前回は無邪気な「なっちゃん先生」に癒されつつ大笑いさせてもらい記事で紹介しました。しかし、ホンワカしたなっちゃん先生を我が師としつつ、「反面教師としたい社会の暗い心理」というもの現実には沢山ありますね。
前回の記事 ⇒ 国によって異なる感情表現の仕方
今回も「ユーモア・ジョーク」「社会心理学・社会学・人類学」のカテゴリー記事ですが、学問的ではなくブラックユーモア・風刺・パロディの要素が強い内容になっています。(幾つかの歌の動画も紹介しています。)
「宇宙人ジョーンズの弟・社会学者W」が見たこの星の闇
(※これは私の書いたフィクション記事で風刺的な誇張表現ですので悪しからず。)
世の中には数多くの取扱説明書がある。宇宙から来た私はまずは取扱説明書を熟読することにしているが、人間にも「私のトリセツ」なるものがあると聞いて参考にさせていただた。
「私のトリセツ」を読んだが、この星の女の子は取り扱いが結構メンドクサイようだ。
そしてこの星には「ブラック企業」というものがあると聞いた、黒い色をした会社なのかと思っていたが、どうやらそうではないようだ。
「現代の奴隷」は世界で4千万人以上いるとのデータもあるし、日本には表向きは「鎖に繋がれたり、自由もなく拘束状態で、粗末な食事で労働を強制されるような絵にかいたような奴隷」は日常では見かけない。
しかしまさか先進国のビルの中にこんなにも多くの奴隷がいたとは! パワハラにしてもブラックにしても真面目な人ほどドツボにハマり精神が崩壊するが、これは「洗脳」は真面目で素直な人ほどかかりやすいのと類似する。
この星の住人はまだまだ「NOと言えない」気質があるようだ、よって「ハッキリNOと言う」「スパッと辞める」の「だが断る!」の意思表示力がもっと必要だ。
またこの星の会社には「セクハラ」とか言われるものがあるらしい、どうも優しい人ほど被害に遭うようで、セクハラへの対策としては「毅然と断ること!」、やはりこの一点に尽きるようだ。
この星のオヤジは誰彼構わずスグに触りたがる野生動物のような状態なのか?、まだ進化していなかったのか?と驚いたが、どうもホモサピエンスのオスはデフォルトはそれが本質で、
これはそう簡単には変わらないらしく、そういうことはよくあるらしい。
故にこれはシッカリと女性達が男達を躾、教育してあげないとなかなか行儀が良くならない、そんなホモサピエンスの普遍的な問題行動のひとつである。
私はこの星の社会状況を分析しているが、同時にこの星のホモサピエンスの生物学的な本質についても研究し続けている。
そこでわかったことは、ホモサピエンスのデフォルトは、「凶暴」そして「嘘つき」そして「脆弱」で「集団で生きる生物」であるということだった。
西野カナさんなんて比較にならないほど取り扱いの難しい生き物である、「凶暴」で「嘘つき」で「脆弱」な生き物が「群れる」..、こんなの神ですら取り扱いは難しい。
ホモサピエンスはそこそこ頭がいいが、無知であるがゆえに無意識に思い込んで嘘を吐くが、悪人以外の嘘は大抵は相手を騙すためのものではなく、「嘘だとは思っていない」「真実だ!」と思って吐くためにかなりやばい。
しかもみながそれぞれの十人十色の嘘を信じている、「おおなんということだ..やばいものつくっちゃった」と神は途方に暮れる、「こんな生き物もう無理です..」、と神すら取扱いに泣いた唯一の生き物である。
そしてたまに活きのよいセンスのある若者がウイットに富んだ問いかけを投げかける、以下の歌のように。
こうやってホモサピエンスは幾度となく「真実なるものとされた嘘」を全否定してみたり哲学してみたりもするが、ホモサピエンスはその程度では全く変化は起きない。
所詮、虚無には勝てずに神や仏を捨てても結局は何かに依存し何かを信じて、何かを中心にして何かを目的にして生きるしかないことは変わらないようだ。そして探求を諦めて何もわからないまま何も見いだせないままただ生きる。
一部のホモサピエンスは本を沢山読んだら賢くなったような気でいれるみたいだが、観察していると本質は特に変化はなく、また自身の力で何も真実を見出せないまま、知識だけを信じてこねくり回している姿は滑稽ですらある。
そしてホモサピエンスの中には、「穏やかな嘘」では納得できない悪あがきをするホモサピエンスが現れたりもすることがある。その数は少ないが、一定数出てくるエラー現象が確認される。そのひとつがカルトと呼ばれる社会現象である。
神のエラーの中でバクが発生し酷いエラーが起き続けるという始末、神はもうホモサピエンスのプログラムへの更新には見向きもせず、半分投げやりげやりになって「もうほっとこ」とふて寝し始めたようだ。
このホモサピエンスの群は、先鋭化された嘘を逆クリエイティブ化する者たちであり、原始的な状態に病的退行し、狂気的な嘘で洗脳を開始する、特定の絶対者やドグマを信じ、その意志を最優先し何か奇妙なことを集団で行い社会から訝し気な目で見られるが、
「カリスマ的詐欺師や狂人の操り人形になる方が社会に迎合するよりマシ」と思い込み、「我々は選ばれし者」だと信じているらしい。
それが最悪どのような状態になるのか?を鋭く描いている先ほど紹介したアーティストの曲があるとのことので、参考にさせていただいた。見事なまでの描写力、圧巻である。以下の動画をご参照あれ。
どうもホモサピエンスには、個による問題と集団による問題の二種類の大きな質の異なる問題があるようだ。
インドなる国には「カースト制度」があったが現在は一応廃止されたようだ。しかしホモサピエンスはカーストとか階級とか「外集団と内集団」に分けてレッテル貼りするのがお気に入りのようだ。
先進国のこの国においてもスクールカースト・タワマンカースト・ママカースト以外にも、組織内には派閥やらグループがあり、イチイチ優劣をつけたがる。
ネット・SNSですらもその習性は変らず「あの界隈は×、この界隈も×」、「あのクラスタは×、このクラスタも×」と、互いの個性や価値観のちょっとした差異で排斥・敵対し侮蔑しマウントしたがる姿がそのいい例だ。
何処に行っても何をやってもホモサピエンスは所詮ホモサピエンスであり、不完全がデフォルトなのである。
なので「どのタイミングで、どの部分で、どの角度で、対象を切り取るか」それ次第では、いかようにも「負の部分」を見つけることは可能である。
一部のホモサピエンスは、みなが「自身の価値基準」で完全かそれに近くなければ気に入らないらしく、「基準に満たないもの」への粗探しと攻撃を開始する。なんという狭量で陰湿で底意地の悪い生き物であろうか。
そして自称正義の実態は、「本当は感情論」なのをあたかも「感情とは切り離した理性的な論理」のようにすり替える「合理化(防衛機制)」に過ぎないのである。
次に紹介するのは、「集団心理」の負の面を鋭く描いた「まふまふ」さんによる社会風刺ともいえる名曲「メリーバッドエンド」の歌詞と動画。
この歌は「共通の敵を作ってまとまる集団心理」を描いた、とのことらしいが、動画の構成・曲・詩共に斬新で素晴らしい表現力である。
メリーバッドエンド/まふまふ feat. 初音ミク
嫌いを100と40字
カギ付きの心 言葉のナイフ
泣き言で着飾って
お化粧は大層 綺麗だろうな
(中略)
今日嫌われないため
輪になってあの子を 嫌いになるの
排他 排斥 的当て
打ち抜いてしまえば 次は誰の番?
(中略)
嫌いを100と40字
カギ付きの心 言葉のナイフ
お茶会のパスワード
同調の返答かお気に入り背中についたレッテルと
実用的価値の値踏み合い
あれとこれは及第点
それの立ち入りは禁止するとまれ とまれ このゆびとまれ
この星には「心が根っから優しい人」ほど心が壊れるか騙されて利用されたり、「生真面目な人とか、感受性が敏感でいろいろ気づいちゃう人」ほど真っ先にターゲットにされたり、
そして「正直でまっすぐな姿勢」だったゆえに場を奪われ潰される、ような負の一面があり、これでは生きづらいのも無理はない。
標準医療が進歩したって科学が進歩したって、60歳以後に30年間どうやって多くの高齢者が人間らしく生きれるんだい? 長く生かされたはいいが、犯罪でもしなきゃ明日の飯も住む場所もない高齢のホモサピエンスの群たち。
社会生活より刑務所の方が安全で確実なセーフティネットだなんて..オーマイガッ!!
肝心の庶民の生活は置いてきぼりで、理屈や理論ばっかり高尚になっていく一部のホモサピエンスの群たちが、また今日もご立派な正論で自称:正義の戦いに躍起になっている。
「平均寿命は世界1!」でも現実は、「ごく一部の恵まれた人」以外は「老後は安楽死させてくれ!」を望む声も大きくなってきているような今日この頃のこの星の姿である。
科学や効率よりも大事なものが見過ごされたまま、ただ勝手にそっちだけ進歩だけしても、ホモサピエンスの社会と日常の不毛さとは乖離していく一方である。
「平凡で十分、ただ人間らしく生きたい」、残念ながらそれすら叶わないホモサピエンスの現実は、今のところはこの星において拡大傾向にあるようだ。
やはり「凶暴」で「嘘つき」で「脆弱」な生き物が作った社会だからそうなるのは仕方ない、と宇宙から来た社会学者の私も認めざるを得ない。
この星は「1%」の最富裕層のホモサピエンスが世界の半分以上の資産を握るような星である。なんという強欲さであろう。残り99%のホモサピエンスは残り50%以下の富を約70億人で奪い合い、
人々は自分たち以外のどこかに金が流れるのが嫌で仕方ないようである。
やれこっちが少ない、やれあっちは多い、こっちによこせ、あっちに使うな、と一部のホモサピエンス達は四六時中殴り合い、さらに右とか左とかに分かれて、「お前が邪魔」「いやお前こそ邪魔」と口汚く罵倒し合う者もいる。
が、「そして誰もいなくなった」になるほどヤワではない。一部の者たちは執念深くいつまでもいつまでも終わることなくそれを繰り返し続ける。
たまに数少ない富に繋がる幸運の蜘蛛の糸が垂らされるが、神も目を背けるほどの修羅化した争いが蜘蛛の糸の下で繰り広げられ、より残酷で凶暴な者か、狡猾で抜け目ない物が目をギラギラさせて蜘蛛の糸を這い上がってくる。
流石は神が見放したかのような生き物だけのことはある。そして最近ではホモサピエンスの一部の者たちは潔癖症化して闘争的でいつもピリピリイライラしていておおらかさもなくなり、いつも何かを呪っている。
子どもウザイ、老人ウザイ、若者ウザイ、オヤジウザイ、あれがウザイ、これがウザイ、あれもダメ、これもダメ、あれもイラつく、これもイラつく あれも無駄、これも無駄、あれも嘘、これも嘘、あれも馬鹿、これも馬鹿、これが不満、あれが不満、これが不愉快、あれが不愉快、
と、お互いの欠点を見つけてはそう千回ほど呪文のように思ったり言ったりした後に、一回くらい何かに「感謝」したりするようだ。これじゃ神様の出番もない。
そして自分の価値観で人様に難癖つけまくって、他人様から難癖付けられると「こんなんじゃ何も言えない!」ってお互い様にも気づかない有様、と何故か突然韻を踏む神様。
「自分はやってもOKでも人がやるならNG」のホモサピエンス群は、今日も互いに首を絞め合いながら、「何だか息苦しい社会ね」とさらに手に力を込め、「お前が絞めるからだ!」とどちらかの窒息までやり合うパラドックス。
そうやっていがみ合う庶民を「1%」の最富裕層は微笑みを浮かべて眺め、殺気だった群集の元へ「女神」のように参上し優雅に振る舞い、時折ポケットマネーを与えて拍手喝采を浴びている。
そして何か気の利いた教養ある理想論を語りつつ、「ポリコレ厳守よ♪みんな仲よくね💛」とセレブは「菩薩の笑顔」で美しく立ち振る舞う。そんなセレブ御用達のデザインは飛ぶように売れ、ダッシュで買いに行く庶民たち。
全ては預金残高か社会的立場の優位性に守られた上でのその余裕とお上品さは、一部のホモサピエンスから痛烈なルサンチマンを食らうことになるが、
「左うちわ」のやんごとなき方々は「金持ち喧嘩せず」によってスルーされる。「おっほっほ、見苦しく浅ましい愚民たち..」と内心はそうやって見下しながら、この星の偽善といがみ合いはまた今日もどこかで続いていく。