今回は「自己投影」と「特権」をメインのテーマにしています。最近はすっかりよく語られるようになった「可視化されたもの」ではなく、「不可視化されているもの」の方にスポットを当てています。
ではまず一曲♪ Awichで「やっちまいな(feat. ANARCHY)」ライブバージョンです。やっぱりAwich 突き抜けてるなぁ。
自己投影と特権
「自分に対する肯定的な一般化」は肯定し、ネガティブなものだけを「ステレオタイプ」などという。所詮、このような人々の語る「○○バイアス」云々のロジックも個々の快不快、都合や立場や政治的正しさによって「解釈」が変わる相対的なものにすぎないのでしょう。
シャーデンフロイデ「他人の不幸は蜜の味」を抱く割合に性差があり、平たく言えば「ざまあみろ」の感情は「男性のほうが強い」ことが研究で分かっています。 〇 シャーデンフロイデの機能 : 他人の不幸を喜ぶことの進化的基盤
ミラー,アラン・S 氏の著書 進化心理学から考えるホモサピエンス にて「男が女よりもはるかに攻撃的、競争的、暴力的なのは、ジェンダーの社会化のせいではなく、男の適応度格差が大きいため」とありますが、
男性のシャーロンフロイデの強さに関してはひとつはこれも原因だと考えます。ただそれに加えて社会の発展の過程における男性の役割がさらにそれを強化させている、とも考えます。
それにたいして女性は「競争で得られる潜在的な利益は、競争の潜在的なコスト(負傷や死)に見合うほど大きくない ー 進化心理学から考えるホモサピエンスより 」とありますが、これは女性が「本質的に非競争的」ということを意味していません。
生存競争における環境要因、社会の発展の過程における役割の差異でそうなっているだけであって、もし立場を逆にすれば逆転するでしょう。
実際に高崎山で初のメスザルでボスになったヤケイは環境要因(食べ物)の変化で逆転しました。四天王といわれるかつてのオスザルたちをボコり、ブレイキングダウン式に一躍トップに躍り出ました。環境が変われば秘めた暴力性も発揮される、まぁサピエンスも凶暴な種なので似たようなものでしょう。
脳・身体のような生物学的なものを考える際に、それは本質主義的な決定論になりやすい傾向があるのだから、男女の置かれた環境・状況の差異を考えることもせずに「男は○○、女は○○」で断定してしまうと、科学的データを使って男女への理解を逆に単純化してしまうわけです。
とはいえサピエンスの場合、身体は男性のほうが基本的にはかなり強いため、闘争における物理的なパワーは男性のほうが高出力にはなるでしょう。
そして男女平等化が進めば進むほど徐々に逆転現象が生じてきています。競争社会に参加していく中で格差が開き、それが可視化されていけば闘争心も強くなってく。それが百年も続けばかつての男と変わらないかそれ以上の攻撃性を身につける可能性もないとはいえないでしょう。
男は「競争しなければ、かなりの確立で子供をまったくもてない可能性に直面する。競争に勝った場合の報酬と競争を避けることの代償との差が非常に大きい」「男が繁殖に成功するには、物質的な資源と高い地位が重要になる。女は自分の子供を守り、多くの投資をしてくれる、地位の高い豊かな資源をもつ男に引かれるからだ。ー 進化心理学から考えるホモサピエンスより 」
この「地位の高い豊かな資源をもつ男に引かれる」という傾向性は、いうなれば「トロフィーワイフ」の女性版なんですね。なにをもって価値とするかが異なるだけ。双方が「自身がやっていること」を自己投影する。
社会的ステータス(階級)の高い男を求める女性にとって男性は女性の「身分」を決めるトロフィ―であり、かつ高い生活水準を保証する「自分専用ATM」であるという点で男性はより多重にモノ化されているわけです。
「カースト上位の男性がモテる」というある程度普遍的な現象は、「非モノとしての個人そのもの」よりもカーストの与える付加価値の方にウエイトがある。
つまりトロフィ―効果の同種の格付けの心理であり、カースト上位男性に見染められたことが自身の価値を上げ、格付けランキング上位者として承認されたような気分を味わえるということ。
「自身が相手に対していだいている認めたくない感情・思考を、自分のものではなく相手の感情・思考だと無意識に置き換えてしまうこと」を自己投影といいますが「トロフィーワイフ」もその一例。
「わかりやすく簡単に可視化されるもの」のほうがさほど罪のない愚かさだったりする。
逆により計算的に「優良物件」として男性を厳しく審査し、商品価値として男性を選別する計算高い不可視化されたモノ化がエスカレートしたときの方が怖い搾取事案になりやすく罪深くなる。
以下に紹介のツィートはとてもシンプルに本質を見ていています。確かに「女に頼りつつ排除して男同士の絆を深める非同性愛の関係性」は、「男に頼りつつ排除して女同士の絆を深める非同性愛の関係性」の自己投影の一例ですね。
「女に頼りつつ排除して男同士の絆を深める非同性愛の関係性」というのが女社会の投影に過ぎないからです https://t.co/ngNw8B2Lo8
— TOMATO & GARLIC (@tomatoandgarlic) January 5, 2023
平たく言えば、よく「自己紹介」とか「○○を自ら告白している」などと比喩される心理と同様のものなんですが、自己投影して他責化しつつ自分だけは「○○された側」と被害者に出来るこの能力、この責任回避能力こそが罪を蓄積し深き業を生産していく。
なので、どっちかというと「ホモソーシャル」の方が万能ダメ概念だと思うのよね。
— 河野有理 (@konoy541) January 3, 2023
男の「問題解決思考」が「生存競争の中で生き残るためには主体的・能動的に解決しなければ助けてはもらえない属性ゆえに進化した性質」であるとするなら、女性の「共感思考」というのは「依存的・受動的でも助けてもらえる属性ゆえに進化した性質」ともいえます。
女性が依存的・受動的であるのは「そうあることの方が生存率が高い」からで、生きものとして適応行動ですね。女性は「声を上げる」が適応的で、泣きながら弱々しく訴えても多くの人々が話を聞いてくれる。
男性が女性のように生きた場合、元々女性より低い生存率や生きものとしての達成率がさらに下がる。男性が声を上げる場合は「感情に訴える共感思考」ではなく「現実に訴える問題解決思考」になりやすく権力闘争に繋がりやすいんですね。
そうなると力が弱ければ叩き潰されるか、場合によっては殺される。弱者女性の感情的な訴えは温情で受け止められやすいが、弱者男性の訴えは「謀反」に近い扱いを受けることが多い。
弱い立場にある者たち(主に男性)が反旗を翻すときというのは強者(主に男性)にとっては危険分子となる。しかし現代の日本のように、立場の弱い労働者ほど真面目で反抗しないような国は、そのまま待遇の固定化が生じてしまう。
女性でも責任の重い立場についたり、(男性のように)助けてくれない状況に置かれると「問題解決思考」が発達する。男性も同様に依存的・受動的でも生きていける人は「共感思考」が優位になってくる。
ただ「自立した主体的な個人として男女平等に生きる」というのは、一方が「問題解決」の責任を全て負い、一方は「共感だけを求める」「声をあげるだけ」では成立しない。
そして「○○した」と責任を取る属性と「○○された」と責任を回避する属性の組み合わせは、イネイブラーとその依存者の関係性にもなりやすい。
なので男女平等の前になされるべきことは「責任平等」でしょう。男女平等の文脈では「女性は男性から○○を押し付けられている」という「○○させられた」の構図で批判することが多いですが、実際はその逆もある。
そこを一切見て見ぬ振りしながら一方の属性ばかり批判しても、その偏った姿勢こそが平等の精神をすでに欠いている。
「自立した個人」として平等に責任を負うという前提の上でなければ、男性は無自覚なイネイブラーとして依存者の自我を肥大化させ、手に負えない無責任モンスターを生みだしてしまう。
無責任モンスターのクレーム対応・問題解決をするのが男の仕事ではない。しかし「寄り添いケア要員」となったイネイブラー男性もまた依存されることで満たされている共依存状態。自立した個人になっていくには「突き放す勇気」も必要なんですね、これは毒親問題も同様に。
nothing about us without us
一部のフェミニストの押しつけがましさというのは、
「この思想に基づいた社会、男女の捉え方こそ真理であり、真理に目覚めた私は自分の意志で行動しているが、この真理に目覚めていない人々は未だ○○させられているだけの自由意志なき奴隷であり被害者なのだ」的な、そういう自己投影をして決めつけて啓蒙し「救済活動」したがるところです。
自由意志や主体性があるかないかを他者が勝手に決めるな、ということですね。勝手に奴隷にされる女性たち、勝手に被害者にされるセックスワーカーたち、勝手にケア要員とされる女性たち、勝手に名誉男性とされる女性たち、全て一部のフェミニストがそのモノサシでジャッジしカテゴライズしてるだけの決めつけに過ぎない。
市井の女性に対して「名誉男性」とか「奴隷」と上から言えてしまうアカデミックフェミニズムの特権性!
100分deフェミニズム、そこはかとなく漂う主婦女性への憐憫と、セックスワークに対する明らかな偏見がしんどく、辛い一時間半でした…
— HOKU🏳🌈🏳️⚧️ (@hiver_snow10) January 2, 2023
これ、本当に「お前は一体全体、何様だ?他人を見下せるほどご立派な人間なのか?」って思う。 https://t.co/n4J8p8bzGf
— 光月こたけ(喪中)💛💙 (@kangokugai) February 21, 2023
「上部構造」の○○平等より、「下部構造」の平等の方がごっそり切り捨てられている面があって、そこを一方の属性に負担させたり独占させたりしている状態のまま○○平等やら特権などを語るからいびつになっていく。
なぜそうなるかといえば、これら問題を定義・解釈し実際に制度に働きかける属性というのが高学歴のインテリ・専門家や学者等、あるいは大卒者が主体だからです。
特に政治的に左のイデオロギー運動、進歩主義とタッグを組んだ高学歴なインテリ、専門家、知識人等の権威にとって都合が良い方向に条件づけられている。アイデンティティ左翼と文化左翼とバラモン左翼の合体ですね。
アファーマティブ・アクションも日本のポジティブアクションそうですが、大学とか性差ばかりに視点が偏っている。特定の差別しか差別として扱わないようにしているんですね。インクルージョンだの多様性だのいいながら最初から前提を特定の政治的正しさで固定している。
結局、特権者に都合の良いことをやってるんですが、そこは不可視化して他の「生贄化した存在」を叩いて目を逸らさせる。
左派のイデオロギー運動、それとタッグを組んだ一部の高学歴の専門家やインテリ等の特権者が主導するゆえに歪みが生まれる。彼ら・彼女たちの内面化した思考の型は欧米のミームが根底にあり、それは彼等・彼女たちが「特権」とする白人主体の男性原理であり、
ミイラ取りがミイラになっている自覚もないまま、この双子の兄弟はマクロな灯台下暗しの外集団への投影によって対立を激化させ分断を深め、無自覚な共犯関係として世界を欧米のミーム・白人主体の男性原理で覆いつくす。これらの自己欺瞞もすべて外部の「生贄化した存在」に自己投影してるんですね。
フェミニズムはすべての人のためのもの、フェミニズムは誰も置いていかないものなのに、学のある働くシス女性以外のすべての人間を排除し、分断を煽っているように感じられて辛だった、ものすごくバイナリでとんでもなくミサンドリー… https://t.co/K5hoHscHaa
— HOKU🏳🌈🏳️⚧️ (@hiver_snow10) January 2, 2023
「すべての人の言葉は同じ重さ」とか「ひとりひとりの声を聞く」とかなんとか、口だけの党派性インクルージョンの特権性!
口だけインクルージョンは「聞きたい人」の言葉しか聞かない。それは女性にたいしてもマイノリティに対しても、そして世界で最も自殺者の多い日本の中高年の問題に対しても同様に。極めて政治的・党派的に動いている。「声を上げる!」すらも選別されている。声はいろんな場所でずっと前からあちこちで上がってる。「聞きたくない声を選別している者たち」の特権性!
また活動家やインテリ、社会運動に加わっている専門家等が、自分たちに都合が良いように特定のフレームでのみ社会や現象、他者をジャッジし、特定の他者に集団で圧力をかけるように扇動したりもする。
だから「声が大きい」からといってもその質やそこに働いている背景や目的は様々なのだから、すべてを肯定したりせずまずは感情に流されずしっかり冷静に判断する、そして様々な角度から吟味するという姿勢を失わないことが大事ですね。
声を上げる/上げない
この二者択一を迫る手法は新たな特権を生むとおもっている。だから、ずっと前に私はその土俵から降りた。対話を生んだり、考えを促すほうにもっていきたい。 https://t.co/XWd7uPez9F
— Taiga|書店員📚人文 (@Silver_Hammer6) January 29, 2023
大衆は専門家が思うほど馬鹿ではない。専門家が主導できるほど薄っぺらでなく良い子でもない。しかしグレーゾーンを含めて大きく動かすことが出来る厚みがある。
「有限性を無視した身体のない意識高い系の理想に基づくWOKE(お目覚め)」ではなく、「地に足の着いた身体性のある思考」が社会の問題の本当に重要なところを地道に変えていきます。そして非WOKE(非お目覚め)的なものが、社会を世界を縁の下で支えている。
彼ら・彼女たちの妄信する政治的正しさ、ポリコレや多様性等のグローバル資本主義に内在化された「文化的植民地主義」に屈することなく、怯まずにしっかりと対応し、何よりもまず経済及び文化の基盤となるエッセンシャルワーカーを始めとする社会の下部構造を支える労働者たちがエンパワーメントされ、底上げされなくてはなりません。
フェミさんはすぐ男尊女卑社会とか言うけど、ホントに男尊女卑なら
・女が稼いだカネを男が浪費する
・女がブラック労働・過労死して男は長寿
・労災・殉職は女
・女だけ徴兵
・自冊も餓死もホームレスも女ばかりになるはずなんだよな。けど現実は逆。これでよく男尊女卑とか主張できるよなと思う。
— 💧🌻🌻花つ葉🌻🌻🌈qui ne sait pas où elle en est (@spit_flower) March 28, 2022
ひらたくいえば「お前らは自分でなんとかしろ!」で常に片づけられる属性、そういう属性の下部構造は全く理解されない。
グローバル資本主義に内在化された「文化的植民地主義」は欧米先進国がマスメディアや思想などの文化的手段を通じて他国のマジョリティを啓蒙し、特定の価値観を内面化させ、認識を支配する力学ですが、
「格差」には様々な力学が働いていて、社会が悪い、マジョリティが悪い、特定の属性が優遇されているみたいな単純な二元論では到底語れない。複合的な原因でそういうものが生じている。
マクロな次元での危機が生じようとしている今、意識を変えるべきはマジョリティでも古典的なリベラルでもない、左派のイデオロギー運動と結びついた一部の高学歴の専門家やインテリ、メディア、知識人等の特権者・権威者たちである。
これらの者たちが世界を分断し自分たちの仕事の拡大と権威性の強化のためにマイノリティを先導し対立構造を構築することで、人々の多様な知や能力の総合力が創造的、建設的な形で発揮することの障害になっている。
フェミニストさん
私たちは女性のために戦っています! pic.twitter.com/NDvrLCEGs1
— Bonjour AKIRA (@Bonjour4145) January 19, 2023
サンデルの「実力も運のうち 能力主義は正義か」の視点でみるなら、「親ガチャ」による偶然性、「運」によって得られれる有形無形の資本の差異が人生の質をかなりの確率で決めてしまうように、
「運」がすごく悪かった人、あるいは「低学歴・非専門家、非学者」で、問題を定義・解釈したり制度に働きかける機会をもたず、権威性が賦与されない属性の「下部構造」における不平等・格差にスポットを当てないゆえに、
上部の「より恵まれた側」「より能力や権威を持つ側」「より資本及びそれを得る機会・可能性が高い側」ばかりが主体となったアップデートの話になるわけです。そういう人々の不満だけがクローズアップされる。
「意見」は平等ではない。意見に権威性が賦与されている時点でそれは「特権」であり、何をクローズアップするかに影響力を持つ。