心理学的な定義、精神医学的な定義、社会学的な定義、というものは本当に様々な概念があり、それは「同じ意味のことを別の言葉で言っている場合」もあれば、「同じ対象・現象の分析・捉え方の切り口、角度が異なる場合」もあります。
こういうブログを書いていると概念や専門用語は増えてきますし、多角的見ていけばいくほど、何がどう繋がっているのかゴチャゴチャしやすいので、たまに概念のまとめ整理も兼ねて記事を書いています。
今日はそれも含めて「人格形成の立体性」と「HSP・OE・ ギフテッド」、そして「気づきの多重性」をテーマに書きました。
HSPというのは、アメリカの心理学者エレイン・N.アーロン博士が提唱したHighly Sensitive Person の略で、平たく言えば「とてもセンシティブな人」= 「感受性が強く敏感な人」の意味で、HSPというのは病気でも障害でもなく、専門的な精神医学的概念ではありません。
まぁ楽観的なラテン系や欧米人には「繊細すぎて生きづらい」という人は少ないのでしょうが、日本人にとっては結構多くの人がおなじみの感覚でしょう。生物の15~20%がHSPだという生物学者もいます。
そして精神医学であれ心理学であれ、「ヒトの心・精神の状態」に対する定義・概念の切り口は本当に多いわけで、一つにこだわるのではなく、これらの多角的な視野を含めて考察していくともっと立体的に見えてくることもあるでしょう。
ですが、細かく見れば色々枝分かれしていますが、意外に根っこはシンプルで繋がっているので、あまり枝葉に囚われると今度は全体を見失いますので、これもやっぱりバランスでしょうね。
人格・性格・精神というものは、「どれかひとつだけの純粋要素だけで構成されてる」っていうことは、成長し大人になっていくほど少ないでしょう。そして心・精神は変化し続ける動的な運動体です。
ヒトの人格は、「先天的な気質+キャラクター(基本の性格特徴)+社会的性格+役割性格」で構成される、という定義で今回は考察していますが、この詳しいことは過去記事で書いていますので参考にどうぞ。⇒ 「性格・人格」の形成と問題と「社会」の関係 社会学でみる社会と人格
私は、人格にせよ自我にせよ「それ自体で存在する静的な固定的実体」とは捉えず、「複数の因によって条件づけられたある種のループ、慢性化したパターン等、その傾向性を、社会の基準でカテゴライズしたもの」、という相対的なとらえ方です。
先天的な気質+キャラクター(基本の性格特徴)が「初期性格」であり、これがその人の「自然自我」の形・タイプですね。愛着障害・ACや、エリクソンの発達課題の失敗による自我形成不全などに関するものは、この部分の発達過程の力学が大きいです。
◇ 過去記事参照 ◇
〇 発達心理学 子から老後へ向けての自己実現 情動・感情のメカニズム
社会的性格+役割性格がその人の「社会的自我」の形・タイプですね。この部分の発達過程の力学は深層心理学・社会心理学・社会学的な角度から主に考察しています。
幼い子供の頃は、人はもっとシンプル・純粋な気質の存在であるでしょう。ですが発達過程では、様々な力学の中でその影響・干渉を受けて育ち、さらに社会で生きていく過程で複合的な要素を追加していきながら、
その総合的な運動の結果としてひとつのまとまりとなる「人格的なるもの」を形成していくわけですね。でも、その中でどれが最も主要な要素なのか?というものはあるでしょう。それはやっぱり先天的な気質+キャラクター(基本の性格特徴)なんですね。
HSP・OE・ ギフテッド
HSPの特性は、感覚入力への反応性や情動の深い処理などが、双生児研究などから中程度の遺伝的影響を受けることが示唆されています。
つまりHSPは「持って生まれたもの」で、先天的な「気質」に含まれる概念です。これは「感性や能力の多元的な質」「の質」に関する先天的な気質タイプですね。
過去記事でも紹介した「多重知能( MI)理論」ですが、これは10種類あり、人が先天的に有するもので、「能力の質」「感性の質」の相違によって分類したものです。
①言語的知能 ②理論数学的知能 ③音楽的知能 ④身体運動的知能⑤空間的知能 ⑥博物的知能 ⑦対人的知能 ⑧内省的知能 ⑨霊的知能 ⑩実存的知能
◇ 過去記事参照 ◇
⇒ 自己と知能の発達 自我の病理を超えて 10種類の知能と可能性へ
人は皆この多重知能を持っているということですが、そのどれかが先天的に非常に高い人が一定数存在し、あるいは後天的に伸びる人伸びない人の相違もあるでしょう。
OE(過度激動)・「ギフテッド」は、神経遺伝学や神経生物学の研究では、感受性の高さや情報処理の深さといった特性は、ある程度遺伝的素因に基づくと考えられています。
たとえば、神経伝達物質(セロトニン、ドーパミンなど)に関与する遺伝子や、脳内の感覚処理に関わる領域が、OEの表れ方やギフテッドの認知的・情動的活性に影響を及ぼしている可能性が示唆されています。
「OE(過度激動)」と「ギフテッド(才能のある個性)」は、いずれも個人の感受性や反応性の高さという点で注目され、遺伝的・心理学的・精神医学的な観点からそれぞれ検討されています。
遺伝的な要因と並行して、環境的な要因(家庭環境、教育、文化的背景など)との相互作用も、個々のOEや才能の表出に大きく寄与することが研究からも明らかになっています。
心理学者は、OEが個々の感受性や内面世界の豊かさを示す一方で、未熟な環境や支援の不足によってストレスや不均衡を引き起こす「リスク・ファクター」としても機能し得ると論じています。
ギフテッドの人々は、その高い情報処理や情動の豊かさゆえに、通常の基準では評価しきれない複雑性を持つため、独自の発達課題とともに、同時に創造性や問題解決能力においても高度な資質を発揮する場合が多いです。
精神医学的には、OEそのものやギフテッドな特性は診断基準上の障害とは見なされず、むしろ個性の一端と理解されています。
しかし、極度の場合、環境との不調和や過度な内面葛藤が、気分障害や不安障害、適応障害といった精神的苦痛につながることがあるため、適切なサポートや介入の重要性が指摘されています。
「あーちゃんは数学のギフテッド」 より引用抜粋
「ギフテッドの誤診」
ギフテッド、タレンティッド、そしてクリエイティブな人達と言うのは強烈で強い感情性、想像性、知性、知覚性、運動性のOEを示し、また、これらの特徴はこういった個人にとってはごく”普通”の発達であるというのはこの分野の研究家達の間ではよく知られた事である。
ギフテッドの個人は極めて細かく調整された心理構成と、組織化された意識、自覚の持ち主であるため、彼らは世の中を周りの人達とは違って、そしてより強烈に経験する。
とは言うものの、大抵の人達がこう言ったギフテッドの特徴についての正確な情報に欠けているため、これらの特徴は(一般の)精神療法士やその他の専門家達からはしばしば何らかの精神的問題や精神病の兆候であると見られる傾向にある。
ギフテッドにとっては「普通」だと見なされる特徴でも、一般の間では「神経症」とラベルを貼られてしまい、その結果、ギフテッドの人達は家庭や職場、学校、そしてコミュニティ内での様々な人間関係の困難に対して、個人的、感情的に弱くてもろくなりやすいという事を大抵の人が知らない。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)引用元⇒ あーちゃんは数学のギフテッド
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