神秘なるミクロとマクロの世界  「現実」と「存在」の相対性と絶対性 

 

「身体の心」のテーマはまだ続きますが、今日は「癒し」の意味も含めて、神秘なるミクロとマクロの世界、「現実」「存在」の相対性と絶対性という、二つのテーマで記事を書きます。

私たちは「日常」というもののリアルに強く囚われ、強力な実在性を感じながら生きています。ですが私たちを構成するミクロの単位、そして私たちが生きているこの時空のマクロな単位を見ていくと、その実在の姿というものは神秘としか言えないようなものでもあるのですね。

今日は主に動画の紹介になりますが、動画の内容はどれもミクロの生命・マクロな存在の神秘」を感じずにはいられないです。最初に紹介の動画は「理研」が制作した力作ですが、この動画ではまず神秘なるミクロの世界、人間の細胞内部に入っていきます。

そしてゲノム情報からタンパク質ができるまでの過程を素晴らしいアニメーション映像構成で説明しています。

以下のリンクでは宇宙物理学によって解明された宇宙のはじまりと元素の起源、そして宇宙物理学によって時間・空間・物質を統一しようとする試みであり、最新宇宙論の流れがシンプルにまとめられているPDFなので興味のある方は参考にどうぞ。 元素の起源と宇宙の歴史

現代科学での物質の究極のミクロ単位をここでまとめておきます。

① ゲージボソン(力を媒介する粒子)光子、グルーオン、ウィークボソン
② レプトン:(物質構成粒子)電子、ミューオン、ニュートリノ
③ハドロン:(物質構成粒子)陽子、中性子、中間子、クォーク

ノーベル賞でも話題になった「ヒッグス粒子」ですが、「質量」には二種類あり、「慣性質量」「重力質量」があります。「ヒッグス粒子」は「慣性質量」の起源を説明するものですので、「重力質量」の起源を説明するものはまだ発見されてはいません。後者の起源を説明する仮説上の素粒子が重力子(グラビトン)です。

 ビックバン以前の宇宙とビックバンが生じた物理学的な流れ

東京大学名誉教授の宇宙物理学者「佐藤勝彦氏」インフレーシ 宇宙論によれば、ビックバン以前の宇宙の状態というのは、時間と空間の区別もない世界であり、超ミクロな”時空”が生れては消えていくということを繰り返していたという。

そしておよそ137億年に、その時空のうちのひとつがプランク時間(10の-43乗秒)の間に、量子論的効果(トンネル効果)で宇宙として生まれた。その時、宇宙はまだ極小のミクロ単位であり、10の-34乗cm程度の大きしかなく、それはどんな素粒子よりも小さいものであった。

そして宇宙は誕生すると、1秒にも満たないとてつもなく短い一瞬、インフレーションという想像を絶する猛烈な膨脹をはじめ、その終わりに熱エネルギーが解放され、ビッグバンという超高温で超高密度の”火の玉宇宙”となったという。

それでは、宇宙の大きさと神秘を、宇宙旅行のような感じで味わえる、私のお気に入り動画もご覧下さい。

 

 

「現実」と「存在」の相対性と絶対性

まず、NASAが公開した「2012年の地球」の動画を紹介します。この動画は複数の人口衛星や国際宇宙ステーション(ISS)から撮影した写真をつなぎ合わせたものです。私たちはみなこの美しい地球の上で同じ時間を共に生きています。

人間は、この地球上で社会を作り、日々の現実の中で生きています。私たちにとってそれは不動の絶対のもののように映ります。ですが、以下の動画をご覧ください。私たちの国や世界の姿でさえ無常なものなのです。

この動画は6億5千万年という単位の大陸移動の様子を1分20秒にまとめた動画動画ですが、過去・現在・未来へと続いています。


大地は動き続け、そして世界の境界は全く変わってしまい、気候・気温・自然の大きな変化が起き、地球というマクロ単位の条件の変化によって、それに依存したミクロな単位である人間の文化や人間の在り方、その他の生命の生態系も変わっていくでしょう。

「社会・現実」というリアル感は「それ自体で存在している絶対性」ではなく、「相互依存的に相対的に存在する無常なもの」でありつつ、それは時代を構成する「その段階での集合的無意識」との同化作用よって生まれる集団錯覚に支えられています。

「社会・現実」というリアル感は、よりマクロな条件付けに依存して成立しているため、マクロな条件けが変わらないことを前提にした上で、一定期間は「絶対性」として感じられ認められるものでもありますが、

マクロな条件付け自体が相対的で無常である以上、「社会・現実」というリアル感の本質も無常であり相対的なものなんですね。

そして「人間」というものは「マクロの条件付け」と「ミクロの条件付け」に共に依存して存在しているため、その本質はやはり無常であり相対的なものなんですね。

では「存在」「生命」を生み出した宇宙の原理それ自体はどうでしょうか? それは「マクロな条件」「ミクロな条件」のどちらにも依存していない何かであり、そこには物質と生命を分けるものは何もなく時間と空間の区別もないのです。

ゆえにそれはあらゆる相対性が崩壊した領域であり、絶対性を持つのと言える唯一の何かでもあるのでしょう。つまり全ての物質、生命は、その絶対性なる何かから生じ具体化され現実化した「相対的な現象」といえそうです。

今日はラストの方では話が抽象的で形而上的・哲学的な感じになりましたが、これは「日常」が本質的に無意味でどうでもいいものといいたいのではありません。むしろ無常で相対的であるからこそ、「日常」は不思議であり稀有な瞬間である、ということがいいたいんですね。

「日常の中で非日常を探す」のではなく、「もともと非日常の中に日常があるんだなぁ」という視点を持つと、頑なになり過ぎている「現実というものへの過剰な盲信的態度」を和らげることが出来ます。

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