「心・精神の病気と健康の心理学」ブログ)(旧タイトル)へようこそ♪
旧タイトルの期間においては、メインのテーマは心・精神の病気と健康の心理学を扱う内容でした。このブログは現在進行形で、テーマをひとつに完結していないので、中心テーマが移行するとタイトルも変えていきます。
旧タイトルの「心・精神の病気と健康の心理学」のテーマにおいて専門的な概念も使用していますが、私自身は精神科医ではありません。
私は父が医師であり、身内・親戚が医者だらけの家庭に生まれました。彼等はそれぞれに担当が異なり、外科、内科、心療内科、その他に歯科医や看護師もいます。
医学・科学は素晴らしいものだし、様々なことに役に立ち、私たちの生活には欠かせないものです。
医学・科学それ自体はとても好きですし、「身体医学」に関してはその精度・信頼度は高いものだと理解しています。形而下を扱う医学は病人を扱うその範囲では最も有効です。
ですが「心・精神」を含んだ人間の全体性で見た場合、身体医学だけでは全てを説明しきれないし、また「心・精神」という形而上の問題を扱う精神医学や心理学もまだまだ途上の段階であり、
また「それを扱う人間」にそもそも矛盾や「科学だけでは割り切れないもの」があるのでは?と常に思うのです。
このブログで、「科学と感性」あるい理系知、人文知など質的に互いに相いれないもの両方の側面からアプローチしているのも、科学の長所と、「科学的ではないアプローチ」の長所を共に生かして人間心理を見つめてみようと思っているからです。
ある条件の範囲内においては再現性やエビデンスを重視はしていますが、人間・存在の全体性において理系的な思考の型のみの考察だけでは不十分だからです。
そして私自身はどうかといえば、十代後半から二十代にかけて「強迫性の状態」「適応障害」から躁鬱病(中度:これはおそらく間違いない)となり ⇒ 統合失調症?解離性障害?(違う要因で起きていた可能性もあり)を発症した可能性があり、
またある種の「発達の遅れ」は児童期から確認されましたが、とにかくその「よくわからない状態」の悪化と共に人生は加速的にボロボロになっていきました。
ですがこれはその症状が顕著だった時期から20年後の自己診断であり、私は病院に行ったわけではなく、凸凹のまま転がりながら相当に時間はかかりましたが、この悪循環の状態を自力で抜け出しました。
またその過程の全てが否定的な作用だけだったか?というとそうではなく、それによって「通常の人では気づけないもの」に気づいた、という意味では、ある種の「学び」でもあったのかもしれません。
否定的な症状はその後自力で安定化させましたが、最初の約十年間は、何が何だかわからない苦しさの中で生きていました。
それが一体何なのかわからず、様々なことを試行錯誤しながら安定化させてきました。そしてその時期には通常の人なら当たり前に得ているはずの多くのものを失いました。
そうやって何とか生きてきて、そして様々な心・精神のバランス異常の人々を見てきて思うことは、人間は弱い生き物だ、ということです。そして心・精神のバランス異常には個人の先天的な要因だけには還元できない様々な複合的な力学が働いています。
また、人間の相互関係性から起きてくる様々な問題は、生物学的・医学的な理論だけでは割りれないものだと感じます。
なので「人間とは何か?」ということを立体的に見つめていこうとするならば、それは医学、心理学、生物学、物理学だけでなく、その他様々な角度から総合的に見なければ人間存在の立体感ある認識は出来ないのではないか?と私は感じます。
書いているうちに何だか凄い大きなテーマになってしまいました。この先記事を書いていくのが大変そうだなぁと感じてきましたが、まぁこのような大きなテーマを最終的に目指していこう、というくらいの気持ちでゆっくりと書いていこうと思います。