻撃的」に見えることもあります。
ですが「共感の多元性」や「心身の状態の多元性」が、「知的な理解」ではなくて「内的に状態として感性的に理解」することができるようになると、
別の視点から見れば、HSPも「鈍感」で、そして外的には「他者に気ばかり使ってソフト」でも、内的には「エゴが強く攻撃的」で「思い込みが激しく視野が狭い」というような場合もあります。もちろんそうでない根っから優しい人もいます。つまり人それぞれですね(^-^)
では、HSP・HSP的な気質それ自体は病気でもなんでもありませんが、それぞれの傾向性を持つ人が、「心・精神のバランス異常になった場合の傾向性」を、ビッグ5の「パーソナリティ障害群の代替DSM-5モデル」で考察してみてみましょう。
N ⇧ = 否定的感情 ⇩ =情動安定性
E ⇧ = 外向 ⇩ =離脱
O ⇧ = 精神病性 ⇩ =透明性
A ⇧ = 同調性 ⇩ =対立
C ⇧ = 誠実性 ⇩ =脱抑制
以下、ビッグ5の概念をHSP・HSSに当てはめてみた場合。
➀ HSPで心・精神のバランス異常 N⇧ E⇩ O⇧ A⇧ C⇧
例:否定的感情が高く「離脱」へ向かいやすく、「同化」が強くなるために、「誠実性」が「歪んだ対象(観念・人物など)」への一体化願望へと向かった場合、「束縛」が強化され、共依存に陥ったり、強者による理不尽な搾取・支配から抜け出せなくなる傾向性。
➁ HSSで心・精神のバランス異常 N⇩ E⇧ O⇧ A⇩ C⇩
例:情動安定性は高いが、「外向性」「対立」が強く「脱抑制」が高いために、心・精神のバランス異常の場合は対人トラブルや衝動的な外的逸脱に向かいやすい傾向性。
ネガティブとポジティブの脳科学
「ネガティブな心の動き」の脳の回路を「レイニーブレイン(悲観脳)」と呼び、「ポジティブな心の動き」の脳の回路を「サニーブレイン(楽観脳)」とも言います。
また楽観的 ≒ 左脳の活動性が高い、悲観的 ≒ 右脳の活動性が高い、という考察もありますが、サニーブレイン(側坐核と前頭前野からなるユニットで構成)はドーパミン(欲求と反復の作用)とオピオイド(快感作用)の組み合わせで、例えば「抑うつの状態」では、側坐核が活性化はしてもスグに落ちてしまう、という現象が確認されていますね。
図の引用及び参考 ⇒ ビッグ5を臨床で使おう:総合科学としての性格5因子パラダイム
レイニーブレインは、「偏桃体を中心に、大脳皮質にある前頭前野がそれを抑制する」という相互作用で構成されていると考えられていますが、「偏桃体 ⇒ 大脳皮質」の経路の数は、逆方向の抑制の経路よりもずっと多いために、偏桃体の恐怖・不安反応へのブレーキが効きにくい構造性があると考えられ、
とはいえこれは「危険を察知し、生き残る」という生き物の基本的な本能も関連するために、なくすことは出来ないし、なくさなければならない、というようなものではありませんが、
レイニーブレインが過剰に活性化された場合、悲観的な思考パターンに囚われ、それがループ化すると、例えば「不安障害」などにも関連する要素となる、ということです。
HSP+AC
海馬(学習や記憶に関連)はグルココルチコイド受容体(ストレス反応に関連)が大量にあり、少ない場合はストレス反応が増大する傾向性。
例えば母親の愛情の希薄さ、母親が精神不安、などという「後天的な負の生育環境」に赤ちゃんが晒されるとき、この遺伝子のプロモーターはメチル化し、その結果「ストレス耐性の脆弱な子供」になる可能性を高める、ということですね。
このように、先天的なものが全てを決めているのではなく、「環境・周囲の接し方」などの心理的力学が、遺伝子のエピジェネティックな変化を介して、楽観性や悲観性の潜在的な形成力にも影響を与えていると考えられるのです。
そして、無意識の認知バイアスのひとつが生じ、それぞれの眼差しの角度や質の基準の一つともなり、本来は「どちらにも受け止められるような立体的な現象・対象」を過度に否定的に解釈したり、逆に本来は否定すべき避けるべき現象・対象を、良いと勘違いしたりするバイアス強化の可能性を高めるわけです。
そしてバイアスは可塑的で変えられるものです。認知心理学者や臨床心理学者が「認知バイアスの修正」と呼ばれるコンピューターを使った簡単なプログラムを開発していますので、紹介しておきますね。
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レジリエンス
先天的な遺伝・気質の1要素だけで人格や心・精神は構成されているわはありません。そして後天的にエピジェネティクスな変化によっても適応能力を高めることは十分に可能で、そして大人は様々な多元的なアイデンティティを内在化しながら外界に適応していくものです。
レジリエンス(精神的回復力・抵抗力・復元力・耐久力)は,個人的要因と 環境要因の相互作用によって個人の成長とともに高められる総合的な心・精神の力であるので、
レジリエンスの閾値を高めれば、先天的にはストレス脆弱性の気質であってもストレス耐性は高くなります。理論だけで話しているのではなくて、私自身が「人体実験の人生」で体感してきたことなんですね。
そしてやはり「個人」のみでは限界があって、環境との相互作用によってレジリエンスの力は高まるので、「自分にはない要素」を持つ多くの人々と出逢いも大事です。そこで新たな「プラス要素、あるいは補完的な要素」を追加していくことで、人の心・精神は変化していくんですね。
図の引用及び参考⇒ [PDF]生得性・後天性の観点からみたレジリエンスの展望
◇ 関連外部サイト・PDFの紹介
・ レジリアンスについて(その4 レジリアンスに関連する神経回路)
シャーマン・エンパス
ここから先は感性的なものがメインの記事で、医学的・科学的アプローチでのグレーゾーンの包摂ではなく、「文化的なアプローチでの包摂」の意味合いで書いていますので、スピ系読者層向け(芸術系を含む)の非科学的な感性的な内容になっていますが、
身体や物質のみを見るならともかく、「客観」というものだけで「心・精神それそのもの」は捉えられません。そもそも「客観」も「主観」も「意識」なくしては存在しません。そして「私」というものは「主観」と切り離せず、「自己」という物質的な客体は存在しません。
「自己」は形而下ではなく「主観」が捉える形而上的存在だからです。なので外部からの客観的な観測で集団(多くの人)に生じる平均的な傾向性を統計的に分析しても、それをそのまま「個人の特性・様々な私・様々な自己」に全てあてはめることは出来ないわけで、
「一般的・普通」の観察範囲だけで個人を何でも説明してしまおうとするのは、過度な単純化に繋がるわけですね。「平均的なものから大きく外れる特殊性を持つ個人」もいます。
「客観性」は後天的に意識的に学習したり教育することによって、ある程度の均一さで認知的に共有したり一元化することが可能ですが、「主観」は無意識的な感性領域が土台であり、何をどの程度感受するか、どのような質の感性がどれくらい強く深く働くかは個人差があるため、「主観」というものは本質的に多元的で不均一であるわけです。
HSPに多いといわれる「内向直感型+感情的共感」の中でさらに「エンパス 」が合わさったタイプが「シャーマン系」で、エンパスは共感・直感をベースに感応する能力。(※ 直感的・感情的判断は内側前頭回の機能)
「内向直感型+認知的共感」の場合、 エンパスは生じにくく 思想・哲学系・学問系などに向かいやすい。(※ 認知的制御機能は背外側前頭前野(DMPFC)の機能)
◇ 意識の「境界」の多層性とエンパスの種類
「エンパス」には結界が効かない、というような表現を耳にしますが、それは『 結界は「境界」を意識化するシンボルであり「文化的(ミーム)条件付け作用」 』の一種であって、
「境界」には ➀ 「意識(自我領域)」と「個人的無意識(自我の基層領域)」 ➁ 「個人的無意識と集合的無意識の境界」があり、
集合的無意識レベルの境界には、 ➂「ヒトの集合的無意識」と「他生命の集合的無意識」の境界 ➃「生命の集合的無意識」と「物質を含む存在の無意識」の境界 ➄「存在の無意識」と「表現不能な何か」の境界 があり、「表現不能な何か」には全ての境界性が存在しない。
エンパスの中の「身体直感型」「身体ワンネス型」「メディカル・エンパシー」「感情直感型」「感情ワンネス型」「知的変容型」は、➀の境界性が弱い、あるいはほとんどない場合もあり、
「霊的一体型」は➁の境界性が弱い、あるいはほとんどない場合もあり。幽霊を見るタイプは➀か➁のタイプで、➁の場合は「個人的記憶と整合性がない外部的存在」として見える。
エンパスの中の「動物エンパシー」「ガーデニング・エンパシー」は➂の境界性が弱い、あるいはほとんどない場合もあり。「クリスタル・エンパシー」「エレメンタルエンパシー」「環境エンパシー」は➃の境界性が弱い、あるいはほとんどない場合もあり。
特定の象徴型・シンボルとの同期作用によって意識内に「ウチとソト」の感覚を強化することで「ソト化」された特定対象を意識外に排出するものであり、
これは内集団・外集団バイアスの強化と同質で、防衛機制の創造的な使い方です。現代の防衛機制の概念は要素だけを抜き出し明確に分類しているのでわかりやすいですが、昔の人は防衛機制をもっと象徴的な文化的なやり方で抽象的な手法で工夫して使っていたんですね。
「ソト化」は「自分」の圏外へ排斥しているだけで、実際は個の存在の無意識に抑圧的に内在化しているので、境界を取り払うと再び遭遇する。
そのため特定のシンボルとの同期作用を起こすという無意識的な心理効果は、それに同期する内側(無意識)の「基層的な条件付け」が先に必要で、にもかかわらず「エンパス」はそもそも自他の境界が弱く、無意識領域への自我同一性拡散が生じやすいだけでなく、
「認知的脱抑制」の傾向性のため、様々な多元的情報がフィルタリングを受けずに意識に上がってきやすく、内側の基層的な条件づけさえ外してしまう、なので外側からの条件づけは当然殆ど作用しない、というわけですね。
通常の場合、文化的な象徴型・シンボルによる条件づけは、意識の深い部分に無意識的に同化一体化しており作用しています。ですが「エンパス」は結界が効かないどころか、「結界という象徴の世界そのもの」にさえ入っていきます。
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