ロシア、北朝鮮にしても中国、韓国にしても、政府・権力のやっていることの中の「一部」はテロやカルトと何ら変わりないですね。
〇 アレッポの少女バナ・アラベドさんは、各国のトップに手紙を書き続ける 「プーチン大統領、刑務所に入って」
まぁもちろん政府・権力は他にも色々な仕事をやっているわけで、実際は全く同じというわけではありませんが、「テロやカルトと同質のものをその中に部分的な要素として有している」という意味ですね。
何にウエイトを置くかで、現実・状況の印象は変わったり逆転する、「どのように映しどのように伝えるか」のメディア・報道の偏りによって、特定の対象の正義や命だけが最重要になり、
「カットされた現実」と「その中で生きる人々」は殆ど「同じ人間・同じ現実」としては扱われず一方的に排斥されてしまう。
「攻撃性の過激さ」や「権力による抑圧」に関しては、ロシア・北朝鮮・中国などと比べて日本は穏やかでマシな国であっても、他国ばかりを問題のある国とし、自国には何の問題もなし、と片づけることは出来ないでしょう。
2015年の東京都の年間の交通事故死は161人(過去最小)で、そして東京都の年間の殺人件数は約120件程度。それに対して東京都の年間の自殺者は2000~3000人です。
人々は自分及び身近な者が、交通事故や凶悪犯罪・事件などに巻き込まれる危険性を漠然と心配したり不安に感じたりしますが、「自殺を心配する」ことはそれに比べれば無いに等しいわけです。
それは交通事故死や凶悪犯罪の方が巻き込まれる確率がずっと高いような錯覚があるからですが、先の東京の件数を比較すれば、「人が自殺に追い込まれる現実」は、交通事故死の約15倍、殺人事件の20倍も高いわけです。
そして傍から見てても感じることですが、「ロシア・中国・韓国」という国はやっぱり生きずらい国なんでしょう、この3つの国は現在世界でトップクラスの自殺大国なのですが、
旧社会主義国を除く先進国の中でトップクラスの自殺率の国が「日本」なんです。自殺は一日約80~100人です。他殺は一日約3、4人ほどです。
そして日本の場合、他殺のほとんどは身内・近縁の者であることを考えるなら、「全く見知らぬ無関係な人を殺す」という事件の発生は非常に少ないんですね。
一日80~100人の自国民が自殺で死んでいる事実、これだけの人々が死に追いやられている社会の在り方の本質的な改善には殆どエネルギーは使われていません。(表面的な対策ばかりですね。)
一日約3・4人の他殺(ほとんどは身内・近縁の者の突発的犯罪である)は、あたかも社会が常習的な凶悪犯罪者に溢れ、凄い数の殺人が起きているかのように印象を植え付け、監視・統制を強化して大量の税金をつぎ込んでいます。
ですが実際はそのような負の印象と現実は反比例するかのように、昭和から平成に向けて凶悪犯罪はどんどん激減していて、現在の日本は他殺より自殺の方が遥かに深刻な状態なんですね。
そして「テロ、暴動行為」は過剰に「恐怖対象化」して煽り、テレビ・報道による同調圧力だけに止まらず、ドラマ・映画でなども過剰に誇大化した印象を蔓延化させるわけです。まぁ最近は「テレビ離れ」も加速化してますが、その方が良いと思います。
もちろん危険な組織が実在して活動している以上、危機意識持って対策・防衛することは必要ですが、「何故そういう現象が起きているのか」という問題の根を冷静に立体的に見ようとはせず、表面に現れた現象への過剰な反応と意識だけに向かっているならば負の連鎖は終わらず、
この先も大小の新たな勢力の台頭によって本質は変わらない現象が繰り返されていくだけでしょう。
人は「身の安全を脅かされる実体なき恐怖」に扇動されやすい生き物だから、権力・メディアが共にそういう社会の「脅威対象」を印象強化し演出することで、「実体なき恐怖感」をさらに高めているんですね。
それによって、「過剰な対策」が正当化され、多額の予算が獲得出来、メディアも「実体なき恐怖商法」で人の心を動かし続けて大儲けするわけです。
しかも「社会正義と国民の安全を守る者」という「正のイメージ」も演出しやすいからどんどんやるわけですが、そういうやり方はカルト系新興組織の心理操作のやり方、あるいはグレーな商売人の心理操作と構造的な共通点は多いですね。
ただ、資本力・人員数・影響力のスケールには大きな差はありますから、社会メディアの場合はカルト組織みたいに「閉じた排他的な意識構造」へもっていってから徐々に心理操作する段階的心理操作は必要がなく、
カルト組織みたいに「否定的な情報」を遮断させたり、信じさせるために心を無理に開かせたりせずに、人が自然に「開いた状態」のままで情報をどんどん浴びせ続けることが出来るため、心理操作されている感を相手に与えずに心理操作することが可能な点が、社会メディアの強みです。
「我らは正の側」、そういってアメリカは中東の一般市民を何万人も殺しまくり、ロシアは民間の飛行機を撃ち落してもサイコパスと何ら変わらない「罪悪感ゼロ状態」で、平然と嘘をつき攻撃・支配を続けており、
中国は良心の呵責もなく周辺国・少数部族を無慈悲に一方的に蹂躙するわけです。それよりはずっと穏やかではあれ、日本も同質のものを有しているわけですね。
「大義名分のためであれば大量殺人・様々な違法行為すら合法化される」という国家権力の横暴さは、オウムのポア・ヴァジラヤーナの発想と同質であり、テロリスト・カルトの心理と同質です。
違いは組織の規模が国単位であるかそうでないか、と、「大義名分の基準となる観念」の相違だけであり、また国の強弱のバランスで、どちらが善でどちらが悪になるかが変わったり、その結果「裁くもの」と「裁かれるもの」が変わる、というだけです。
日本人は敗戦体験によって、多くの人がこのことを深く知っているのですが、集団心理の方向性と、勝った側の論理で世界が動いているだけ、ということも知りつつ、未だ自虐的で本心を過剰に抑圧化する状態から抜け切れていないんですね。
また、日本は物質面での復活・成長は果たしましたが、「集合的な意識・無意識、個人の意識・無意識」の相互作用によってどのような現象が引き起こされるか、ということへの立体的考察と意識化は不十分です。
身近にある「見えない悪」
「数十年に一回あるかないか程度の小規模なテロ、暴動行為」よりも、「一日80~100人の自国民が自殺で死んでいる事実」、「自殺に追い込んでいる社会の在り方」を何故もっと見ないのか?
「社会の負の力学」が人を死に追い込むことは、確率的にもっと起こりうる現実的なものであり、同時にそれは「見えない凶器・見ない心理の犯罪」なわけです。
しかも2万体の死体を検死した医元東京都監察医務院長で法医学の専門家の上野正彦 氏の著書「自殺の9割は他殺である」によれば、「自殺として片づけられた人々の死は本当に自殺なのか?」という疑いもあるんですね。
自殺の背景、被害側の心理・加害側の心理を立体的・多角的に分析するならば、決して責任を問われない「見えない悪」が存在するんですね。上記の紹介の本には書かれていない負の力学もあるのです。
日本では「見えない悪」「社会の負の力学」による精神の殺害の方が遥かに凶暴で危険で無慈悲で狡猾です。この力で「毎日、日本のどこかで誰かが死に追い込まれている」、そういう現実があるのです。
この記事を書いている今日もまた、そして明日もまた、この「負の力学」「見えない悪・狂気」によって、1日に何十人もが死に追い込まれているわけです。
ですが、このテーマに真剣に掘り下げていけばいくほど、社会の在り方の本質的な問題が問われるから、「都合の悪い臭いモノに蓋をしたい人々」にとっては扱い難いテーマなんでしょう。
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