直感と分析  集合意識の解離とボトムアップ型の社会変動

 

トランプ当選おめでとう。(形式的表現です。笑) 欧州連合(EU)離脱といい、世界はどんどん世論調査とか一般論・常識的な思考分析が外れるケースが増加していますね。

 

これは政治だけでなく、気象の変化・自然災害を含め、個の犯罪などもそういう傾向が高まっていて、わかりやすく先が読みやすい時代ではなくなってきています。

 

(自然現象は除いて)社会の質の変動には個の無意識の変化というミクロな変化以外にも、集合的な無意識の大きな変化というマクロな変化が生じてきているからです。

 

いやそもそも一般常識・価値観に基ずく世論調査とか、そういうものの中には、権力側・既得権益・エリート・社会的強者側の都合でトップダウンで押し付けられた負の一面も混在しています。

 

なのでボトムアップで下(現場・庶民の実態)から湧き上がってくる力が増してくると、上と下には大きな集合意識レベルの解離が生じてくるわけです。

 

「生身・五感で感じる生き物としての現実のシビアさ」は、その環境下で生き暮らし辛苦を舐め続けた人にしかわからないリアルの多面性があり、

 

エリートや学者や専門家や、「社会環境の良いところや立場的に優位なところで安定的に生きてきたような人」にはそのリアルさは想像できないんです。

 

長い期間、社会の影で生きてきた経験のあるマイノリティにとって、それは「生身の音・リズム」として聞こえ、生き物のようにヒシヒシと体に伝わってくるものがあります。

 

 

だから「トランプ支持者は教育レベルが低い」みたいに、薄っぺらな学歴差別的にも似たレッテル貼りで小馬鹿にするような態度では、逆にどんどん庶民は離れ、リベラルはエリート主義者とその依存者の勘違い集団になっていくだけでしょう。

 

いくら学歴的に優秀でも、本を沢山読んでいても、そのような脳・思考だけで捉えた観念的で無機的な机上の理論や世界の把握の仕方とは違う、もっと強く活力をともなった生身の現実感覚があるからです。

 

あれほど過激な人種差別発言をしていたトランプなのに、何故マイノリティ有権者の投票率は思ったほど低くないのか、そしてあれほど女性蔑視していたトランプに対し、何故ヒラリーは同じ白人女性の投票率ですらトランプと殆ど変わらないのか、その現実を見た方が良いでしょう。

 

◇ 関連外部サイト記事の紹介

ヒラリー・クリントンが若年女性から支持されない理由

 

社会上部の演じるペルソナ(タテマエとしての世論・一般常識)が、庶民のホンネ=シャドー(不満・怒り・変化を求める活力)を抑圧・支配・管理コントロールするだけでは、両者はどんどん分離し対立的になり、集合意識は内部分裂化していきます。

 

やがて分離肥大が極限まで進むと、全体を飲み込み逆転していくわけですね。そうやって破壊から創造に向かい、更新して、新たな統合(維持・安定)へと向かい、

 

これは個人の時間よりもすっと長いタームでゆっくりと進んでいきます。それ自体は善とか悪とか合理的とか理不尽とかで単純に二元的に分けれない大きな力学が働いて動いているのです。

 

トランプがオルタナティブ右翼とか何とか言われてますが、実際のところ世界はもうトランプ以前にボトムアップでの逆転が主流になってきている時間・空間の中にあり、我々はその大きな時間・空間の中で生きているんですね。

 

オルタナティブ右翼に関しては以下の考察記事を紹介しておきます。

町山智浩と荻上チキ オルタナ右翼を語る

 

後、「ポピュリスト政党」に関する記事を一つ引用・紹介します。

 

「ドゥテルテ大統領のような「問題」どう対処するか」より引用抜粋

フランスでは極右の国民戦線(FN)を率いるマリーヌ・ルペン氏、オランダの極右政党、自由党のヘルト・ウィルダース氏、

イタリアではポピュリスト政党である五つ星運動のベッペ・グリッロ氏、極右のスウェーデン民主党のジミー・アケソン氏など、

移民増加に対する大衆の反発とテロへの恐怖を追い風として、至る所で国会や地方議会で議席を獲得している。

既存政党や主流メディア、主要な国家機関はこうした政党を批判し、あるいは無視しようと努めているにもかかわらず、彼らは自国の世論調査でかなりの支持率を得ている。

ドイツでは、先週行われた北東部メクレンブルク・フォアポンメルン州の州議会選挙で、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)が、首相自身の選挙区があるにもかかわらず、極右「ドイツのための選択肢(AfD)」を下回る3位の座に甘んじた。

ハンガリーでは、露骨な人種差別を示す反ユダヤ主義政党ヨッビクが大きな勢力になっている。

– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ ドゥテルテ大統領のような「問題」どう対処するか

 

 

直感と分析

 

今日は「直感が分析よりも有効な場合」と、「人によって直感や分析に当たり外れの差があるのは何故か?」ということをアメリカ大統領選をテーマに考察しています。

 

「分析より直観」2016年3月7日 サイエンスデイリーより引用抜粋

分析的思考は、解決方法が既に分かっている時には有効であるが、解決方法が分からない時は、閃きの方が有効であると言う、新しい研究結果が発表された。

「意識的、理詰めで問題を解決しようとして、しかも急ぐと、あやふやな結論に到達しやすい。第六感とか閃きは、無意識の中で思考が重ねられ、考えが熟成すると解答がポンと出て来る。

時間には間に合わないかも知れないが創造性が高く、飛躍的な問題解決につながる事が多い。

だから、真に問題を解決したいのなら、理詰めより自然に出てくる閃きを待つ方が良い」とドレクセル芸術と科学大学のジョーン・クーニオス教授は言う。

クーニオスの研究では、パズルを用いて閃き、理詰めの双方を比較している。

結果は予測通り、閃きの解答にはより正しい解答が多かったのに対して、理詰めの解答は時間には間に合ったものの、間違う傾向があった。

「歴史を見れば閃きの凄さを物語る話は沢山ある。成功した話が語り継がれ、失敗した話は忘れ去られているのかも知れない。我々はそれを調べた」と北西大学のカローラ・サルビ氏は言う。
– 引用ここまで- (続きは下記リンクより)

引用元⇒ 分析より直観

 

上記に紹介の記事中に、

「分析的思考は、解決方法が既に分かっている時には有効であるが、解決方法が分からない時は、閃きの方が有効」とありますが、

 

今回のような「評価が拮抗していて先が読めない動的で複合的な現象」の場合分析的思考よりも直感の方が一見有効に感じますが、

 

実際は、選挙報道や政治的な活動以外の多角的な力学(メディアの嘘・印象操作とか世界・庶民の傾向性など)をある程度シッカリ分析すれば、それだけでも大方の流れ程度は読めます。

 

職業的な直観」などもそうですね、これは一見直感のようで、実際は「膨大な経験知からの瞬時の分析を行っている」ので、事前に多くの情報・知識・経験があるわけです。

 

そうではなくてもっと経験知・情報の少ない状態で現象を純粋に「直感」で判断する場合は、逆に「イデオロギー・観念・主義・好悪の感情」などに強く深く囚われずに、固定観念なくありのままに見ることで精度はより高まります。

 

「動的で複合的な現象」の場合、「職業的直観」を超えることがあるだけでなく、「職業的直観」とは異なる質の「動き」を「現象」に感じ取ります。

 

判断の結果としては同じでも、それぞれに感じ取っているものは異なるんですね。それは「生き物である集合意識」の状態・運動とのダイレクトな感受が起きるからです。

 

また必要以上に情報を入れない、という習慣も感覚を高めます。情報が先にない場合、人は自分の地頭と素の心で現象を直感的に判断するしかないからで、まぁ平たく言うと生き物としての察知能力・直観力のポテンシャルが高められ研ぎ澄まされていくわけですね。

 

本質的には無意識の方が顕在意識よりも遥かに早く正確なんですが、これは潜在的には、という意味であって、それが鈍化していたり歪んでいるような場合は、役に立たなかったり、逆にバイアスによって判断を大きく誤ったりしますので、

 

その場合はシッカリと理論的に詰めて考えていった方が安全で確率は高いでしょう。

 

◇ 関連過去記事/外部サイト記事の紹介

「無意識の的確さ」と「顕在意識のミス」  「直感で動くサル」対「考えて動く人間」 

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